老朽化や耐震性の問題などから2017年に閉鎖され、全国初の “監獄ホテル” に生まれ変わることになった 旧奈良監獄 。
レンガ造りの外観で「明治時代の美しすぎる刑務所」としてレトロ建築好きには良く知られていますが、奈良に訪れる観光客が奈良公園や東大寺に集中する一方で、そこから1.5kmほどしか離れていない奈良監獄に足を運ぶ人は少ない。
まぁ、まわりが住宅街ってこともあるのですが…
美しい刑務所 “旧奈良監獄”
旧奈良監獄 表門
不朽の “石造文化” のヨーロッパに比べて、地震や火事に弱い “木造文化” が古くからある日本では、こと建築というものに関しては「保存」するという文化より 「建て替える」という文化が伝統的に根付いています。
戦後の経済復興のために政府によってつくられた住宅の新築至上主義思想がその典型。 少子高齢化で明らかに供給過多となっている昨今の新築住宅市場のなか、歴史的・文化的に価値のある建築が取り壊されて高層マンションが建てられる日に果たして終わりは来るのだろうか?
旧奈良監獄 収容棟
そんななか、歴史的建造物の古き趣はそのままに、建て替えは行わず耐震補強を施して、レストランやホテルなどの施設に “コンバージョン(用途変更)” する事業モデルが、インバウンド需要の多い関西では結構多くなって来た様に思います。
これは古建築マニアとしては非常に嬉しい傾向で、欧米などでは既に裁判所や刑務所などの歴史的建造物を保存し、ホテルとして活用している事例が複数あるといいます。
監獄ホテルへのリニューアルに伴う耐震改修工事に入る直前に行われた最後の施設見学会に行って来たので、この監獄が造られた当時の時代背景と、撮影した写真を合わせて備忘録的に綴っておきたいと思います。
現存する日本最古の監獄建築
刑務所というダークなイメージやその一面もありながら、秀麗な建築意匠を合わせ持った旧奈良監獄。
約32,000坪という広大な敷地の周囲は、高さ4.5mの煉瓦塀で閉ざされ、西洋の城門の様な表門を入ると、庁舎、奥に放射状の舎房が広がっています。
玉葱頭の門柱とアーチ状のデザインが特徴的な表門に施された白い花崗岩のアクセント装飾は、明治建築の巨匠 “辰野金吾” の作品を彷彿させる。 旧奈良監獄の表門を見て、東京駅や大阪市中央公会堂のファサードを思い浮かべた人も少なくないはず。
旧奈良監獄 外観
赤レンガを主構造として造られた旧奈良監獄。 その赤レンガは長手だけの段と、小口だけの段を一段おきに積む “イギリス積み” で施工されています。 煉瓦の積み方には数パターンあるのですが、イギリス積みは一段にレンガの長手と小口を交互に積む “フランス積み” よりも頑丈とされています。
イギリス積みの旧奈良監獄レンガ
旧奈良監獄の建築に用いられたレンガの多くは、刑務作業の一環として受刑者がレンガ職人とともに監獄内に築いた窯でレンガを製造し、建設の大半も受刑者の労働によって作り上げられたものだという。
なぜ日本に美しく近代的な刑務所が必要だったのか?
旧奈良監獄は “明治五大監獄” の一つとして、 1908年(明治41年)に数多くの刑務所や裁判所の設計を手がけた山下啓次郎氏の設計によって建てられました。
旧奈良監獄 中央監視所
出典:法務省ホームページ
収容棟の設計には、監守が立つ中央監視所を全体の中心に据え、複数の舎房が 放射状 に伸びる「ハビランド・システム」という構造が取り入れられてる。この放射状の構造によって、看守の目が全ての舎房に行き届くようになっています。
ハビランド・システム
明治末期の収容定員人数650名もの受刑者を少人数の看守で監視するには効率よい設計ですね。明治五大監獄の内部構造はこのシステムを取り入れているといいます。
5方向に延びる舎房は全て2階建になっていて、内部は煉瓦に白いペンキ塗りで仕上げられている。上下階とも中廊下を挟んで独房が向かい合う様に配置される複房式になっています。
旧奈良監獄 舎房
どこかSFチックな雰囲気を漂わせる舎房の廊下の天窓からは明るい光が射し込み、一直線に伸びる廊下の両側には、収容部屋の扉が整然と並んでいます。
旧奈良監獄 舎房
この近代的な建築が建てられた ほんの30年前、ちょんまげを結った侍が刀を差して歩いていた時代だったとは到底思えない。 ではなぜ、明治時代にこの様な美しく近代的な刑務所が日本に必要だったのか?
