全国1億2千万の “京都LOVER” の皆様こんにちわ。
何回、訪れても飽きることのない京都のまちですが、寺社仏閣やお庭めぐりだけではなく、明治期以降のレトロな近代建築が何気なく、まちにとけこんでいるのも魅力のひとつですよね。
THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO
文明開化の香りを伝える麗しき洋館や、京都ゆかりの建築家 W.M.ヴォーリズ、そして武田五一らが手がけたユニークな建物たち。
京都画壇を代表する日本画家の大邸宅から、元銭湯に遊郭建築まで、当時の美しい姿を保ったままレストランやカフェとして現在も活躍するオススメの名店を、過去の訪問時に撮影した写真と合わせて記事に纏めてみました。
どうぞ最後までお付き合いください!
長楽館
円山公園の入口付近に佇む “長楽館” は明治の煙草王と呼ばれた村井吉兵衛の別邸として建てられた建築です。
館の命名は初代内閣総理大臣の伊藤博文とあって、明治期に日本の礎を築いた財界人や各国の皇族や大使が集い、優雅な佇まいのなか、華やかなひとときを過ごしたといいます。
竣工から110年を超える京都市有形文化財の長楽館は、ホテルとして、またレストラン&カフェとして現在も多くの客人を迎え入れています。
迎賓の間
かつて、応接室として使用されていたロココ様式の「迎賓の間」は、アフタヌーンティー専用のお部屋。英国式アフタヌーンティースタンドにはスコーンやサンドウィッチが並び、優雅なティータイムを彩ります。
また、東京の 鹿鳴館 と肩を並べた華麗なる京の迎賓館は、西洋の数々の建築様式を取り入れて建てられており、各所に配された幾つもの部屋たちは異なったコンセプトのインテリアで纏められています。
球戯の間
鳳凰の間
ステンドグラスが美しい彩りを見せる「球戯の間」。国内外から訪れた賓客のゲストルームとして使用された「鳳凰の間」。幾何学模様のタイルや中国風のデザインが用いられた「喫煙の間」などなど…。
その殆どが、現在もカフェとして利用できるので、機会があれば何度か訪れてみたいですね。
フランソア喫茶室
四条河原町の交差点から西木屋町通に歩を進め、高瀬川に沿って少しだけ下ると、こじんまりとしながらも洋風の小洒落た外観意匠をした、昭和9年創業の老舗カフェ “フランソア喫茶室” が見えてきます。
店内は豪華客船のホールをイメージしたイタリアン・バロックを基調とする装飾が要所に施され、通りに面した半個室の空間に配されたステンドグラスから柔らかい光が店内に運ばれます。
人々が言論を制限され不自由な環境下にあった戦時下の昭和初頭。一軒の町家を改装して生まれたフランソア喫茶室は、誰もが平和や未来・文学・芸術について語り合える「文化と自由のオアシス」のような場所だったといいます。
そんな文化的雰囲気に惹かれてこの店に通った青年の中には、藤田嗣治や宇野重吉といった後のビッグネームもいたのだとか。
喫茶店として初めて国の登録有形文化財に指定されたフランソアは、時代を超えて今も多くの人に愛されています。
築地
四条河原町から木屋町へぬける静かな細い路地を進むと、程なくして、どこかノスタルジックな雰囲気を醸し出す木造建物が見えてくる。
昭和9年創業の “築地” は、初代店主が好きだったという築地小劇場にちなんで名付けられた老舗喫茶店です。
ヨーロピアンテイストのアンティーク家具や、造り付けの飾り棚などが所狭しと置かれた飴色の店内にはワルツが流れ、赤いビロードのクッションの座面とアールデコ調の意匠が施された木製の椅子が整然と並んでいます。
珈琲を注文するとクリームが添えられた築地名物のウインナーコーヒーが運ばれてくる。
重厚なインテリアだけではなく、ファサードに散りばめられた色鮮やかな “ 泰山タイル” もまた築地を強く印象付けるマテリアルのひとつ。美術工芸品といわれた昭和の名建材で飾られた外観は、唯一無二の存在感を感じさせる。
東華菜館
鴨川河畔で独特の佇まいを見せる “東華菜館” は、少しばかり京都の風情とは似つかわしくない姿形をしていますが、京都人にとってはおよそ100年以上前から慣れ親しんだヴォーリズ建築です。
ミッションスクールや教会建築、大丸百貨店などの大きな商業施設から小さな個人住宅まで、大正期から昭和初期にかけて数多くの西洋建築を日本各地で手掛けた W.M.ヴォーリズ。
ヴォーリズ自身が設計した建築が、現在カフェなどに用途変更されているものは幾つかありますが、創建当時から「レストラン」としてヴォーリズが手掛けたのは、生涯のうち東華菜館だけ。
