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大和郡山「旧川本邸」昭和遊女の香り漂う三階建の遊郭建築

投稿日:2018-09-07 更新日:

Hamzo
洞泉寺町遊郭の川本楼へ !


洞泉寺町遊郭 「川本楼」

奈良の建築というと歴史ある格式の高い寺社が多いイメージですが、近年まで栄えた奈良の色街跡に往時の面影を色濃く残した “遊廓建築” が現在も幾棟か現存しているのをご存知でしょうか?

奈良には近代まで 三大遊郭 と呼ばれた色街がありました。日本最古とも言われる奈良市の “木辻遊郭” そして大和郡山市には “東岡遊郭” と 今回伺った「川本楼」がある “洞泉寺町遊郭” の二つの遊郭が存在していました。

また大和郡山は戦時中にも空襲に見舞われることがなく、これまでに大きな火災もなかったため、町のあちこちに昔風情の建物を目にすることができます。

大和郡山に残る古建築


江戸時代から続いた旅籠「花内屋」


江戸時代から続いた老舗呉服屋「和田徳呉服店」

太閤秀吉の弟、豊臣秀長の手によって百万石の大大名にふさわしい巨大な城に作りかえられた郡山城。その城下町であった大和郡山には奈良街道が通り、古くから交通の要衝としても栄えました。

人が集まり繁栄する町には自然と “花街” ができるもので、大和郡山に東岡と洞泉寺町の二つの遊郭があったのも町の栄華の名残りなのだと思います。

“又春廊” と “川本楼”

市によって行われた耐震工事を経て、2018年から一般公開されている洞泉寺町の旧川本家。1924年(大正13年)に建てられた木造三階建の大型遊郭建築で、平成26年には登録有形文化財となっています。

洞泉寺町遊郭とは

洞泉寺町遊郭の歴史は、近世郡山藩が成立した江戸初期にさかのぼり、大正13年のピーク期には貸座敷17軒が軒を並べ、娼妓数は200人を数えたという。 また往時の色街 洞泉寺町遊郭は通称  “又春廊” (ゆうしゅんかく) と呼ばれていました。

又春廓は明治期から県内の公認遊郭のひとつとして昭和初期まで興隆します。 大正後半以降は鉄道網の整備によって、大阪からのアクセスも良くなり一層の賑わいをみせたそう。当時の客名簿にも大阪からの客が多く見られる様です。

戦後はいわゆる “赤線” として運営されていた洞泉寺遊郭も、昭和33年の売春禁止法を受けて遊郭としての歴史に終止符が打たれます。

2018年、洞泉寺町内に遊郭だったとみられる建物は旧川本邸を含めて5軒。同町の歴史的町並みを形成する要素になっていますが、残念ながら3軒は取り壊しの声も聞こえるという。

赤線とは・・・

赤線(あかせん)は、戦後GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)昭和33年までの間に、半ば公認で売春が行われていた日本の地域のことをさす。戦前から警察では、遊郭などの風俗営業が認められる地域を地図に赤線で囲んで表示しており、これが赤線の語源であるという。

引用 : wikipedia

川本楼 “住居” と “遊郭” の共存


旧川本邸 「一階 大広間」

こちらの三階建遊郭建築は当主の川本家の住居部分と、娼妓が色恋を売って生活をしたスペースが、中庭を挟んで緩くゾーンニング分けされてはいるものの、しっかりとひとつの建築に共存しています。

当時は当たり前のものだったのかも知れないが、当主の私的空間と、遊郭としての営業施設からなる屋敷構えは、遊郭建築遺構としてはとても貴重なもの。

1階の12畳大広間などは豪華絢爛というような設えではないが、障子の欄間など当主の拘りが随所に見られる造りになっている。


館内は遊郭営業時代の設えが色濃く残っていて、1階には遊女の待機場所となっていた “娼妓溜” (しょうぎだまり)や勘定をする “帳場” などが往時の雰囲気を漂わせたまま保存されています。

いわゆる女郎屋風情の淫靡な雰囲気はないものの、明らかに一般的な町家とは異なる独特の空気感を感じた。

遊女たちの仕事場


旧川本邸 「二階 待合」

2階〜3階には “待合” と約3畳程の “客間” がずらりと並び、遊女たちの仕事場兼生活の場となっています。少し大きな8畳の客座敷は上客用だったと考えられている。

うまく昔の趣や空気感を残しつつ耐震保存改修工事が行われていて、今にもひょっこり客間から遊女が出てきそうな感じさえする。廊下には当時使用されていた “ガス燈” もそのまま残されていました。

遊郭としての役目を終えた後は下宿として客間が使われた時代もあった様です。通りに面する窓はすべて格子で覆われ、3階から1階へと階数が下がるほど格子の目が狭くなっている。遊女の逃亡を防ぐために設けられたであろう鉄格子の跡が窓に残っているのが、なんとも生々しい。


旧川本邸 「猪目窓」

この建物のシンボルマークにもなっているのが、魔除けの意味が込められたハート形の “猪目窓” (いのめまど)。 川本楼の遊女は主に北陸から連れてこられた女性が多かったという。 外出さえ安易に許されることがなかったであろう彼女たちは、この窓から見上げる空をどの様な気持ちで眺めていたのだろうか?

まとめ

大和郡山市が空き家となっていた当建築を約8,700万円で購入し、約7,800万円のコストをかけて耐震工事を行ったという旧川本楼。2018年から「町家物語館」として一般公開されています。

遊郭や花街にはどうしても “負の遺産” といった暗いイメージがつきまとうもの。 公開にあたって地元住人からも「当時の女性がここでどんな思いをしていたのかを考えれば、内部を見物させるのはいかがなものか」という意見もあったそうです。しかし、建築遺産として後世に残し、その歴史も含めて語り継いでゆく事も重要なのでは、と議論を重ねた末に改修に踏み切ったという。

町屋物語館は休館日の月曜日と祝日の翌平日以外は常時公開しており、予約なしでも無料で入れるうえ、ガイドさんが内部を詳しく説明してくれます。 是非、近くに立ち寄った際には、大正・昭和期に日本の色街文化を支えた奈良の大遊郭を覗いてみて欲しい。

今回行った場所

旧川本家住宅 関連ホームページ

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