明治維新後の新政府にとって、日本を西洋列強と並ぶ国にする為、様々な面での “文明化・西洋化” と合わせて、江戸幕府がアメリカと結んだ日米修好通商条約、俗にゆう不平等条約の解消が急務でした。その中でも特に “治外法権” の撤廃が最大の課題だったと言われています。
日本で罪を犯した外国人を国内で取り締まれない治外法権。その治外法権を撤廃するため欧米諸国に交渉するものの、ネックになったのは設備も環境も水準が低かった日本の監獄事情でした。
旧奈良監獄 独房
当時の日本の監獄は木造が一般的。火事が起きれば受刑者が危険にさらされ、冬は凍えるほど寒いなど、受刑者の “人権” などおよそ考えていない造りでした。政府は欧米各国に対し、日本にも欧米なみの “人権に配慮” した法制度と刑務所施設があることを示す必要があったのです。
そこで明治政府は、司法の整備と合わせて最新の西洋造りの監獄を建てることで自国の近代化をアピールしようと考えました。その様な思惑で始まった一大プロジェクトが監獄の近代化 “旧奈良監獄” の建築という事になります。
これまでにないほど近代的な建築様式で、堅牢に 明るく 暖かく 風通し良く、受刑者の生活と人権に配慮して建てられた旧奈良監獄。 今、見ると小さい窓が一つしかない、狭っ苦しくて殺風景な独房ですが、時代背景を考えると、この監獄に収容された当時の受刑者にとっては天国の様な場所だったのかも知れない。
奈良監獄はその後、大正11年に “奈良刑務所” に改称し、昭和21年には “奈良少年刑務所” に改められました。その後にも、工場の増設等が行われますが、明治期の大煉瓦建築は大きな改造を受けることなく、今日に至りました。
奈良は、古代から現代に至るまで、様々な建築遺産が点在する歴史都市です。旧奈良監獄は建物の築年数や規模の大きさなどから、監獄ホテルへのコンバージョン計画には数多くの諸問題があると思うが、創建時の趣きが上手く受け継がれると嬉しい。
最後の見学会では、収容棟の他にも地下室や受刑者の旧浴室、病人の受刑者を治療収容した医務所などのもう見る事が出来ないであろう部屋もたくさん見ることが出来ました。
さて、百有余年に亘り刑務所としての機能を果たし、日本最古の刑務所建築としてその全貌を残した重要文化財「旧奈良監獄」は、どの様なホテルとして生まれ変わるのでしょうか?
日本初の監獄ホテル
事業主の交代などがあり当初の開業予定から一転二転していますが、現在のところ2026年の春を目処に、重要文化財のリアル監獄を生かしたラグジュアリーホテルに生まれ変わろうとしている旧奈良監獄。
プロジェクトを運営するのは高級旅館などで知られる 星野リゾート 。 歴史や文化の要素を宿泊者に感じ取ってもらうことで商機が生まれると判断し、運営協定を結んだ同社の路線は、「上質な宿泊施設」との事。
個人的な意見として、観光資源が多い割にホテルが著しく少ない奈良市においては、若干敷居を下げた路線の方が受け皿として良いのでは? とも思ったりもしますが、星野リゾートプロデュースによる日本発の監獄ホテルがどんなものになるか非常に楽しみです。
改修後のイメージスケッチ 出典 : 星野リゾート
奈良市に魅力ある画期的なホテルが出来れば、同じ明治時代開業で辰野金吾設計の “奈良ホテル” と合わせて、歴史的建造物ホテルは奈良へ! という良いイメージが出来るかもわかりませんね。 なお「旧奈良監獄」の施設内には、ホテルのほかに資料館や商業施設も併設する予定だという事です。
僕もしばらくは刑務所に入る予定もないので、完成の暁には是非一度、監獄ホテルに泊まってみたい。
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今回行った場所
旧奈良監獄