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京都「秦家住宅」住み継がれる京町家の美しい暮らし

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S.L
京都 太子山町へ!

秦家はたけ住宅” のある京都「太子山町」は、山鉾町の西南の端にあり、祇園祭には太子山を京のまちに繰り出す。秦家は太子山の御神体である聖徳太子を祀る会所飾りの役割を担う。

太子山は聖徳太子が四天王寺を建立するために良質の杉材を求めて山に入り、見つけた霊木で六角堂を建立した故事に由来する。

秦家は江戸初期から昭和61年まで12代にわたって太子山町で薬種業を営んできた商家だ。初代松屋與兵衛の創業から300年以上の歴史を持つ。


秦家住宅「ミセ」

家伝薬「竒應丸きおうがん」の名を掲げる秦家住宅は、伝統的商家の趣を残す表屋おもてや造りの京町家であり、美しい京都の暮らしを今に伝えている。




京の薬の大関、“秦家” 太子山町奇應丸

現在の秦家住宅は、幕末の動乱機におこった元治の大火で焼失後、明治2年に再建されたもの。 同様の理由で京都中心部に残る京町家の多くは明治時代以降のものが殆どだが、築150年を超える京町家は古い部類に入る。

間口5間を油小路通りに面し、奥行は約15間、正面に額縁付きの虫籠窓むしこまどを配した厨子つし二階の秦家住宅。大屋根に膨らみをもたせた「むくり屋根」に屋根看板を揚げる外観は大店の京商家の趣をよく残している。

ミセの間


店ニワから玄関ニワとミセを見る

表屋造りとは商いをする「ミセ」のある表棟と、住居棟の間に中庭・奥庭の二つの庭が配された京町家の事を指す。ミセは通りに面した部屋で接客の用として使用された。通りに沿って組まれた格子からは中庭に向かって心地よい風が運ばれる。


コシノマ

手前の「ミセ」と奥側「コシノマ」の二部屋にわけ、手前のミセに置かれた「奇應丸」の金文字が浮かぶ漆塗りの看板がひときわ存在感を示す。

小児薬「奇應丸」は、虚弱体質・ひきつけ・夜泣き等に効があるとされる製剤で、元祖である秦家はその製法を代々一子相伝として受け継いできたという。明治9年に発行された京都薬商の番付表には、東の大関に名を残している。


コシノマから中庭を見る

今は静寂なミセの間だが、ここで商いをされていた当時の雰囲気が、時が止まったかの様に美しく保存されている。

商家の時分、店ニワに立つと、原料の放つ強い香りが鼻腔を突き抜けるように匂い、薬を求め訪ねてくる客や、商談の用向きで飛び込んでくる人、電話の音など、ミセの間は活気に満ちた空間だったという。

茶の間・中庭

玄関ニワへ足を運ぶと、「玄関」「茶の間」へと続く。


茶の間から中庭を見る

釣床を備えた茶の間に面して配された一間半四方の小さな「中庭」は、店棟と居住棟の間に置かれ通風・採光を確保している。

京町家の中庭は、細長く薄暗い屋内に光と風を取り込むだけではなく、暗から明へ、そして明から暗へと陰影のリズムをつける事によって風情ある景色を創りだす。陰翳礼讃という日本古来の美しさの現れだ。


中庭

秦家の中庭は、守山石をはじめとした大小の庭石と、石灯籠につくばい、そして下屋まで伸びた棕櫚しゅろを取り合わせた構成。玄関ニワから茶の間越しに中庭を望むと、棕櫚のある景が、建具で額縁の様に切り取られ、一幅の絵画のような趣さえ感じる。



中の間・座敷・奥庭


中の間から座敷を見る

控えの間である六畳の「中の間」から京唐紙の襖を挟んで「座敷」へと続く。中の間は 家族団欒の部屋として使われていた様だ。

商いを行う京都の町家は、座敷を客人の接遇部屋やサロンとして使う事も多かったが、秦家においては商売柄、客人を通す事も少なかった様で、比較的フォーマルな設えの座敷となっている。


座敷から奥庭を見る

座敷は家の中でもっとも厳粛なところで、普段家族がこの部屋を使うことはなく、お正月、節句、お祭り、お盆などの年中行歳時にあわせて決められた室礼に整えて、ときどきの節目を迎えるという。

仏間も兼ねた秦家の座敷は、床の間、平書院、違い棚などの座敷飾りを備える。

秦家住宅では、祇園祭を控えた6月下旬に建具替えが行われる。障子や襖が夏の設えとなり、使い込まれた籐筵とうむしろで畳が覆われると室内が森の木陰の様な雰囲気に変わり、涼を感じさせてくれる。

座敷の奥には縁側を隔てて「奥庭」が広がる。私が秦家に伺った5月初旬には、車輪梅がちらほらと白い花を咲かせ、新芽の赤い紅枝垂が色づき、季節の移ろいを見せていた。

深い庇の下、暗い室内から鮮やかに木々の緑が浮かび上がる美しい景色は京町家の風情を最も強く感じることが出来る。貴船石と思しき庭石や、片隅で佇む手水鉢に水琴窟など、飽きることなく目を楽しませてくれる。

この奥庭で繰り広げられるさまざまな事象は、家人の毎日の生活と深い関わりをもっているという。庭における規則的な自然のリズムは、季節単位、また一日の時間単位で生活のリズムと同時に進行しており、それは家人の体内時計となって身体に刻み込まれる。

庭木は決まった時期に芽を出し、花をつける。酷暑の熊蟬くまぜみの輪唱、送り火が過ぎれば鳴く蟋蟀こおろぎ。庭は座敷の借景としてだけではなく、家人にとっても無くてはならない存在なのだ。

奥庭と中庭の二つの庭は、相互に風の抜け道となり家の中を快適に保つ機能を果たす。風も止まってしまうほどの真夏には、中庭にだけ水を撒くと気流をつくり奥庭に向かって風が流れる。視覚の涼感だけでなく実際に室温が下がり、夏の蒸し暑さをしのぐことができるという先人達の知恵である。

京町家と秦家の暮らし

1日に約2軒。驚くほどの早さで、京町家は数を減らしている。

京町家は京都のなかで育まれてきた、まちなみの景観を特色付ける伝統的都市住宅だ。そこには、京都での暮らしの文化、建築が持つ空間の文化、そして「職住共存」を基本として発展してきた文化が受け継がれている。

家族と複数の働き手が寝食をともにした職住一致の建物は、単なる遺構の鑑賞にとどまらず、日々の暮らしの中で培われた、京都に根付く生活文化が感じられる。京町家は京都文化の象徴であり、五感で感じ取られる「京都」そのものなのである。

京都市登録有形文化財に指定される秦家住宅は、伝統的な京都の暮らしの息遣いを大切にしながら予約制で一般に公開している。

現代から未来へ心の糧が育める家を住み継ぐためにも、先人達の知恵から継承できるものを選び取る工夫が必要です。「文化は家付きである」という言葉があると聞きます。文化は代々受け継がれる住まいを舞台に育ち、そこに凝縮、蓄積されるとも。

日本人の求める豊かさの価値観が「量」から「質」の時代へ関心が高まる今、形体的な京町家の保存のみを目指すのではなく、そのなかで今に生きた暮らしの醍醐味を味わってもらえないか。公開を決断してから20年、秦家の模索は続いています。

秦家主宰:秦めぐみ氏

撮影取材協力:京都秦家
参考文献:祇園祭山鉾町に住まいして ~秦家と暮らしの文化~




今回行った場所

京都秦家 公式ホームページ

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