新緑のみどりと空の蒼がきれいな休日、ずいぶん久しぶりに大阪城に行ってきた。
半世紀近く大阪に住みながら、大阪城天守閣に登ったのも多分、幼少の頃から数えて三度目ぐらいだろうか。
近年、大阪を訪れるインバウンド観光客は増え続け、大阪城公園内に入ってから天守閣までの間にすれ違った人の半数、いや六割以上は外国人の方だった様にも思う。
途中、喉が渇いたので観光客で賑わう売店に入ると、アルバイトの女の子が僕の顔を見るや笑顔で「ニーハオ」と優しく注文を聞いてくれた。
せっかくなので、僕も中年にできる精一杯の笑顔で「ワラプリーズ」。渾身のチャイニーズイングリッシュも虚しく、可愛らしい店員さんが「オッケー」と言って持ってきた生ビールがとても美味しかった初夏の1日のお話しです。
大阪城公園 「においの森」
大大阪と近代建築
大正後期から昭和初期にかけて、東京を凌ぐ東洋一の商都として大阪が栄えた時代。時の大阪市を人々は “大大阪” と呼びました。
日本の経済・文化の中心として栄華を極めた時の大阪の町には、日本一多くの人が住み、豊かな文化が花開き、数多くの近代建築が建設されます。
大阪市の中心部には100年近くの時を超えて、数多くの近代建築が今も残っています。
三代目 近代建築 “大阪城” と その愉快な仲間たち
今、建ってる大阪城天守閣や石垣が豊臣時代のものでは無いのは有名な話。豊臣秀吉が石山本願寺跡に築いた一代目の天守閣は大坂夏の陣で大破し、徳川時代に規模を拡張して築かれた二代目天守閣も落雷によって消失。以降、266年間、大坂城は天守を欠いた城でした。
現在の三代目天守閣は大大阪時代の1931年(昭和6年)、当時の大阪市長「関一」の呼びかけで市民らの寄付によって建造された、鉄筋コンクリート造の “近代建築” になります。
また、かつての大阪城周辺一帯は “日本最大級の軍事エリア” だった事、明治期における日本の近代工業と欧米文化移植の勃興に重要な役割を果たした造幣局が近くにあった事。それらの理由などにより、大阪城を中心とした界隈にはレトロな近代建築が現在もいくつか点在しています。
旧大阪砲兵工廠跡
今回は大阪城周辺エリアの近代建築レトロビルをゆっくり散歩して回ってみたいと思います。
大阪城天守閣
何はともあれ、まずは「大阪城天守閣」。
現在の三代目大阪城の再建が決まったのは大正末期。大阪市が人口面積共に日本一の都市となった事を記念し “大大阪記念博覧会” が、天王寺公園を第一会場に、大阪城跡を第二会場として華々しく開催されました。
出典:大阪市デジタルギャラリー
博覧会では天守台跡に豊臣家の繁栄をしのぶ二層の仮説建物が建てられ、 “豊公館” と名づけられます。開催わずか45日間にもかかわらず、豊公館には70万人近くの入場者があったそうです。
これが契機となり、昭和天皇即位を記念する御大典事業の一環として、大阪城天守閣の復興が決まりました。
太閤秀吉の天守閣再現にあたっては、建築・意匠・構造・歴史、各方面の専門家がバックアップするプロジェクト体制で進められます。
出典:大阪市100年
設計を行った大阪市土木部建築課は、鉄骨鉄筋コンクリート造による “永久建築” にすること、可能な限り “豊臣期の天主” の姿を再現する事を目指したという。
幾多の問題を乗り越えて迎えた、昭和天主閣落成の日は街をあげてのお祭り騒ぎだったそうです。
旧第四師団司令部庁舎
三代目大阪城と切っても切れない深い関係なのが、天守閣のすぐ横に時を同じくして建てられた「旧第四師団司令部庁舎」。
外観意匠は、大阪城の日本的な城郭建築のそれとは対照的な、ヨーロッパの古城を模したロマネスク様式のデザイン。ふたつの城郭建築の対比がコンセプトだったとも言われているようです。
本丸より高い軍施設!?