大正15年竣工の現東華菜館は、もともと西洋料理店「矢尾政」の二代目店主 浅井安次郎氏が、ニュースタイルのビアレストランをイメージしてその設計をヴォーリズに依頼したもの。
次第に戦時色が深まる中、洋食レストランの存続が許されない状況になり、戦後、建物は店主の友人であった中国人へと託され、昭和20年に北京料理店として、現在の東華菜館へと生まれ変わりました。
フロアごとに配された個室や宴会場などの多くの部屋が鴨川に面しており、其々の窓からは鴨川や東山が一望できます。個室は人数に応じて、半個室や完全個室など様々なタイプの部屋が用意されています。
若干、敷居が高くも感じられる老舗中華料理店「東華菜館」ですが、フルコースだけでなく一品料理からオーダーできるので、京都のまち歩きを楽しんだ後、気軽に立ち寄ってみるのもおすすめです。
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GOSPEL
哲学の道の一本西を並行して走る鹿ヶ谷通に立つ蔦の洋館 “GOSPEL” 。人気のカフェですが意外とこの建物がヴォーリズ建築ということはあまり知られていません。
比較的新しい昭和57年の建築なので W・M ヴォーリズ自身の設計ではなく、ヴォーリズ氏の理念を継承し現在も設計活動を行なっている “一粒社ヴォーリズ建築事務所” の手によるもの。
当初は2世帯住宅として建てられた洋館ですが、現在は建物の2階がカフェとして利用されています。
ヴォーリズらしいデザインが施された木製階段はスローな空気が流れる2階へと繋がる。1920年代のアンティーク家具で統一された店内に流れるJAZZの調べがとても心地よい。
窓際のテーブル席からは、東山の山並みと閑静な住宅街の風景をゆっくりと眺めながら珈琲を愉しめる。時折、店内にあるチェコのピアノを使ったサロンコンサートが行われるといいます。
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さてさて…
“ヴォーリズ建築” のレストラン&カフェに続いて、もう一人の京都ゆかりの名建築家 “武田五一” 作のお店を3つご紹介します。どれも元々は飲食店とは異なる用途で建てられた建物ですが、創建時の面影を残しながら巧みに用途変更されています。
FORTUNE GARDEN KYOTO
旧島津製作所本社ビル
二条河原町の瀟洒なビル “FORTUNE GARDEN KYOTO” は、近代建築の巨匠「武田五一」の設計監修によって昭和2年に誕生した島津製作所旧本社ビル。
100年近く京都の街の発展とともに歩んできた名建築は、現在レストラン&ウェディングのスペースとして新たな歴史を刻んでいます。
昭和のモダンなオフィスビルは、創建当時の趣を残しながら見事に修復・復元されています。武田五一がいち早く取り入れたアール・ヌーヴォーやセセッションなどの近代建築の意匠が残り、近代京都の歴史を感じる事ができます。
シーリングファンが軽やかに回る高天井のホールもさることながら、竹林の中庭に面した開放的なテラス席もとてもロケーションが良い。店員さんにお願いすれば、とても珍しい蛇腹式のエレベーターも見学させていただけます。
夢二カフェ 五龍閣
旧松風嘉定邸
清水寺の参道の中ほど、メインストリートから小道に入ると、不思議な雰囲気を醸しだした建物が姿を現す。明治の起業家 松風嘉定 の邸宅として、武田五一が大正期に手掛けた元住宅建築です。
現在は “夢二カフェ五龍閣” という名のレストランカフェとして活用されています。
一階の大広間には赤絨毯が敷き詰められ、重厚な趣きの装飾が上品な空間をつくっています。往時はここでゲストを招いてダンス会を行ったという。今は喫茶室として使われる大広間も、よく見ると暖炉や扉が二つあり、もともとは2部屋だったことがわかります。
宮殿を思わす大きな階段ホールの壁面には、かつて油絵が飾られていて立体ギャラリーの様な雰囲気だったといいます。現在の店名である「夢二」とは、大正浪漫あふれる美人画で一世風靡した画家 竹久夢二のこと。店名には夢二の作品がたくさん飾られています。
創建当時から迎賓館としての要素も併せ持っていたという当建築は、湯豆腐の名店「順正」に受け継がれ、現在もカフェという形態で多くの人々を迎え入れています。
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緩やかな坂道に土産物屋が軒を連ねる清水寺の参道の中ほど、メイ ...
