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奈良

文人のまち奈良高畑「志賀直哉旧邸」と、ささやきの小径をゆく

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Hamzo
奈良高畑へ !

しとしとと降り続いた、寒雨がゆるりと止んだ日曜日の正午前、これはなかなか写真を撮るには良い日和かな… と、いそいそと車を走らせて奈良へと向かった。

志賀直哉旧居がある奈良市の “高畑町” は、観光客で賑わう奈良公園や春日大社から程近い立地にありながら、休日でも比較的人通りの少ない静かなまち。

このあたりは鎌倉時代から、春日大社の神職が住む社家町として歴史がある土地で、古い屋敷跡の崩れかけた土塀や年季の入った石垣、旧家の敷地から顔を覗かせる古木などが歴史情緒の香りをぷんぷんと漂わしている。

また、風光明媚な高畑町は、山の辺の道や柳生街道の始終点でもあり、歴史と自然が一体となった独特の風情に心をひかれた多くの作家や画家、文化人などが多く住んだ町としても知られています。

江戸末期から明治期に建てられたであろう町屋や、文人墨客が建てた洋館風の民家などが残っていて、古建築好きなら歩くだけでもなかなか楽むことが出来る。

志賀直哉旧居

明治時代から昭和にかけて活躍し「小説の神様」と呼ばれた白樺派の大作家 “志賀直哉” は、1925年(大正14年)に京都山科から奈良に移り住み、1929年(昭和4年) 高畑町に自ら設計の筆をとった数寄屋木造住宅を建築します。

それを期に、武者小路実篤、小林秀雄、尾崎一雄などの多数の文人たちが、志賀直哉を慕ってこの地に移り住む様になり、高畑エリアが「文人地区」と呼ばれる様になったと言われています。

白壁の土塀に囲まれた志賀邸の広大な敷地面積は435坪。まずは北入りの数寄屋門をくぐり、しっとりと濡れた石畳を踏んで玄関口へと向かう。 門前に植えられたナンテンが赤い実を付け、静かなアプローチにほんのりと彩りを与えていた。

門から茶室のあたりまで広がる日本庭園はサルスベリやボタンの花などが観賞できる美しい庭で、一階書斎の前に配された池には、梅雨の季節になるとモリアオガエルが産卵にやってきて、コロコロという心地よい鳴き声を奏でるといいます。

屋内に入り、順路に従って二階から見学させて貰います。

近代和風建築の美しい住まい

急な階段を上り、船底天井の廊下を通った先にある客間は若草山を望めるロケーションになっている。 採光を優先させたであろう、部屋の角までいっぱいに施された雪見障子の窓下の高さが、かなり低く設計されていて、この部屋の解放感を高めていた。

(左)二階 廊下 (右)二階 客間

客間の隣にある二階書斎で、志賀氏の代表作である長編小説「暗夜行路」の後篇を完結したとのこと。しかし、この書斎はあまり使っていなかったそうです。

(左)二階 書斎 (右)二階 客間 書院

旧志賀邸は純和風の数寄屋造りを基調としていますが、一階へ降りると、和の趣きにモダンな洋風テイストの設えが入ってきます。

文人たち憧れの聖地 “高畑サロン”


一階 サンルーム

志賀直哉を慕い、高畑近辺に居を構えた画家や文人等が訪れ、集い、語り、娯楽に興じた一階のサンルームや食堂は、時の文化人が集まるサロンとしての機能があったといいます。

天井に白樺材を大胆に取り込んだサンルームには、ガラス張りの天窓が施され、黒い瓦敷きの土間に光を落とします。

一階 サンルーム

ここに、昭和の大文豪 谷崎潤一郎や、白樺派の巨匠 武者小路実篤などがやって来て交流を深めたと聞き、そう思って部屋を眺めると、なんだか凄いところに来たな・・・という気持ちになる。


一階 食堂

この家で一番大きな部屋である食堂は約20畳。 部屋の中央部が木製モールディングで化粧された円形の折り上げ天井になっていて、モダンな照明器具が柔らかい光を帯びてダイニングテーブルを照らしています。

壁や建具などの建材・化粧材は濃い柿渋色で統一されていて、隣り合うサンルームの空気感と上手く調和している。 赤松の長押や大きな牛皮張りのソファーなど、和洋のテイストが混じりながらも美しくモダンな造りになっています。

一階 食堂

むっくりとしたソファーに、ぼふっと腰掛けてみた。ここに武者小路実篤や、画家の梅原龍三郎も座ったのだとか。

古い文化と美しい自然の中にできた志賀直哉邸のとびきりハイカラなサロンは、往時の文化人たちの憧れの聖地であり、ここに通う事が彼らのステイタスであったに違いない。

この上品で和風モダンな趣きのサロンに足を踏み入れた時、ふと、以前に見学した京都大山崎の “聴竹居” を思い出した。 醸し出される雰囲気がとても良く似ている。

京都 大山崎「聴竹居」

聴竹居は建築家「藤井厚ニ」が京都天王山の麓に建てたこだわりの自邸ですが、ひょっとして?と、調べてみると、大正・昭和に活躍した華道家「西川一草亭」を介して、志賀直哉と藤井厚ニはなんらかの交流があった様です。