先述の通り、大阪城天守閣は市民らの寄付によって再建されました。住友財閥の住友吉右衛門氏の大口寄付25万円を筆頭に集まった総額は150万円。
当時の大阪城内は日本最大級の軍事エリアだったので一般市民は気安く入れませんでした。大阪城天守閣が再建されると、そこに膨大な数の観光客が入ってくるのですから軍部も簡単に承諾はしなかったみたい。
しかし、天守再建は昭和天皇の御大典記念事業です。軍部もいくつかの条件を付けて応じざるを得ませんでした。その条件で建てられたのが、この第四師団司令本部の本庁舎というわけです。
「大阪城建てさせたるから、そのかわりに寄付金でちゃんと軍用施設もつくってぇや !」という、いかにも大阪人らしい発想。
ちなみに天守閣の建設費は約50万円、第四師団指令本部庁舎の建設費は約80万円。おいおい、本丸より金かかってんじゃねぇかよ。なので、大阪城に行ったら必ず見て帰りましょうね。
旧第四師団司令部庁舎(ミライザ大阪城)
終戦後は、大阪市警視庁本部庁舎として使用された後、1960年(昭和35年)から40年間、大阪市立博物館として使用されました。その後長らく使用されていませんでしたが、2017年からレストランなどが入る商業施設 “ミライザ大阪城” として一般利用されています。
大阪府庁本館
大手門を抜けて上町筋に出ると大阪城に正面を向いて建つのが「大阪府庁本館」。あまり知られていないのですが、こちらの現役府庁も1926年(大正15年)に建てられた大大阪時代の近代建築のひとつ。
イタリア産の大理石で作られた大階段が二階まで続くエントランスホールの吹き抜けは、府庁舎に相応しい重厚な趣きがあります。映画「HERO」やドラマ「華麗なる一族」などでロケ地として使われた事でも有名です。
正庁の間
二層吹き抜け構造の天井に鮮やかなステンドグラスが施された「正庁の間」。こちらは、年末年始の行事や式典、執務室などに使われていた部屋となります。
旧大阪砲兵工廠化学分析場
府庁を出て大阪城を囲む外濠沿に歩を進めると、かつてこの辺りが軍事エリアだった痕跡を残す煉瓦造の建物がひっそりと佇んでいます。
現在の大阪城公園の辺り一帯には、終戦までの間、アジア最大の兵器工場「大阪砲兵工廠」なるものが存在していました。第ニ次世界大戦前にそこで働いていた人の数はなんと6万人。
8.15の終戦直前に米軍の爆撃によって殆どの建物が徹底的に破壊され、その後に整備されているためその面影を見ることは出来ませんが、現存する数少ない戦争遺構のひとつがこの「旧大阪砲兵工廠化学分析場」。
大正中期に建てられたネオ・ルネサンス様式の化学分析場は、かつて弾薬や化学兵器の開発が行われていた建物です。朽ち果てるだけでなく、何かしらの有効活用がされる事を期待しています。
旧大阪市公館
「旧大阪市公館」は、1959年(昭和34年)に日米市長会議が大阪で開催されるのを機に迎賓館として建造された戦後昭和のモダニズム建築。
外観の要所にレリーフテラコッタを配し、室内はアールデコ調の装飾が施されています。
数多くの国際会議や式典をとり行い世界中の賓客をもてなしたモダニズム建築は、現在「THE GAEDEN ORIENTAL OSAKA」に名前を変えてレストラン・ブライダル施設として営業されています。
静かな立地もあってどこか隠れ家的な雰囲気もあり、ちょっと贅沢なランチにオススメです。
泉布観
藤田邸跡公園を抜けて大川を渡ると、桜の通り抜けで有名な “造幣局” が見えてきます。国道1号線を挟んで向かいに建つのが「泉布観」。大阪最古の洋風建築です。
大阪でコロニアルスタイルの外観意匠の建築は珍しいですよね。泉布観は1871年(明治4年)に造幣寮の応接所として建設されました。
貨幣を意味する “泉布” と、館を意味する “観” から泉布観と命名。明治天皇も3回も訪れ皇族や外国の要人を数多く迎えたそうです。現在は国の重要文化財に指定されています。
例年、3月に3日間だけ内部の公開が行われます。
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旧桜宮公会堂
最後は泉布観の敷地内に隣接する「旧桜宮公会堂」。もともとは造幣寮の工場群の中心的建造物であった “鋳造所” の正面玄関部分を移設し “明治天皇記念館” のファサードに用いたもの。
後にユースアートギャラリーという大阪市の振興施設として利用され、現在は「旧桜宮公会堂」の名でパーティーレストランとして現役利用されています。
その重厚な佇まいは、同じ明治初期に生まれた泉布観とはまた違った趣きがあります。
あとがき
400年以上前に太閤秀吉が造った大阪城と大阪のまち。さらに昔の奈良・飛鳥時代に日本の中心地として繁栄を極めた難波宮。上町台地を舞台に、古代・中世・近代とそれぞれの時代で様々な文化や建築が生まれました。
台地の先端に位置する大阪城界隈は、大阪の歴史がギュっと詰まった本当にオモロイエリアです。
今回は僕の好きな「近代建築散策」をテーマに歩いてみましたが、また少し視点を変えてみると、意外な歴史発見があるかも分かりませんね。
今回行った場所
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