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「京都 島原」 日本最古の花街を歩いて、遊郭建築と100​年の珈琲を堪能する

投稿日:2017-10-26 更新日:

Hamzo
京都 島原へ !

千年の都、京都の町をあっち行ったりこっち行ったりカメラ片手にぶらぶら散歩。
いやー京都は何回来ても新しい発見と感動があって楽しいですよねー

ところでみなさん、京都の “花街” (かがい) と言えばどこを思い浮かべますか?
多くの人が一番に思いつくのは 祇園 じゃないでしょうか。

今や観光名所ともなっている「祇園」も古くから栄える花街ですが、明治時代まで祇園と肩を並べる程に栄えた、一大花街が京都にあったのをご存知ですか?

日本最古の公許花街「島原」


京都島原 角屋

“島原” は京都市下京区に位置する花街の名称。日本で初めての公許花街として賑わい、遊宴だけではなく文芸も盛んな場所として発展した島原

西郷隆盛・桂小五郎・坂本龍馬、いわゆる幕末の勤王志士たち、そして 近藤勇・土方歳三・芹沢鴨などの新撰組の面々も程よく近い場所にあった屯所から通っていたという花街島原。

今回はそんな島原の歴史に思いを馳せつつ、現在も残る花街建築を半日かけてゆっくりまわってみたいと思います。

大宮通から西本願寺を背にして花屋町通へと歩を進めると、レトロな建物が軒を並べる商店筋が続きます。ほどなくすると花街島原を象徴する大きな門が見えてきます。

花街島原の入口「島原大門」


寛永18年(1641年)に公許花街として開かれた島原。その玄関口である大門は何度か建て替えられていますが、現在の本瓦葺、切妻屋根を乗せた重厚な趣の門は、幕末の慶応3年に建造されたものがそのまま残っています。

門前には通称 “見返り柳” が風に揺られております。全国に在った花街や遊郭の入り口付近に植えられた柳の名称で、街に訪れた人々が帰り道に柳のあるあたりで名残を惜しんで後ろを振り返ったことから由来しています。

大門から続く道には石畳が敷かれ、歌や俳句を記した文芸碑と共に京都っぽい町の風情を醸し出しています。島原にはかつて50軒ほどの置屋と約20軒の揚屋がありました。

置屋と揚屋の違い

“置屋”(おきや)とは太夫や芸妓を育てて住まわせる家のことで、置屋から派遣されて揚屋などに出かけて行きます。逆に “揚屋”(あげや)は太夫や芸妓などをかかえず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催していました。

“太夫”(たゆう)とは遊宴のもてなしを生業とする島原芸妓の最高位の名称で、現在も島原では数名が現役で活躍されています。

明治期の島原太夫道中

「輪違屋」島原に残る唯一の置屋

島原大門をくぐりメインストリートの最初の角を北に折れるとすぐに、安政四年の創建当時の佇まいをそのまま残す 輪違屋 (わちがいや) が見えてきます。

現在も島原太夫が数名在籍する輪違屋は、島原が最も華やかだった江戸時代前期、元禄年間に置屋として創業し、明治以降に揚屋も兼業する様になった現役のお茶屋さんです。

京都市有形文化財に指定されている輪違屋は、もともと3階建てでしたが昭和36年の第二室戸台風で屋根が飛んで2階建てに建て直したとか。

ファサードの格子が非常に密で繊細です。下屋の軒先には輪違屋トレードマークの「重なる二つの輪」が描かれたレトロな軒行燈(のきあんどん)がいい味を出しています。

輪違屋は現役のお茶屋ということもあって、屋内の一般公開は通常行われていませんが、外から眺めているだけでも十分に往時の雰囲気を感じとれます。

「角屋」日本に残る唯一の揚屋建築

メインストリートに戻り西へ歩を進めると、美しい格子が延々と続く大きな建物が現れます。間口だけで31.5mもある壮大な建物が、日本に唯一現存する揚屋建築の遺構として重要文化財にも指定されている 角屋 (すみや) です。

角屋の建物は木造2階建て。古い部分は角屋が六条三筋町から移転してきた寛永18年(1641年)頃とみられていますが、その後たびたび増改築を繰り返して天明7年(1787年)ごろに現在の規模になったといいます。

