綿業会館「談話室」
大正後期から昭和初期にかけて、東京を凌ぐ東洋一の商都として大阪が栄えた時代。時のおおさかを人々は “大大阪” と呼んだ。
日本の経済・文化の中心として栄華を極めた時の大阪の町には、日本一多くの人が住み、豊かな文化が花開き、数多くのモダン建築が建設された。大阪の中心地「船場」には百年近くの時を超えて、往時の面影を残す近代建築が今も多く遺る。
昭和6年、四方を堀川に囲まれた船場エリアの真ん中を南北に貫通する三休橋筋に沿って建てられた 綿業会館 は、まさに大大阪時代を象徴する建築といってもいいだろう。
東洋のマンチェスター
近代大阪の発展を支えた基幹産業のひとつが “紡績業” を中心とした繊維産業だ。
明治中期より渋沢栄一らの主唱で、近代的設備を備えた大阪紡績會社(現東洋紡株式会社)が設立された事に端を発し、鐘淵紡績(旧カネボウ株式会社)・天満紡績・摂津紡績・尼崎紡績(現ユニチカ株式会社)など20にも及ぶ紡績会社が次々と設立された。
綿業会館が建設された昭和初頭、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、日本は英国を抜いて世界最大の紡績大国となった。
船場は古くから歴史を遺す繊維問屋街で、今も繊維関連の企業が多い。綿業会館はそんな船場の栄華を今に伝える街のシンボルだ。
綿業会館は「日本綿業の発展に役立ててほしい」と遺言を残した東洋紡績㈱元専務取締役・岡常夫氏の遺贈金を原資として150万円(現在の約75億円)の予算で建設が行われた会員制倶楽部である。
同時期に大阪市民の寄付金で復興再建された大阪城天守閣の建設費が約50万円である事から、その予算の破格ぶりが伺える。
近代日本を代表する建築として、国際会議の議場としても数多く利用され、昭和7年にはリットン調査団が来館するなど、戦前における日本外交の舞台にもなっている。
様式建築の名手「渡辺節」
綿業会館「談話室」
綿業会館の設計を手掛けたのは様式建築の名手 渡辺節 。
中之島のダイビル、神戸旧居留地の商船三井ビル、横浜の日本綿花横浜支店(THE BAYS)など、渡辺の手掛けた秀作が今も幾つか現存するが、綿業会館は「渡辺節」のらしさが詰め込まれた代表作といえる。
大大阪時代、建築の主流はヨーロッパの建築様式を駆使してつくられる様式主義建築であった。一般的によく知られるものは、ロマネスク・ゴシック・ルネサンス・バロック・ロココなどがあるが、他にも多種多様な様式が存在した。
綿業会館「貴賓室」
日本では明治期以降、近代国家を飾るに相応しい様式主義をいかに受容するかが課題であったが、大正後期にもなると建築家たちは様式を完全にマスターし、様式表現の深化を進めていった。この時代に優れた様式建築が多い所以だ。
様式建築の名手として名を馳せた「渡辺節」は、潤沢な工事費のもと様々な様式デザインを綿業会館の中に凝縮させた。
渡辺の設計コンセプトは、内部の部屋毎に異なる様式を用いることだった。趣味趣向の異なる多くのエグゼクティブたちが、好みに応じて部屋を使い分ける事が出来るようにという計らいだ。
綿業会館「玄関ホール」
玄関ホールはイタリアンルネサンス、談話室はジャコビアンスタイル、貴賓室はクイーン・アン・スタイル、会議室はアンピールスタイルなど、普通なら破綻してしまうほどの様々な様式を採用しながら、洗練した一つの建築に纏め上げている。
それでは、様式主義の金字塔といえる、重要文化財「綿業会館」の内部空間を深掘りしてゆこう。
玄関ホール
三休橋筋から正面玄関を潜り、小上がりの階段アプローチを登って「玄関ホール」へと進むと、東洋紡 岡常夫氏 の座像が出迎える。ホールはこの座像を中心としたシンメトリーの空間で構成されている。
15~17世紀のイタリアに普及したルネサンス様式でまとめられた瀟洒な空間には、本場イタリア産のトラバーチンが贅沢に使用され、ミラノ・スカラ座ロビーの照明を模して作られたという豪奢なシャンデリアが存在感を示す。
雄大な階段が左右対称に折り返し、トスカナ風オーダーの列柱とアーチが規律を生み出している。異なる様式意匠で構成された各部屋へと繋がる玄関ホールは、それらをひとつにまとめる舞台装置のような空間とも言われている。
ホール中央の階段を登り、回廊式となった三階のギャラリーへと向かう。ギャラリーの回りに 談話室・貴賓室・会議室 などが配されている。
談話室
綿業会館の中で最も秀麗な意匠といわれているのが「談話室」だ。
二層吹抜けの大空間を、17世紀初頭の英国における建築様式、ジャコビアンスタイルで見事に纏めあげている。直線的かつ重厚感が強いデザインがジャコビアンスタイルの特徴であり、綿業会館 談話室はクルミ材を主材として用いている。
