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「琵琶湖疏水クルーズ」明治時代の夢と130年の歴史を乗せて桜の水路を行く!

投稿日:2018-04-08 更新日:

Hamzo
琵琶湖疏水クルーズ!

明治期 京都の壮大なプロジェクト

「琵琶湖の水を京都に引く」。それは江戸時代から京都の人々が抱いていた夢でありながらも、長年成し得なかったことでした。

明治維新と東京奠都(首都移転)により、産業も人口も急速に衰退して行く京都を復興させるため、明治期初頭に起死回生を賭けて計画されたのが、“琵琶湖の水を京都に通す人工運河の建設” それが琵琶湖疏水事業です。

琵琶湖疏水図誌|出典:京の記憶アーカイブ

完成をみた琵琶湖疏水は、水運・上水道・灌漑・そして日本初の事業用水力発電などに活用され、京都の復興と近代化に大きな貢献をもたらします。しかし竣工に至るまでには先人たちの大きな努力と苦労、勇気と挑戦がありました。

琵琶湖疏水図誌|出典:京の記憶アーカイブ

当時の京都府の年間予算の約2倍の費用が投じられた壮大なプロジェクトは、事業の主唱者である第三代京都府知事の北垣国道が、当時21歳という若さの青年技師 田邉朔郎を疏水事業の主任技師に抜擢し、当時一般的であった外国人技術者の指導に頼らずに、全て日本人の手によって完成させたという、日本初の国家的大土木事業でもありました。

琵琶湖疏水図誌|出典:京の記憶アーカイブ

当時の未発達な土木技術や貧弱な機械・材料に悩まされながら5年の年月を費やし工事は進められます。夜に技術者を養成し、昼に実践するという、未曾有な努力の積み重ねで完成させた世界的にも稀有な都市づくりの源流は、今も命の水を京都に運び続けています。

夢の琵琶湖疏水通船 復活!

琵琶湖の水を京都に引いた大きな目的のひとつが「水運利用」です。

陸運のためのインフラが発達していなかった近年までは、日本海で取れた海産物を始め北陸や東国諸藩からの物資の多くは、湖北から琵琶湖の水運を用いて舟で京阪神に近い大津まで運ばれていました。

京都市は内陸部に位置するため、大津でわざわざ牛車や人馬に積みかえ、山を越えて運び直すっていう、二度手間と莫大なコストがかかってた訳です。

そんな理由もあり、琵琶湖から京都までを直接結ぶ “水の路” は京都人が長年待ち望んでいたことなんですね。

琵琶湖疏水図誌|出典:京の記憶アーカイブ

琵琶湖疏水開削後は、疏水路を通り多くの舟が京都のまちに物資を供給することになります。

最盛期の1925年(大正14年)には、琵琶湖疏水によって年間約22万トンの物資が運搬され、1日当たりの通舟数は150隻にも達したそうです。蹴上の船溜りやインクラインにその名残りがありますよね。

しかし、自動車や鉄道等による陸運の急速な発達に伴い、疏水路を通る舟は徐々にその数を減らし、1951年(昭和26年)を最後にその姿を消すことになります。

以来、琵琶湖疏水舟の復活を望む声は幾度となく挙がったものの、河川と異なる特殊な成り立ちや形状から多くの課題があり、なかなか実現には至りませんでした。

琵琶湖疏水クルーズ!

しかしいよいよ数年にわたる準備期間と安全検証を経て、約70年ぶりに今年(2018年)の春から本格的な運航が開始されたのです!もちろん物資を運ぶ訳じゃなく観光船ですけどね。

歴史好き、そして疏水ファンの僕にとっちゃ、これって垂涎モノのことで…ソッコーで行って参りました。。

運行再開直後の予約日が、たまたま運良く今年の桜のピーク期にあたり、近代建築史跡を臨場感を持って味わいながら花見までしてしまうという贅沢なものだったので、今回の記事は桃色成分の多い写真と合わせて、疏水の魅力を存分にレポートしたいと思います!

大津から蹴上まで続く、史跡と自然のアトラクション

琵琶湖疏水路は昭和45年から4年間をかけて、導水路整備事業として大津から蹴上全線にわたり大規模な改修が行われているので、全てが明治時代の建設当時のままって訳ではありませんが、往時の面影がそのまま残った史跡も結構残っています。

観光名所の「南禅寺の水路閣」も疏水史跡のひとつで、今も水路閣の上には疏水がそよそよと流れております。

さて、前置きはこれぐらいにして大津から蹴上に向けて出発しましょう!

まずは、満開の桜に囲まれた、大津閘門(こうもん)沿いの歩道を通り乗船場へ向かいます。

大津閘門は石と煉瓦で造られた本格的な洋風閘門で、門扉を開閉することで水位を調整し、水や舟を往来させていました。三井寺へと続くこの界隈は桜の名所としてもよく知られています。

もう、この辺りからすでに胸のワクワクが止まらない訳ですが、いよいよ乗船です。

船に乗ると当然目線が低くなるので、臨場感が増しますねー!

