大阪市中央公会堂 旧貴賓室
大正後期から昭和初期にかけて、 東京を凌ぐ東洋一の商都として大阪が栄えた時代。 時の大阪市を人々は "大大阪” と呼びました。
日本の経済・文化の中心として栄華を極めた時の大阪の町には、 日本一多くの人が住み、豊かな文化が花開き、数多くの近代建築が建設されました。 大阪市の中心部には100年近くの時を超えて、往時の面影を残す近代建築が今も多く残ります。
モダンアイランド中之島!
「中之島」は 淀川の分流である堂島川と土佐堀川に挟まれた、東西約3kmの長さの小さな島。
水運の利を得て開拓された中之島は、古くから 経済・文化・行政の中心であり、現在もオフィスビルやタワーマンション、美術館などの文化施設が集積し、水辺の魅力を感じることのできる “水都大阪” のシンボルといってもいいでしょう。
現代まで、大阪の文化経済の中心地として発展してきた中之島の開発は、豊臣家と徳川家による戦 “大阪の陣” のち、両家に寵愛された浪花の大豪商「淀屋常安」によって江戸時代初期に始められます。
常安は土佐堀川に橋を架け、中之島に米を商う市を開きます。この時架けられた橋が地名にも残る「淀屋橋」です。やがて中之島には全国諸藩の蔵屋敷が集中するようになり、各地の物資が集まる「天下の台所・大坂」の中心地として発展を遂げてゆきました。
そう、江戸時代から中之島は全国各地の流行が集まる場所、まさに時代の最先端を行く「モダンアイランド」だったのです。
明治時代に入り政治の中心が東京に移ると、諸藩の蔵屋敷は払い下げられ、商いの中心としての役割だけでなく、官庁や文化施設の用地となり、この頃から、華やかな意匠の近代モダン建築が数多く造られてゆきます。
今回は、明治・大正・昭和へと繋いだ、大阪近代化の100年を超える歴史が息づく中之島の近代建築たちを愛でながら、東から西へと歩いて行きたいと思います!
大阪市中央公会堂
まずは、中之島のシンボルであり「大阪の顔」とも言える近代建築、大阪市中央公会堂 から参りましょう。
大正7年竣工の秀麗な建築は、鉄骨煉瓦造の地上三階地下一階建て。ネオ・ルネサンス様式を基調としながら赤いレンガに白花崗岩のボーダーを取り込んだ、いわゆる辰野式と呼ばれる意匠です。
東京駅と並び辰野金吾の傑作と言われるこの建築の設計原案は、当時まだ珍しいコンペ形式が採用されています。錚々たる顔ぶれのなかコンペを勝ち取ったのは若き頃の岡田信一郎。
岡田は後に現鳩山会館や現明治生命館など多くの名建築を残しますが、コンペ当時はまだ20代前半、どうやら辰金先生の教え子だったようですね。
岡田信一郎の原案に基づいて、辰野金吾の意向を反映した変更が加えられたものが実施案となっていますが、古典的要素の強い原案を、幾何図形化したセセッション的意匠に変更するなどの辰野金吾らしい手法が見られます。
大集会室
さてさて、東側の正面入口からロビーを抜けて扉を開けると、壮麗にして気宇壮大なホールに思わず息を呑みます。
この部屋の名は大集会室。名実ともに往時の空気をいまに伝える美しい佇まいは来館者の心を踊らせます。シャンデリアや金箔が貼られた舞台袖、擬大理石塗りで仕上げられた柱などの設えはまさに圧巻の一言。
部屋の中央に立つと、そんな繊細なディテールとは対極にある1161席を配したダイナミックなステージに目を奪われます。現在もここで学校の入学式や卒業式といった行事やさまざまな講演、音楽イベントなどが行われています。
大集会室
100年に渡って親しまれ、ヘレン・ケラーやガガーリンもやってきたというこの大建築も、岩本栄之助という一人の市民がいなければ創生されることはありませんでした。
若くして商才を発揮し、義侠の相場師と呼ばれた株の仲買商 岩本栄之助は、34歳のアメリカ視察の折、社会的成功者が公共的な事業に財産を投じている実情に感銘を受け、また近代都市には市民が集う大規模な集会施設が不可欠であると痛感し、帰国後、現在の貨幣価値でいう50億円の私財を市の為に投げうちました。
大集会室
巨額の寄付金の目的は人々に役立つ「公会堂」の建設と定められ、新進気鋭の設計原案のもと、大阪市中央公会堂の建設が実現します。
しかし、落成式典で公会堂の鍵の入った箱を大阪市長に手渡したのは、岩本栄之助本人ではなく4歳になる彼の愛児でした。 岩本は第一次世界大戦による相場の変動で大きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま拳銃を自らに向けて39歳の生涯を終えていたのです。
