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「神戸舞子公園」和洋中の旧家を訪ねて歩く夏の三邸物語

投稿日:2018-08-05 更新日:

Hamzo
風光明媚な “舞子” !

舞子は神戸市の西の端っこ。 風光明媚な “舞子” の地名の由来は、数多く茂っていた松の木の枝ぶりが “女性の舞う姿” に似ていたから、という、どこか色っぽさを感じるもの。

六十余州名所図会 「播磨 舞子の浜」

出典 : 国立国会図書館デジタルコレクション

現在の舞子公園があるあたり一帯の浜は、古くは “舞子の浜” と呼ばれた名所で、江戸時代には旅の休憩所として多くの待合茶屋がありました。 「東海道五十三次絵」でよく知られる、歌川広重 の「播磨 舞子の浜」でも白砂青松の美しい海岸風景が描かれています。

明治期に入ると旅館や別荘が立ち並び、たいそう賑わったと伝えられています。 古から、陸路、海路を旅する人々にこよなく愛されてきた舞子。特に明治天皇はこの地をことのほか愛されたそうです。

舞子公園は1900年(明治33年)に初の県立都市公園として開園。 天下の名勝であった舞子公園は、市の近代化とともに変貌を遂げ、現在は世界一の吊り橋である明石海峡大橋を眼前に望むゲートパークとして美しく整備されています。

空と海の青、生命感溢れる芝生の緑が綺麗な舞子公園では、のんびり散歩をする方々や魚釣りに興じる方などが、それぞれのスローな時間をのんびりと楽しんでおられます。

画になるお二人を見かけたので、一枚パシャリ。

また公園内には、明治・大正・昭和の三つの時代と、和・洋・中の三つの文化の趣を持つ歴史的建築物が、修復保存され往時と変わらぬ姿で一般公開されていて、古建築好きには興味深いスポット。

三邸共にかなり保存状態も良く、夏には嬉しい空調設備もしっかり整っております。 意外に人も少ないのでゆっくり見学が出来ます。

孫文記念館(移情閣)

まずは舞子公園の顔とも言える八角堂がシンボルの 孫文記念館 (移情閣)

こちらの建築は、もともとは神戸の貿易商 呉錦堂が建てた 「松海別荘」 を前身とする別荘建築で、姿形を変えながら100年以上の間、舞子浜の風雅を偲ぶ建物として明石海峡の傍に佇んでいます。

1915年(大正4年)に別荘の東に建てられた八角三層の中国式楼閣 “移情閣” は、外観が六角に見えることから「舞子の六角堂」と呼ばれて地元の方々に親しまれてきました。 現存する日本最古の木骨コンクリートブロック造建築で、国の重要文化財に指定されています。

1984年(昭和59年)からは、中国の革命家・政治家・思想家である 孫文 の功績を称える記念館として開設され、日本と孫文、神戸と孫文の関わりについて紹介し、貴重な孫文直筆の書も展示されています。

孫文 と松海別荘(移情閣)の関わりは、孫文が1913年(大正2年)に来日した際、神戸の中国人や財政界有志が開いた歓迎会の会場になったことがきっかけとの事。

明石海峡大橋の建設に伴い、1994年(平成6年)から約6年の歳月と総額14億円の工費をかけて、西南方向に200mの現在地に移築復元された移情閣。

大正モダンの情緒あふれる移情閣は、明石海峡大橋を背景にした優美な外観だけでなく、チャイニーズテイストの趣向を凝らした内部装飾のディテールも必見。

創建当時の多くの賓客を魅了したとされる「金唐紙」の壁紙は、どこかウィリアムモリスの壁紙を思わせる上品な趣がありました。

旧武藤山治邸

旧武藤山治邸 は、旧鐘紡(カネボウ)の社長であり衆議院議員としても活躍した武藤山治が、1907年(明治40年)に舞子海岸に別宅として建てた西洋住宅建築です。

コロニアル様式の外観意匠と下海に面して張り出した優雅なベランダが特徴的。

明治中期から戦前までの紡績産業は、現在でいうところのIT産業や自動車産業を足して余るほどの日本の大基幹産業であり、武藤山治が社長をつとめた明治から昭和初期にかけての鐘紡は国内企業売上高1位を誇りました。

