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長野

木曽路「奈良井宿」江戸時代の風情が残る宿場町を訪ねる

投稿日:

S.L
中山道の宿場町へ !


中山道 木曽路 「奈良井宿」

長らく行きたいと思っていた、中山道は木曽路の宿場町へ行ってきた。

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

島崎藤村 「夜明け前」

馬籠宿の出身である、文豪 島崎藤村の「夜明け前」の書き出しにもある様に、木曽路は山の中を走り断崖絶壁を通る街道。 したがってそこに点在する宿場も四方は山に囲まれていて、町自体が壮大な山間部の自然と一体化しているのがとても印象深かった。

木曽川に沿って険しい峠を越え、深い谷を抜け山の底を縫うようにして伸びる木曽路とそこに寄り添う宿場町。そこに生活する人たちは江戸時代から営々と続く暮らしを守りながら、宿場の景観を大切にしながら住まい続けておられます。



奈良井宿

中山道 (なかせんどう) とは江戸時代に幕府が整備した五街道のひとつで “東海道” と同じく京都の三条大橋から江戸の日本橋までを結ぶもの。

中山道は東海道に比較して、距離は長く山も険しいが、難所は少なく幕府の取り締まりも東海道ほど厳しくなかった様で、参勤交代のルートに中山道を選ぶ西国大名たちも多かったとか。

木曽路は中山道の一部にあたり、道中には十一の宿場があります。 “奈良井宿” はその昔、難所の “鳥居峠” 超えに備える宿場として栄えた町。「奈良井千軒」とも呼ばれ、木曽十一宿中、最も賑わった宿場になります。

明治時代に入り鉄道や国道の整備により多くの宿場が衰退していくなか、奈良井宿は道路改修の際に国道開発から外されたため、往時の宿場の町並みが現在に至るまでほぼ完全に保存されています。

江戸時代の面影を色濃く残した美しい町並みが約1kmに渡たり広がる光景は圧巻の一言。 古い町並みや建造物は人よりも見慣れている方だが、統一された町の景観とそれらを囲む深い山の木々が一体となって作り出す宿場の雰囲気は、言葉で言い表せない感動がありました。

街道沿いには電柱と電線はなく、軒を並べる旧家や民宿もエアコンの室外機などは通りから直接見えない様に配慮している。 いかにも観光地といった様な興ざめな看板などが視界に入ることもなく、空がとても広く感じられた。

電線については都会のプロムナード整備のように地中に埋設しているわけではなく、家々の裏側に電線を通してうまく見えない様に工夫されている。

国から宿場町として “重要伝統的建造物群保存地区” に指定されている奈良井宿。

街道に面した家々は、街道側から見えるところは、勝手に改装してはいけない。町並みを守るために「売らない」「貸さない」「壊さない」という三原則が貫かれているのだとか。

京都でも滅失の進行に拍車がかかる “京町家” を残すために、2017年に「京町家の保全と継承に関する条例」が制定されましたが、何十年もの間、そこに住む町の人々が保存地区を守りながら、住み継いでいるというのは素晴らしい事だと思う。

山々に囲まれた木曽では、古くから檜物細工などの木工業が栄え、江戸時代には奈良井宿で売られる木工品や漆器は旅人のお土産品として高い人気を集めたそうです。

街道沿には古民家を利用した土産物店や良い雰囲気のカフェや雑貨店などが軒を並べ、昼間には町を散策する観光客も多い。

日が暮れて夜になると、町の人々や宿泊客が一斉に街道に出て来られて、軒先で火をくべ花火に興じておられました。 なかなか幻想的な光景でしたが、これは夏季限定の行事なのかな?

次に来るときは是非一泊して木曽路最大の宿場町の違った顔も見てみたいと思う。

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今回行った場所

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