同じく渡辺節の作品である神戸御影の 旧乾邸 や 岸和田の自泉会館のほか、竹中工務店による神戸塩屋の ジェームス邸 、英国人建築家ジョサイア・コンドルの旧岩崎邸などにも同様のスタイルが見られる。
暖炉の上のパイプオルガンを思わせる天井まで設けられた格子状の装飾は、ジャコビアンスタイルの特徴をよく示している。
同室から3階へと登る肩持ちで支えられたオープン階段は気品のある会心のディテールだ。手摺にはロートアイアンの精巧な装飾が用いられ、いっそう談話室を豪華なものにしている。
渡辺節が綿業会館の設計において一番苦心したのはこの談話室だった様だ。設計工程が終了してからも談話室だけが気になり、一ヶ月の期間延長の末、2階・3階を打ち抜く事を考案したというエピソードが残る。
泰山タイルのタペストリー
談話室を印象付けるフォーカルポイントが、暖炉横の壁面を飾る「泰山タイル」のタイルタペストリーだ。
泰山タイルとは、池田泰山が京都九条に開いた泰山製陶所によって焼かれた装飾タイルのこと。大正から昭和初期にかけて一世を風摩した泰山タイルは、その類まれなる意匠性によって当時の著名な建築家の多くが各々の作品に取り入れた。
綿業会館のタイルタペストリーには、渋味をもつ色鮮やかな五種類のタイル約1,000枚が用いられているのだが、これら全てを、設計者である渡辺節が自らの手で仕上げている。
特別に焼かれた窯変タイルを「一枚一枚、全体のコンビネーションを考え助手を使わずに私一人でこつこつと仕上げた」という記録が残っており、渡辺節が「喜びを味わいつつ仕上げた」と語り継がれている。
貴賓室
特別室とも呼ばれる「貴賓室」は、18世紀前期の英国でアン女王の時代に流行したクイーン・アン・スタイルで纏められている。戦前、皇室やVIP専用として使われたという部屋の設えは、まるで華族の邸宅を思わせる華やかさだ。
草花をモチーフとした漆喰の化粧を施した天井や、金箔をあしらった廻り縁、ヘリンボーン貼りと寄木貼りを組み合わせたフロアーなど、随所に細やかなデザインが見られる。
蝋燭型のブラケット照明に照らされて、飴色に光る艶やかな家具類は創建当時のもの。
会議室
貴賓室の隣に配された「会議室」は、装飾を控えたアンピールスタイルによって格式を備える。
アンピールスタイルは、19世紀前期ナポレオン一世の帝政時代にフランスを中心に流行した建築様式で、シンメトリックなデザインに豪華な装飾を加味した意匠を特徴とする。迎賓館赤坂離宮 彩鸞の間に同様の様式が用いられている。
綿業会館会議室のアンピールスタイルは装飾を控えたシンプルな仕上げだが、建材の各種は贅を凝らした貴重なものが使われている。
オニックスと木目の大理石を用いた室内開口部や、アンモナイト化石が入った市松模様の大理石フロアー、中国で織られた一枚物の手織り段通絨毯など、現在では到底叶わないであろう設えの数々は目を見張るものばかりだ。
会員食堂
一階の「会員食堂」は 1900年初頭におけるアメリカのホテルや屋敷のホールをイメージして造られている。
一際目を引くのが ミューラル・デコレーション(壁飾り) という、天井に施された賑やかな装飾だ。草花をモチーフとしたデザインはアール・ヌーヴォー的でありながら、直線と幾何学模様で描かれた寄木の連続するデザインには、アール・デコの要素も見てとれる。
また会員食堂には、セントラルヒーティングや遠隔操作式の時計などの設備のほか、食器の音を外に漏らさない様に配慮した吸音材を用いた壁仕上げなど、当時の先進的な技術が取り入れられている。
グリル
地下に設けられた会員および同伴者専用の「グリル」は、戦後昭和のミッドセンチュリー的なエッセンスが感じられる。何度か改装されている様だが、ブルーのモザイクタイルなど創建時のものも多く遺る。
綿業会館の設計には、当時、渡辺節の弟子であった「村野藤吾」がヘッドドラフトマンとして携わっているが、地下グリルと一階を結ぶ 螺旋階段は、いかにも村野らしいデザインとなっている。
あとがき
綿業会館にはこれまでに何度も見学に訪れている。
単純に渡辺節という建築家が好きという理由もあるが、大阪が最も栄えた「大大阪時代」を強く感じる事が出来る建築だという理由が大きい。訪れる度に、当時の大阪が経済はもとより文化的にも日本一だったと実感できる。
民間の資金でここまで高い質の建築を造り、戦後のGHQによる接収に遭いながらも、創建時と変わらぬ姿で、また同じ用途として維持され続けているという文化の厚みは、大阪人として誇らしくも思える。
会員制倶楽部の為、一般公開は月に一回(第4土曜日)のみとなるが、機会があれば、是非、大阪の歴史と文化を伝える気宇壮大な建築を自身の目で確かめて貰いたい。
撮影取材協力:日本綿業倶楽部
今回行った場所
綿業会館
渡辺節の住宅建築
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