聴竹居も昭和初期に建てられた贅沢な造りの和風住宅でしたが、伝統的な日本家屋と欧米から取り入れた住まいの形の融合というものが、ある意味、当時の文化人が目指す最先端だったのかも知れない。

“書斎” と “茶室” の設え


一階 書斎

志賀直哉は小説を書くための仕事場として、この環境の良い高畑を選んだといいます。

メインの仕事場であった一階北側の書斎スペース・茶室と、家族や文人たちが集ったサロンなどがある南側の居住スペースが、中庭を緩衝帯として緩くゾーンニングされています。「静」と「動」のスペースを意図的に分けて設計したのだろうか。

一階 書斎

志賀直哉は陽当たりの良い二階の書斎より、北側に位置する日差しの変化が少ない一階の書斎を好んで使ったといいます。 ちょうど椅子に腰掛けた目線あたりから見る、腰窓で四角く切り取られた庭の景色が一幅の絵画の様にも見えた。

旧志賀邸の建築には、京都から呼び寄せられた数寄屋大工の棟梁 “下島松之助” があたりました。この棟梁の家系が「裏千家」の血筋だった様で、書斎の横に造られた茶室の設えも、なかなか凝ったものになっています。


一階 茶室

志賀直哉自身は、特に茶道に明るかったわけでは無いようです。この茶室について氏はこのように書いている。

私は茶道の事をいふ資格のないものであるが、二十何年の昔、奈良の上高畑といふ所に家を建てる時、大工が裏千家関係の数寄屋大工で、建物の何所かに茶席を造りたいといふので、私は書斎の裏の中庭に面した南向きに六畳の日本間を作って、友達が来た時、寝ころんで気楽に話をしたり、或るひは将棋をさしたり出来る部屋を作ってくれと云ふと、大工は喜んでそれを忽(たちま)ち本式の茶席に作って了った。結局、私の考えた用途にはならなかったが、家内と娘三人、興福寺の坊さんを師匠にその部屋で茶の稽古をすることになった。

なんとも贅沢な話…


一階 茶室「天井」

京都などで小間の茶室は見慣れていますが、六畳の茶室は結構広いと感じた。 緩慢な広間の茶室にならぬ様に、天井は六つもの種類に分けて造作している。躙口(にじりぐち)と貴人口らしきものはなく、どうやら南面に設けられた三枚引きの障子が、躙口の役目を担っている様です。

一階 茶室

茶室だけではなく、どこの部屋も居心地の良さを感じる旧居ですが、この家には他の文学館や記念館のように、遺品や資料は全く展示されていません。 それは、志賀直哉自身が没後に資料館や文学碑を建てられる事を嫌ったからだとか。

さて、小説の神様が住んだ大邸宅を堪能したあとは、春日大社まで散歩することにします。

ささやきの小径

“ささやきの小径” は、志賀直哉旧居の表門あたりから、春日大社の二の鳥居まで続く静かな散歩道。

道の両側が馬酔木(アセビ)の木に囲まれていて、ところどころに木漏れ日が差し込み、なんともスピリチュアル感満載の遊歩道です。 もちろん奈良なので野生の鹿さんたちも沢山いらっしゃいます。

もともとは、高畑町に住んでいた春日大社の神官たちが通った道のひとつで “下の禰宜道(しものねぎみち)” と呼ばれていたそうです。東側には “中の禰宜道” と “上の禰宜道” もあります。ちなみに「禰宜」とは、神官のことを意味しています。


馬酔木の木がからまりあい、根は地を這り、大木が道に覆いかぶさる様に生えているという、少し不気味ではあるが、物思いに耽りながら散歩するにはちょうど良いかも知れない。志賀直哉や、多くの文化人がこの道の散歩を楽しんだとも言われています。

春先には馬酔木が白く可愛らしい花を咲かせるとのことなので、また暖かくなった頃にも是非来てみたい。

まとめ

一生のうちで28回も転居したという志賀直哉。 谷崎潤一郎もそうであった様に、大文豪と呼ばれた方々は同じ環境に身を置く事を好まなかったのでしょうか?

志賀直哉が昭和4年から9年間(46歳~55歳)住んだ奈良高畑の旧居。氏は自身のこの住まいを “上高畑の家” と呼んだそうです。 平成12年に登録有形文化財に指定されましたが、一時は解体の危機もあったという。

学校法人奈良学園がこの旧居を厚生省社会保険庁から譲り受け、改修保存工事を経て、現在は奈良学園の学生が気軽に利用できるセミナーハウスとして使用しているほか、一般にも常時公開されています。

高畑サロンでの文人たちとの交流や家族たちの賑やかな声。 大勢で食事をし、時には静かに小径を散歩する。自然と人に囲まれた “高畑ライフ” が、小説の神様の執筆への意欲や創造力を手伝っていたのかもわかりませんね。

では、また !

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今回行った場所

志賀直哉旧居 公式ホームページ

ささやきの小径

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