※ 夢二カフェ五龍閣は現在休業中となります。
Cafe Independands
1928ビル(旧毎日新聞京都支局)
近代モダン建築が立ち並ぶ三条通りの “1928ビル” は、その名の通り、1928年(昭和3年)に毎日新聞京都支局として武田五一が手掛けた建築です。
新聞社移転後、老朽化による解体の危機を乗り越えて、現在ではレストランやアパレル店、ギャラリーなどが入るエンターテイメント施設にリノベーションされています。
“Cafe Indépendants” は、長年廃墟同然だった地階を様々なアーティストたちが創建当時の姿に復元し、新たなデザインを加えたカフェ&バー。地階のため日中でも店内は薄暗く、どこかアンダーグラウンドな雰囲気が漂います。
剥落した漆喰壁画や貴重なタイル、シャワールームの名残りと思しき赤煉瓦などはそのまま保存され、壁側に並ぶ大きなテーブルは、毎日新聞社講堂で長年使われてきたものだそうです。
また店内の腰壁にぐるっと施されている朱色の艶っぽいタイル。こちらも昭和の名建材 “泰山タイル” だという。
THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO
旧竹内栖鳳邸 “THE ATELIER”
京都らしい風情が残る人気スポットの二寧坂。
シンボル「八坂の塔」の隣地に広がる “THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO” は、日本画壇の巨匠 竹内栖鳳 が昭和4年に建築し、晩年の13年を過ごした旧住居兼アトリエです。
“THE SODOH” は、大家 竹内栖鳳の没後、手付かずのまま永らく時を刻み続けていた、旧栖鳳邸である別名 “艸堂” をイタリアンレストラン&ウェディングスペースにリノベーションしたもの。
生活空間と別荘空間を折衷したという邸宅は、1,300坪の敷地に175坪という桁外れな大きさであり、その規模から建築主の偉大さが伺える。
バンケットルームとして使用されている2階の “THE ATELIER” は栖鳳がアトリエとして最も多くの時間を過ごした空間で、手が届きそうな距離に八坂の塔を望めます。
“THE SODOH HIGASIYAMA KYOTO” は先に紹介した “FORTUNE GARDEN KYOTO” と同じ会社が運営されているのですが、どちらも店員さんのホスピタリティマインドが高く、かなりおすすめできる 歴史的建造物レストラン です。
この素晴らしいローケーションで、京都の新鮮な旬の食材を使ったイタリアンのコースランチが気軽に愉しめるのは嬉しい。
緑豊かな庭園には、隅々にわたって栖鳳の美意識が宿り、レストランとして生まれ変わった今も、その空間は美しく受け継がれています。
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「旧竹内栖鳳邸」THE SODOH から眺める京都東山の紅葉
THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO 京都 ...
THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO 公式HP
楽々荘
京都亀岡の “楽々荘” は京都鉄道株式会社の創設者で、明治時代の政治経済界の大物、田中源太郎が明治31年から約5年もの歳月を費やし建てた旧別邸のこと。
昭和期に田中家の手から離れた当館は、旅館「楽々荘」を経て、現在は「がんこ京都亀岡楽々荘」の名前でお食事処としてリニューアルしています。
洋館は創建時の趣きを彷彿させる家具や調度品が美しく飾られ、天井には華やかなシャンデリアや凝った照明など往時の華やかな雰囲気が演出されています。
2階のベランダは重厚な応接間の雰囲気から一転、 パステルグリーンと白に塗られた軽やかな空間のコントラストも面白い。
楽々荘は築後120年以上も経過する建築ですが、非常に美しく保存されています。食事を愉しんだ後は、明治のカリスマ庭師「七代目 小川治兵衛」作庭の日本庭園も見学して帰りましょう。
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先日、京都亀岡の美しい洋館 “楽々荘” で静かなランチを楽し ...
さらさ西陣
京町家が今も多く残る西陣エリア。 界隈には昔ながらの銭湯もちらほらと…。
ファサードに色っぽい唐破風を備えた “さらら西陣” は、大正時代からの面影を残した元銭湯をカフェに用途変更した建物です。
壁一面を被った鮮やかな和製マジョリカタイル、見上げるほどに高い天井。吹き抜けには明かり取りの天窓があって、空の色が移り変わる様子を眺めることができます。
むっくりとした大きなソファーや、味わい深い木製の椅子がゆったりと配置され、どこかスローな空間で、お客さんが思い思いにのんびりとした時間を味わっている。
立ちこめる湯気のなかで裸の付き合いをしていた大正時代から時を経て、湯気は珈琲や料理から上がるそれへと変わり、老若男女は分け隔てなく寛いで時を過ごします。
変わりゆく京都の風景のなかで、変わらずに昔の姿をとどめたまま営業を続ける “さらさ西陣” 。カフェで寛いだ後は、すぐ近くにあるリアルなレトロ銭湯 “船岡温泉” とセットでほっこり…というのもありかもわかりません。
きんせ旅館
幕末期には祇園をしのぐ賑わいを見せ、江戸の吉原、大坂の新町と並んで日本三大遊郭として栄えた、京の旧花街「島原」。
現在は静かな町並みですが、元揚屋の 角屋 や、元置屋の 輪違屋 など、花街として隆盛を極めた時代の建築がいくつか残っています。
京都島原 きんせ旅館
推定築年数250年の元揚屋 “きんせ旅館” は、時代の移り変わりと共に旅館となり、現在も当時名前を残したまま、カフェ&バー、そして一日一組限定の貸切旅館として営業を続けています。
玄関先の暖簾を潜って中に入ると外観の趣きとは全く違った、煌びやかな空間が広がる。華やかなステンドグラスに、大正ロマンを感じさせる折り上げ格天井など、飴色の室内が一気に大正レトロの世界へとタイムスリップさせてくれます。
きんせ旅館は、江戸時代に建てられた元揚屋建築を、大正末期あたりに現店主の曾祖母が買い取って洋風モダンなテイストに改装されたとのこと。現在の内装や家具は、ほぼ当時のままだという。
なかでも店内のあちこちに散りばめられた “泰山タイル” は一見の価値あり。
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茂庵
緑に囲まれたカフェ “茂庵” がある吉田山は、白川通のあたりまで裾野を広げる自然豊かな小高い山で、どこか神秘的な雰囲気が漂う場所。
手付かずの自然が多く残る緑地を歩いてみると、吉田山が神々の鎮座する山として古来から神聖化されてきたというのも何となく分かる気がします。
“茂庵” の名は、近代京都きっての数寄者、谷川茂次郎 の雅号に由来します。
かつて、谷川が吉田山の山頂に開いた広大な茶苑「茂庵庭園」。当時の点心席(食堂棟)がカフェとしてリノベーションされ、現在の人気カフェ茂庵が生まれました。
茂庵のキャッチフレーズでもある「市中の山居」とは、中世の文化人が唱えた、都市の中に見出される静寂の境致の事。町中に居ながらにして山中の風情を楽しめる茂庵にぴったりのフレーズです。
窓際のカウンター席に座れば、木々の間から眼下に京都市内が見下ろせる。 穏やかな季節には窓が開け放たれて、風に揺れる外の木々の騒めきが聞こえるといいます。
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