京都市街地の北東のはずれに、通称 “たぬきでら” と呼ばれる修験道の寺があるのをご存知でしょうか?
紅葉で有名な詩仙堂から比叡山の麓へと足を伸ばし、宮本武蔵の “一乗寺下り松の決闘” で有名な八大神社にお参りを済ませて、さらに一本道を山へ山へ、奥へ奥へと10分ほど歩くと、かなり自然豊かなロケーションに変わる。
気付くといつしか、まわりには観光客がひとっこ一人居なくなり、やがて、どんつきに差し当たると、苔生した一基の鳥居、狸谷山不動院と刻まれた大きな石柱、そして無造作に置かれた無数の信楽狸たちが、くりくりとした可愛らしい眼でお出迎えをしてくれます。
タヌキダニのお不動さん!
狸谷山不動院の起源は、桓武天皇が平安京の北東に位置するこの場所に、鬼門封じとして不動尊を安置したのが始まりとされています。 その昔、かの宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に、滝行をしたという伝説も残る地です。
修験道の寺に相応しく、本殿の不動明王までたどりつくまでの道のりが、まあまあ長い。 本殿までは250段の石段をひたすら上ります。夏の参拝に、着替えのTシャツは必須アイテムと言っていいでしょう。
山門に置かれた狸軍団の傍らに建てられた “阪神タイガース優勝記念 監督吉田義男” という石碑を横目にして、 「虎か狸かどっちやねん」 と、心の中で軽く突っ込みを入れながら歩を進めていく。
伏見稲荷大社を彷彿させる鳥居を潜って弁財天を参ると、そこからは急勾配の石段が上へ上へと続きます。山伏の修行とは比較にはならないでしょうが、高さを上っていくという事に関しては、ライトな修行気分は十分に味わえると思う。
時折、参道に現れる七福神や、階段途中で参拝者をお迎えする弘法大師像、そしてどこかユーモラスな信楽狸の一行たちが、目を和ましてくれます。
一説によると、もともと、ここの名称は、鬼を除霊する力を持つ 咤怒鬼不動明王 がはじまりで、動物の狸とは関係なかったとのだとか。地名も狸谷山だったという事もあり、どこか威圧感のある “咤怒鬼” より、可愛らしい “狸” の方が、違和感なくしっくり馴染んだのでしょうね。
江戸時代の開山から300年を迎えた狸谷霊山ですが、1944年(昭和19年)に修験道大本山一乗寺狸谷山不動院として再興されるまでの230年間は、もっと険しい山道を上って狸谷不動明王へ参拝していたといいます。
石段を登り切って最後に視界が開けると、懸崖造りで建てられた、まるで清水の舞台の様な本殿が現れる。
本殿の建立も昭和の再興時との事ですが、よくもまあこんな山奥にこれほど大きな規模の木造建築を、山にへばりつく様に建てたものだと感心させられる。一息ついて、滴り落ちる汗をぬぐいながら不動明王をお参りした。
なぜに狸づくし?
入口や参道に大量に奉られた “狸” たち。
これは、“ 他を抜く → 他抜き → タヌキ ” ということから、その効用を願う人が信楽狸を奉ったり、成功した人がお礼に持ち込んだりしたものが、一体、また一体と、数が増えていったのだとか。
そしていつしか、商売繁盛や芸事、スポーツの上達の祈願に多くの方が参拝に来られる様になったそうです。
本殿の斜め向いの位置にある三社明神堂のまわりには、様々な狸たちがお堂を一周囲むようにしてお供えしてあります。
古いものもあれば新しいものもあり、大きなものから小さなものまで、また、様々なポーズをとったり、豊かな表情をもった狸たちが整然と並んでいます。
これが計画的、組織的に並べられたものではなくて、お寺が狸の奉納を寛容に受け入れたものが徐々に増え始め、いつしかこうなったというのが実におもしろい。
僕も、ここに 「麗しの狸軍団」 が奉られていなければ、ずっと狸谷山不動院の存在は知らぬままだったかもしれない。
まとめ
「タヌキダニのお不動さん」は、観光スポットとしてはあまり馴染みの無い寺院ではありますが、昨今、霊験あらたかなパワースポットとして注目を浴びているといいます。
また、狸だけではなく、宮本武蔵が心の剣を磨いたといわれる武蔵之滝が境内にあったり、歴史好きにもおすすめです。
では、また!
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今回行った場所
狸谷山不動院 公式ホームページ