船は疏水工事の最大の難関であった “第一トンネル東口” から出発します。いくつかある疏水のトンネルの出入口には、時の政府の要職を歴任した明治時代の偉人たちの言葉が彫り込まれた「扁額」が掲げられていて、それも疏水アトラクションの見どころのひとつ。

第一トンネル東口には、初代内閣総理大臣 伊藤博文が揮毫した “気象萬千” の扁額と共に、若き青年技師 田邉朔郎を称えた英字の刻印が刻まれています。※ 気象萬千「様々に変化する風光は素晴らしい」

さぁ!トンネルに入り出発!!

・・・・

・・・・・・・・

全長約2.4kmのトンネルを疎水船はゆっくりとしたスピードで進むので、しばらくの間はこの景色が延々と続きます。トンネル出口の光が少しづつ大きくなっていくのですが、何せトンネル内は寒い。。

暫くして突如現れる疏水アトラクション第1号。名付けて “竪坑洪水”。もの凄い勢いで、トンネルの上部から水が滴り落ちております。

これは「第一トンネル第一竪坑」と呼ばれる、所謂大きな穴の跡がもたらすもの。

トンネルの早期完成のために山の両側から掘り進めるだけでなく、山上からも垂直に穴を掘った後に、そこからも両側に掘り進めるという、日本で初めての “竪坑方式” で造られたトンネルの建築遺構です。

山の湧き水や貯まった雨水が竪坑に流れ込んでトンネル内に降りそそぐ訳です。もちろん船には屋根がついているので濡れません。

ようやく出口が近づいて参りました。トンネルを抜けると自然豊かな “山科エリア” に入ります。

琵琶湖疏水の山科エリアは、東山自然緑地を中心とした穏やかな「疏水みち」。桜だけでなく紅葉の名所としても知られています。

震災時などに水流を自然停止させるために設置された緊急遮断ゲートを超えると、咲き誇る「桜のアーチ」が疎水船を迎えてくれました。

見上げると青い空に満開の桜。

東山自然緑地には疏水沿いにヤマザクラを中心とした約660本の桜並木が続き、桜の時期は例年、遊歩道を散策する人で賑わうのですが、今年は復活した “疎水船越しの桜” を撮るために、たくさんの方々が色んなとこからパシャパシャと写真を撮ってこられます。

負けじと、こちらも撮り返します。

程なくすると、少し水路がひらけた “四ノ宮舟溜” へ。

ここはかつての舟の荷下ろしや船頭さんが休憩した場所。紅葉が綺麗な名所としても有名です。

諸羽トンネルの先には、またしても大勢の僕のファンが出待ちをしてくれております。お礼にこちらからも写真を撮ってあげます。

毘沙門堂への参道がある安朱橋付近は、桜だけじゃなくて菜の花も咲いていてとても綺麗な風景が楽しめます。今年は桜の開花が例年より早くて、この舟に乗った3月下旬には既に散りゆく桜吹雪までも見ることができました。

山科疏水(東山自然緑地)の桜と桜吹雪

さてさて、疏水路を斜めに渡る鮮やかな朱色の橋 “本圀寺正嫡橋” が見えてくると疏水クルーズも終盤に差しかかります。

疏水路上で最も短い124mの “第二トンネル東口” には、初代内務大臣 井上馨 揮毫の扁額 “仁以山悦智為水歓” が掲げられています。入口から既に出口の景色が見えちゃってますね。※ 仁以山悦智為水歓「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」

第三トンネル手前の橋は日本で最初に造られた鉄筋コンクリート製の橋。第11号橋と呼ばれるこの橋も、疏水事業の偉大なる青年技師 田邉朔郎の手によって架橋されました。

山科から蹴上に抜ける延長850mの第三トンネルを抜けると疏水クルーズのゴール地点です。“第三トンネル東口” には初代大蔵大臣 松方正義 揮毫の扁額 “過雨看松色” が掲げられています。※ 過雨看松色「時雨が過ぎると、一段と鮮やかな松の緑をみることができる」

古びた煉瓦造の意匠が何とも言えぬ風合いを醸しだしていますね。

トンネルの先に蹴上の終着点が見えてきました。あっという間の史跡アトラクションクルーズもそろそろ終わりの時間です。

琵琶湖疏水図誌|出典:京の記憶アーカイブ

琵琶湖疏水 “第三トンネル西口” も明治期の竣工時と変わらぬ面影を残しています。

西口の扁額 “美哉山河” は明治時代の太政官制における朝廷の最高職、太政大臣 三条 実美の揮毫。扁額の意味する「なんと美しい山河であろう」という言葉の通り、東山界隈のこの辺りの景色はいつ来ても美しい。

第三トンネル西口の傍らには、防火用水を御所へ送るために設けられた、煉瓦造の “旧御所水道ポンプ室” が佇んでいます。

さて、個人的には大津から蹴上まで、ワクワクしっぱなし、シャッター切りまくりの約一時間でした。

琵琶湖疏水クルーズは、あまり歴史に明るくない方でも楽しめるように、疏水事業の主唱者である北垣国道の部下に扮するクルーの方が一緒に乗船し、要所のポイントを詳しく解説してくれます。

ガイドをしてくれたイケメンクルーさん

現在は春と秋のみの運航の様ですが、秋には桜の季節とは違った景色が楽しめそうなので、また是非乗船してみたいと思います。

明治時代の夢と130年の浪漫を乗せた、小さな舟旅は思った以上に素敵なものでした。

では、また!

びわ湖疏水船 公式ホームページ

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