紡績王とまで言われた武藤山治がどれだけ偉大な人物なのかが分かりますね。

明治40年に建てられた旧武藤山治邸は、国道2号線の拡張工事のため2kmほど西に一度移築された後、元々建てられた舞子浜に程近い現在地に3年の歳月をかけて再移築・修復されたという。

構造材の大部分や外装材の一部は二度の移築によって新材が用いられているものの、建具や内装の仕上材、ステンドグラスや暖炉、家具調度品などは建築当初のものが残されています。

近代建築マニアとして好感が持てるのは、“手を触れないで下さい” 的な注意書きや、興ざめな説明書きが各居室にはほとんど無く、気の利いた小物や飾り付けが各部屋に施されていて、明治期の大実業家がどのように生活していたかをリアルに再現しています。

大の読書家だった事で知られる武藤山治の書斎の本棚には、彼が好んで読んだという洋書がびっしりと並び、海側の居室の窓からは明石海峡をゆっくり進む船が遠目に見える。100年近く前に、日本一の大実業家が同じ窓から同じ風景を見たのかと思うととても感慨深い。

松林を抜けて

国道2号線から北側の舞子公園には、昔ながらの舞子浜の風景を彷彿とさせる松林があって、立派な松の木が何本も立ち並んでいます。

夏の強い木洩れ陽が地生えの草花をスポットライトのように照らし、なんとも詩的な光景でした。

旧木下家住宅

旧木下家住宅 は、元々、貸船業を営んでいた又野良助氏が私邸として1941年(昭和16年)に建てた数寄屋造近代和風住宅。

昭和27年に地元の大地主だった木下吉左衛門氏の所有となり、40年以上自邸として使われてきましたが2000年(平成12年)に兵庫県に寄贈されて、現在は舞子公園の施設の一棟として一般公開されています。

阪神淡路大震災以後、姿を消しつつある神戸エリアの和風住宅のなかで、創建時の屋敷構えをほぼ完全に残す貴重な数寄屋造の近代和風住宅建築として、国の登録有形文化財に指定されています。

前庭と中庭には創建時の庭造りの様子が色濃く残っていて、室内から望む庭園の緑豊かな佇まいがとても美しい。

僕が見学に伺った日には工芸家の友定聖雄という方の “光のガラス工芸展” が開催されていて、繊細なガラス細工と和の空間が絶妙な調和を見せておりました。

2,290㎡(688坪)という広大な敷地に建てられた建築もまた、延べ床面積432㎡(130坪)と規模がでかい。旧木下家住宅の建物は、京町家でよく見られる “厨子二階建” で虫籠窓も設けれれています。

建物の細部には数寄屋造りの流れを汲む、多様な素材の組み合わせで、とても繊細に作りこまれているのが特徴的。特に桐と竹がこの建物を表現する主材として用いられています。

整った和の空間って光と影のコントラストが綺麗なんですよね。

まとめ

およそ半日かけてまわった舞子公園の旧家探訪。和洋中、三邸三様の素晴らしい建築でした。

見学料は “3邸めぐり入場券” を購入すればなんと全部まとめて340円 ! ? 移築保存にかかった莫大な費用を見学料で回収するつもりは全くないのね、という太っ腹な料金設定。また舞子公園では季節毎にさまざまなイベントが催されている様なので、出掛ける前にチェックしてみるのもいいかも。

舞子公園 公式ホームページ

かなり暑い日でしたが、涼しい館内でゆっくりと往時の “舞子の浜” の歴史と空気感に触れる事が出来た一日でございました。 

では、また !

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今回行った場所

孫文記念館(移情閣) 公式ホームページ

旧武藤山治邸 公式ホームページ

旧木下家住宅 公式ホームページ

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