茂庵(旧谷川茂次郎茶苑)
茂庵 がある吉田山は、白川通のあたりまで裾野を広げる自然豊かな小高い山で、どこか神秘的な雰囲気が漂う場所。
手付かずの自然が多く残る緑地を歩いてみると、吉田山が神々の鎮座する山として古来から神聖化されてきたというのも何となく分かる気がする。
大正時代にこの吉田山の一部を買い取り、東山と向き合う斜面一帯に広大な茶苑「茂庵庭園」と、瀟洒な住宅街「谷川住宅群」を開発したのが、現在の人気カフェ 茂庵 の生みの親である 谷川茂次郎 という人物だ。
大正時代の家並みを歩いて
一杯の珈琲までの道のりも楽しめるカフェ。茂庵にそういった印象を持っている方も多いのではないだろうか。
吉田山の山頂に位置する茂庵までのルートは幾つかあるが、僕は谷川茂次郎が手がけた大正モダン建築群の中を向かう「神楽岡コース」をお薦めする。
吉田山の東斜面に整然と並ぶ銅板葺きの「谷川住宅」は、往時、京大の教官に向けて造られた高級住宅群で、石の階段と石垣に包まれた町並みは、山の斜面と優れた眺望を活かすよう雛壇上に形成されており、全ての住宅から東山の大文字が望めるように設計されている。
茂庵への道
谷川茂次郎はこの吉田山北東部の開発にあたり、谷川住宅群と自らの茂庵庭園の繋がりを、都市から市中の山居へ移行するというストーリーを持って、連続性のあるデザインを用いながら同時に構成したと考えられている。
色鮮やかな紅葉を眺めながら石段を登り、道標にしたがって小径に入ると山中のロケーションへと変わる。
鬱蒼とした木立のなか、谷川住宅群からの意匠を引き継いだ細いアプローチを歩いていると、一足ごとに雑踏が消えて、現実世界から遠ざかる様な感覚を覚える。
しばらく行くと、木陰の奥に目指す建物のシルエットが見え始める。隠れ家的カフェのイメージからすると想像よりも大きい印象を持つ。やがて、緑に囲まれた茶苑「茂庵」が姿を表す。
茂次郎と茂庵
「茂庵」の名は、近代京都きっての数寄者、谷川茂次郎 の雅号に由来する。
幕末生まれの谷川茂次郎は、若いころから独立心に溢れ、幾つかの事業を経験したのち、大阪で新聞用紙を中心に扱う運輸業を興した。 明治・大正の激動の時代を映す新聞業界の興隆と共に事業は順調に成長し、茂次郎は大きな財を成す事になる。
事業に成功した茂次郎は、のちに茶道に親しみ裏千家に入門。流儀の発展に貢献したことから今日庵の長老として遇されたという。 数奇者としても造詣を深めていった茂次郎は、吉田山の山頂に広大な森の茶苑「茂庵庭園」を築きあげた。
かつては八席の茶室とそれらを結ぶ路で構成された広大な茶苑だった様だが、今日、山中に現存するのは当時の点心席(食堂棟)と茶席が二棟。 旧点心席がカフェとしてリノベーションされ、現在の人気カフェ茂庵が生まれた。
創建時から内外部共に大きな改装はされておらず、往時の趣のまま保存されていると思われる。軸組や小屋組は丸太で構成され、東面の一階壁面を後退させた懸崖造りの様な外観意匠となっている。
茂次郎の時代は、この点心席で賓客に食事をもてなしてから茶室へと向かったそうだ。
丸太組の構造現しとした内部意匠は、やや無骨な山荘建築の様な印象も受けるが、明るいインテリアと大きな硝子窓の向こうに見える辺り一面の緑と調和して、実に穏やかな癒しの空間をつくりだしている。
市中の山居で珈琲を愉しむ
茂庵のキャッチフレーズでもある「市中の山居」とは、中世の文化人が唱えた、都市の中に見出される静寂の境致の事。町中に居ながらにして山中の風情を楽しめる茂庵にぴったりのフレーズだと思う。
窓際のカウンター席に座れば、木々の間から眼下に京都市内が見下ろせる。 穏やかな季節には窓が開け放たれて、風に揺れる外の木々の騒めきが聞こえるという。
喧騒から離れた山中の静かな茶苑には、緩やかな時間が流れていた。
今回行った場所
茂庵
大正時代の家並み
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