松山大学温山記念会館 は、昭和3年に松山大学創立の恩人である新田長次郎翁が、娘婿にあたる建築家 木子七郎 に設計を依頼し、当時としては最高の建材を用いて造られたスペイン風洋館と広大な庭園だ。
長きに渡り新田家の邸宅として使用されていたが、平成元年に松山本学に寄贈されている。「温山」とは新田長次郎翁の雅号にちなんで命名されたもので、当時の凝った意匠の存在感は竣工当時のまま遺されている。
新田長次郎(温山)翁は、愛媛県松山市の出身で、20歳にして志をたて大阪に旅立ち、日本初の動力伝動ベルトの製作に着手し、至難とされた帯革製造業の確立を始め、ゼラチン・ベニヤの製造をも手がけるなど、 日本産業の発展に多大な貢献をした人物だ。
阪神間モダニズムを伝える邸宅
兵庫県の西宮市には、明治末から昭和戦前に拓かれた「西宮七園」なる住宅地があり、いづれも関西を代表する高級邸宅街として知られている。 甲子園・昭和園・甲風園・甲東園・甲陽園・苦楽園・香櫨園 の七つから成る。
現在では、財界人や文化人の邸宅が多く建ち並ぶ閑静な高級邸宅街の代名詞となっており、阪神間モダニズム文化圏を代表するブランド住宅街を形成している。
当館が立つ「甲子園」には、大正15年に甲子園球場が開設され、昭和に入るころには優良な郊外住宅地として人口が急増しつつあった。それに合わせて、甲子園北部を通る東海道本線にも昭和9年に甲子園口駅が設置された。
すぐ近くには、その昔「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と称された、F.L.ライトの愛弟子「遠藤新」による、旧甲子園ホテル(現甲子園会館)が現存している。
旧新田邸は甲子園口駅の南東、新堀川沿いにかつてはワンブロックすべてを占め、2000坪の敷地を擁した邸宅である。 現在でも1300坪、閑静な邸宅街でもひと際大きな存在といえる。 また文化庁の登録有形文化財「ひょうごの近代住宅100選」にも選ばれている。
スパニッシュとアール・デコの洋館
当館が建築された昭和初期はスパニッシュ建築が大流行したが、旧新田邸は日本の生活様式にうまく溶け込んでいる。庭から建物を眺めると、左半分は三角屋根をもつ中世の教会を思わせ、右半分は軒の長い町家のような趣を呈しており、東西の意匠が一つの建物に融合されている。
車寄せのある正面玄関は、藍色や若草色が鮮やかなアラベスク模様のタイルで飾られている。美麗なるスペイン製タイルや、古風なロンデル窓をあしらった玄関を入ると素晴らしい階段が目を引く。
ドーム型の天井を見上げながら階段を上がると、右手にビリヤード台を据えた娯楽室が配されている。床が一段高くなったコーナーに造り付けられたソファに座り、キューさばきを見ながら寛げるという設えだ。
隣の洋間はアール・デコ調のステンドグラスが見事だ。1階と2階 合わせて10以上ある部屋は全て床や天井、照明の意匠が異なる。
建物は鉄筋コンクリート造りでセントラルヒーティング方式を採用するなど構造や設備は当時の最先端。最高の材料で贅を尽くした建物である事は間違いないが、あいにく設計図などは残っていない様だ。
木子七郎の様式建築美
設計者の 木子七郎 は、明治から大正時代にかけて活躍した日本の建築家であり、代表作では愛媛県松山市に存在感を示す洋館「萬翠荘」の作者としてよく知られている。
木子七郎は宮内省の建築エリート集団である内匠寮の技師、木子清敬の四男として明治17年に東京で生まれた。 東京帝国大学工科大学建築学科の卒業後は大阪に赴き、当時、果敢な活躍をみせていた大林組に入った。
七郎は入社早々から凄腕ぶりを発揮したらしい。程なく新田家の建築顧問になったことからみてもクライアントとの強い信頼関係が伺える。やがて当館オーナーである 新田長次郎 の長女・カツと結婚するが、これが七郎の人生を大きく変えたことになる。
木子七郎作品は、愛媛県庁・新潟県庁を始め、学校・銀行・病院・オフィスビル・工場・住宅と極めて多岐にわたっている。また新田家関連の仕事や長次郎の郷里、松山の仕事も多くこなし多彩な作品を残した。
木子七郎の建築は時代の変化と共に進化し、日本の伝統的な美学と西洋の様式建築美を巧みに融合させることで、多くの人々に愛され続けている。彼の作品は、当時の日本建築界における重要な転換点を示しており、後の建築家たちにも大きな影響を与えたといえる。
現在、旧新田邸(松山大学温山記念会館)は、新田長次郎が設立した松山大学へ寄贈され同大学の関西セミナーハウスとして使われている。同校の公式サイトから事前予約をすれば見学可能だ。
甲子園に残る、気宇壮大な阪神間モダニズム建築をゆっくり堪能してみるのはいかがだろうか?
今回行った場所
松山大学温山記念会館 公式HP
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