重要文化財でありながら、多くの人々が日々この建築に訪れるのは、市民のための建物であることを願った岩本栄之助氏の想いが今も生きているのだと思います。
中集会室
大阪市中央公会堂のなかには、大集会室の他にも、ヨーロッパの宮殿を思わせる最大500席の中集会室、木の内装が包み込まれるような雰囲気を醸し出す最大150席の小集会室などの会議室が幾つもあり、どの部屋も貸し会場として使用できます。
なかでもひと際、凝った意匠で設えられた部屋が、創建時、貴賓室と呼ばれた現特別室です。
特別室(旧貴賓室)
アーチ状の高天井にはイザナギとイザナミが国づくりの鉾を受け取る天地開闢の天井画が描かれ、大開口の窓は鳳凰と大阪市の市章である「澪標」を意匠化したステンドグラスで彩られています。
和と洋を融合させ、今では再現できない職人の技巧にあふれた室内装飾は、空間そのものが芸術品ともいわれています。
大阪市中央公会堂は貸室利用以外で自由に見学する事は出来ませんが、地下1階フロアには自由見学可能な展示室があり、かつて使用されていた設備・備品などが展示保存されています。
また月に数回のペースで、公会堂のスタッフさんによるガイドツアーが行われていて、特別室を見学する事ができます。
大阪府立中之島図書館
大阪市中央公会堂の西隣に建つ 大阪府立中之島図書館 は明治37年に大阪府初の図書館として開館しました。こちらの建築も中央公会堂と同じく、民間からの寄付で建てられたことはよく知られています。
日本一を目指す近代都市として文化施設の象徴である図書館は不可欠であるという理念のもと、住友本家第15代家長吉左衛門が図書館の建設費と図書の購入費の寄付を申し出た事に端を発して定礎されました。
中央にドームを配した十字型プランと、コリント式オーダーの立面からなる厳格な構成は、まさに知の殿堂の風格といったところ。
正面階段の入口を潜り、緩やかなアールを描く年季の入った木製階段をギシギシと上れば、頭上に見事なドームが現れ、頂部のステンドグラスから柔らかい光が注がれます。
中之島図書館の設計は、住友に在籍し、1年間の欧米視察を終えて帰国したばかりの建築家、野口孫市。西洋建築の習得に専心してきた明治時代の日本の到達点とも言える、ネオ・クラシック様式の堂々たる建築を完成させました。
野口孫市も辰野金吾の教え子で、辰野自身も顧問という立場で図書館建設に携わっています。 なんと、辰金先生は中之島の景観を形成する三大近代建築、中央公会堂、中之島図書館、日銀大阪本店 全てに関わっていることになるんですね。
どこか懐かしい昔の図書館特有の埃っぽい空気に身を浸して、目についた本のページをパラパラとめくり、ふと顔を上げれば窓の外には中之島の水景がみえる。おそらくこの景色は大きく変わっていないのでしょう。
その日常が100年を超えて重ねられてきたことに思いを馳せれば、それはかけがえのない都市文化の奇跡の一コマだということに気付かされます。
日本銀行大阪支店
中之島界隈の近代建築で最も古く、大大阪をリードするモダンアイランドの先駆けとなったのが、明治36年に建てられた日本銀行大阪支店です。
こちらの建築も巨匠、辰野金吾が設計を指揮しております。御堂筋に面した正面は、西洋の古典建築に範をとった堂々と面構えで、同じ辰野の手による東京日本橋の日本銀行本店にも負けていません。
御堂筋を渡った向かい側から建物の全貌を眺めると、左右対称形を引き締めている様子がはっきりと分かります。 日銀前の銀杏並木が色づき始めると、嗚呼、今年もあっという間だったなぁ… と、ちょっぴりセンチメンタルな気分になる大阪人も少なくないはず。
記念室(旧貴賓室)
一時期は全面建て替えによる高層化が計画された事もあった様ですが、各方面から保存の声があがり、外観を可能な限り保存する形で改修され、西側に新館が建てられました。旧館の内部には復元された空間が記念室として設けられ、往時の趣きを彷彿させます。
外部正面から見てちょうど頭頂部にある、ドーム屋根の真下に記念室が位置しています。
記念室はかつて貴賓室と呼ばれていた部屋を、建設当時の部材を再利用しながら復元したもので、床・壁布・カーテン・シャンデリアなどの装飾類は新しいものですが、壁面の彫刻・扉・ステンドグラス・装飾用のマントルピースは当時のものが用いられています。