昭和60年まで行っていた宴会業務は廃業し、現在は「角屋もてなしの文化美術館」として貴重な歴史的建造物として、ゆかりの文化財と揚屋建築を公開しています。

揚屋の由来と特徴

揚屋とは今で言う高級料亭にあたり、客人をもてなす間は二階。二階の座敷へ客人を揚げることから「揚屋」と呼ばれる様になりました。揚屋と茶屋の違いは大規模の宴席に対応できるでっかい台所があるかないか。揚屋では宴席に出す料理を台所で作っていたので、角屋には50畳にもおよぶ台所が一階にあります。

大型揚屋建築の特徴は大きな台所がある事の他に、たくさんの客人をもてなす「大座敷」があり、座敷に面する「広庭」と「茶室」があること。

実際、角屋で最も広い「松の間」は43畳を誇る圧巻の大座敷。座敷に面した広々とした庭には名物の「臥龍松」が見事な枝ぶりを見せ、奥には3つの茶室が並んでいます。

もてなしの場として江戸時代から明治時代にかけて発展してきた角屋では、長い歴史のなかで様々な客人を迎え入れてきました。

江戸時代中期の俳人で画家でもある与謝野蕪村。また幕末には勤王の志士、西郷隆盛や坂本龍馬などの密議にも使われたといいます。新選組の出入りも多く、血気盛んな隊員たちが残した刀傷が今も柱に残っています。

薩長藩士と新撰組がバッタリ、なんてことは無かったんでしょうかねぇ…

さて、角屋を出て再び島原のメインストリートへ戻ります。

「きんせ旅館」大正モダンなカフェで珈琲を愉しむ

石畳の花屋町通を歩いていると、町の雰囲気になじむ立派な一軒のお屋敷から珈琲豆を焙煎するなんともイイ匂いが漂ってきます。

二階の丸みをおびた窓枠がなんとも可愛らしい建物は、推定築年数250年の元揚屋の木造建築です。揚屋から時代の移り変わりとともに旅館となり、現在も “きんせ旅館” という名前を残したままカフェ、そして文化交流サロンとして営業されています。

玄関先の暖簾をくぐり、引違いの玄関扉を開けて中に入ると外観とはまったく違った、煌びやかでレトロな空間が広がります。華やかなステンドグラス、大正ロマンを感じさせる折り上げ格天井に、要所に施された泰山タイルなど。飴色に光る室内が一気に大正レトロ時代にタイムスリップさせてくれます。

大正末期あたりに店主の曾祖母が老舗旅館を買い取って洋風に改装したという内装や家具はほぼ当時のまま。なかでも店内のあちこちに散りばめられた、大正・昭和の名建材 “泰山タイル” は一見の価値あり。

また、きんせ旅館には「いわし珈琲」という珈琲豆屋さんの焙煎所が併設されています。玄関ロビーで香しいイイ匂いを漂わせながら、職人さんが直火式の小さい焙煎機でコツコツ丁寧に焙煎されています。

京都の町散策は歩く距離も長いので、僕はよく「京都まち歩き」一日の締めくくりとしてこちらの珈琲をゆっくり飲んで、ほっこりと余韻に浸って帰路につくこともしばしば。現在、きんせ旅館はカフェバーと、一日一組限定の貸し切り旅館として営業されています。

今日の京おみや

歴史ある島原の町には老舗の和菓子屋さんが何軒かあります。今回はせっかくなので花街の趣を感じるおみやを買って帰る事にしました。

伊藤軒老舗の「太夫最中」

花屋町通り沿いにある和菓子屋さん。銘菓の「太夫最中」の中には独自の製法で炊き上げた優しい甘さの大納言小豆が入ってます。季節のお菓子や定番のそば饅頭、くず湯も人気とか。

まとめ

京都の中心街からは少し南に外れているので、人も少なく静かな町並みの島原ですが、JR京都駅から徒歩20分ぐらいで行けちゃいます。現在の島原には一大花街としての華やかさは残っていませんが、その歴史や痕跡は十分に味わうことができると思います。

いやー本当に京都って楽しい町ですね。

では、また!

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今回行った場所

島原大門

輪違屋

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