階段室においても、正面内玄関ロビーと階段が旧館建設当時の部材を再使用しながら精巧に復元されています。
階段室
明治36年の創建当時は、御堂筋に面した正面玄関を入りコンコースを通ると、その奥に内玄関と階段が続いていました。
階段には柱を用いず、鉄骨のアーチを用いて重量を支える構造となっています。また、階段手摺や飾り欄間のほか、梁や柱にも優れた技巧により精密なデザインが施されています。
日本銀行大阪支店では、記念室や階段室のガイドツアーを事前予約制で定期開催されています。東京の日銀本店でも同様の見学ツアーが行われているので、東西を見比べて見るのも面白いかも分かりませんね。
ダイビル本館
堂島川を右手に中之島通りを西に進むと、カーテンウォールの高層ビルが立ち並び、オフィスエリアとしての中之島の一面がよくわかるのですが、しばらくするとその中にして、異質とも思える褐色のモダン建築が姿を現します。
ダイビル本館、大正14年築の旧大阪ビルヂングをファサード保存して建て替えられた建築です。
創建時の設計を手がけたのは、当時、関西を代表する建築家のひとりだった渡辺節。彼は関西の財界に絶大な支持を受け、数多くの商業ビルや銀行建築などを手がけました。大阪船場の綿業会館や、神戸の商船三井ビルディング、旧乾邸なども渡辺節の作品です。
大正14年、エレベーターや空調など、当時の最新設備を導入して建てられた大大阪を象徴するオフィスビルですが、90年近い歳月が過ぎた2013年、煉瓦積みの外壁や彫刻を施した石柱、タイル貼りの床などの外観、内装を可能な限り復元してリニューアルされました。
正面入口の半円アーチ上部に飾られている大国貞蔵作の「鷲と少女の像」は見事に保存され、外壁に用いられていたスクラッチ煉瓦186万個を手作業で取り外し、外装材として9割以上を再利用するといった労力が費やされています。
文化財として昔のカタチを保存するだけではなく、中之島の街とそこに集う人の記憶に「伝え残したい」という想いが加わって、単純なスクラップ&ビルドよりも、遥かに時間と手間、コストがかかる方法が選択され、中之島という街の価値も保存したのだと思います。
また、創建当時の設計には渡辺節だけではなく、村野藤吾や内藤多仲など後の昭和建築史を代表する建築家が数多く携わった建築的価値の高い作品といえます。
リーガロイヤルホテル大阪
メインラウンジ
リーガロイヤルホテルは、昭和40年竣工のウエストウイング、昭和48年竣工のタワーウイングで構成された、大阪屈指の老舗ホテルです。設計を手掛けたのは吉田五十八。村野藤吾や堀口捨己と並んで、昭和のモダン数寄屋建築家として知られる人物です。
東京・日本橋 の生まれで、太田胃酸の創業者である父が58歳の時に誕生した事にちなんで「五十八」と名付けられた・・・という、いかにも古き良き時代の日本を連想する出生エピソードを持っています。
万葉文様の大緞通が敷きこまれ「日本の伝統美」を表現したという、一階のメインロビーからラウンジへと続く空間は、創建当時から高い評価を得ていたといいます。
ロビーは低い天井を感じさせない様に、カラフルでド派手な大緞通の意匠としたという事ですが、個人的には人の少ない朝か、夜にゆっくりと鑑賞してみるのがおすすめです。
メインラウンジは、昭和の造園家・荒木芳邦氏が手掛けた日本庭園から落ちる滝を屋内に引き込むよう、床に曲水のせせらぎを配置して、庭園とのシームレスな関係を具現化しています。
一見、主張が激しい「紫雲」を表現したというシャンデリアと、何本も立ち並ぶ「鳥模様金蒔絵」の柱ですが、700㎡の大空間とその奥に広がる庭園の迫力もあって、全くうるさくなく、静けささえ感じる不思議な空間です。
リーガロイヤルホテル大阪は、2025年を目処として総額135億円をかけたを大規模改装が発表されていますが、建築が持つ歴史や良さをそのまま保ちながら実施される予定だとか。
ホテルの象徴でもあるメインラウンジやリーチバーは、これまで通りの予定との事なので、古き良きオーセンティックな雰囲気は保持されるようで嬉しいですね。
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参考資料「大大阪モダン建築」「生きた建築大阪」
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