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悠久のアーバンリゾート「旧甲子園ホテル」でモダニズム建築を愉しむ

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Hamzo
旧甲子園ホテルへ !


旧甲子園ホテル 「バンケットルーム」

山があり海があり川が流れ、自然豊かで閑静な住宅街というイメージが強い “阪神間” と呼ばれるまち。

大阪で生まれ育った僕が、幼少の頃に抱いていた阪神間のそれは今と少し違って、「王子動物園」 や 「宝塚ファミリーランド」 「阪神パーク」 といった遊園施設がたくさんあって、とてもワクワクするレジャーのまちというイメージでした。

今回の記事は、かつて阪神間の地に建設された 夢のリゾートホテル のお話しです。

 旧甲子園ホテル(甲子園会館)


旧甲子園ホテル 「正面玄関」

大正から昭和初期にかけて大大阪と呼ばれ、日本一の商都として発展を遂げた “大阪” と、明治時代の開港以降、西洋との貿易を中心とした独自の文化によって発展した港湾都市 “神戸”

1930年(昭和5年)の春。二つの大都市に挟まれた六甲山麓で、独自のモダニズム文化を開花させた阪神間の地に一大リゾートホテルがオープンしました。

“甲子園ホテル” の名で華々しく開業されると、皇族や国内外のVIPが訪れ、大阪や神戸の財界人や富裕層の人々の社交の場として、晩餐会や舞踏会が連日催されていたといいます。

フランク・ロイド・ライトの意志を継ぐ建築

旧甲子園ホテルは、近代建築界の巨匠 “フランク・ロイド・ライト” の影響を大きく受けて設計されています。水平線を強調した佇まいや幾何学的な装飾が施された外観意匠、起伏に富んだ空間構成などの多くがそれを物語っています。


旧帝国ホテル本館 「正面玄関」

日本の建築美に感銘を受けた、F.L.ライトが京都の世界遺産 “平等院鳳凰堂” をモチーフに設計したと言われる “旧帝国ホテル本館” は言わずと知れた近代名建築のひとつ。現在は愛知県の明治村にそのファサードと玄関棟が保存されています。

耐震性にこだわった構造や、建築意匠に一切の妥協を許さなかったライトの完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こし、それに端を発し、経営陣との衝突が続いたライトは旧帝国ホテル本館の完成を見ることなく解任され米国へと帰国します。

旧帝国ホテルの建設はライトの解任後、日本でのライトの一番弟子 “遠藤 新” (えんどうあらた) の指揮によって継続され、1923年(大正12年)に竣工しました。

左から 遠藤新・F.L.ライト・林愛作(帝国ホテル総支配人)

出典 : wikimedia commons

完成記念披露宴が開かれるその日、関東大震災が東京を襲い、周辺の多くの建物が多大な震災被害を受けるなか、ほとんど無傷で変わらぬ姿を見せていた帝国ホテルはひときわ人々の目を引いたといいます。

東の帝国ホテル・西の甲子園ホテル


旧甲子園ホテル (甲子園会館)

旧帝国ホテルの竣工から7年後 “東の帝国ホテル・西の甲子園ホテル” とまで称される事になるリゾートホテルが阪神間に建設されます。

設計を手掛けたのは、F.L.ライトの愛弟子でありライトの意志を継承する 遠藤新 。現在の阪神電車が設立した超高級ホテルは西宮市と尼崎市の境を流れる武庫川の畔りに建てられました。


旧甲子園ホテル (甲子園会館)

建築デザインはF.L.ライトのそれによく似ていますが、随所に日本の伝統美が取り入れられ、壮麗な洋風建築の空間と巧みに調和しているのが特徴的です。完成した甲子園ホテルの写真を見たF.L.ライトは 「君は私の持つもの全てを吸収した」 と遠藤新を賞賛したという。

個人的にはどこか繊細さを感じる日本的な装飾は、旧帝国ホテルよりも、芦屋市の山邑家住宅(現ヨドコウ迎賓館)に近いものを感じました。

時代に翻弄された壮麗なる名建築

1930年(昭和5年)に竣工したこの建築がホテルとして機能したのはわずか14年。太平洋戦争の激化に伴い、戦中は帝国海軍病院となり、戦後はGHQによる接収により米軍の将校宿舎として使われる事になります。

太平洋戦争末期にアメリカ軍が神戸や阪神間を中心に繰り広げ、広域に渡る範囲が焦土と化した神戸大空襲。辺り一面が焼け野原となった中、この建築だけはほぼ無傷で残ったといいます。

旧甲子園ホテル 「メインロビー」

戦後、進駐軍に使用された歴史的建造物は他にもありますが、接収されている間に改造され意匠や間取りに影響を受けているケースも少なくありません。旧甲子園ホテルは元々の意匠が残されながら、うまく改修保存が施されている印象を受けた。

米軍引き揚げ後、大蔵省の管理下にあった旧甲子園ホテルは、昭和40年 武庫川学院によって教育施設として再生され、現在は武庫川女子大学の生活環境学部建築学科の学舎として現役利用されています。

その要所にはホテルとして賑わいを見せていた往時の面影が今も色濃く残っています。

往時を伝える豊かな外観意匠

旧甲子園ホテルは中央棟に玄関とメインロビーを置き、左右にメインダイニングとバンケットルームを張り出し、その両翼の上層階に客室を配した構成となっています。その建築の至る所に施された装飾の豊かさが旧甲子園ホテルの大きな魅力です。

外壁の大部分は「大阪窯業」で製造された淡黄色のボーダータイルに覆われています。レリーフなどの装飾には「日華石」という石材が使用されている。アール・デコ文様の壁面彫刻が幾何学的な浮き彫りとなって建物を華麗に彩っています。

建物の装飾の要所に滴り落ちる丸い “水滴” がモチーフにされているのは、当時の支配人がホテルの建設にあたって、火災に強い建物にすることはもちろん、火災を遠ざける願いを込めた現れだと言われているそうです。

(左)打ち出の小槌が彫られた棟飾り

屋根は緑釉瓦の瓦葺となっていて、頂点には打ち出の小槌が彫られた棟飾りが見られます。昔はここに灯りがついていたそうです。空に向かって垂直に立つ2本の塔は暖炉の為のもので、階段の様に施された水平の庇が印象的。

六甲山や宝塚の山並みを望むことが出来る屋上は、ホテルの当時はビアガーデンとして使われていたといいます。


ホテル当時はビアガーデンとして使われた屋上

オリエンタルな内部装飾

変化に富んだ内部空間の連動性は、F.L.ライトゆずりの世界観を感じる。

一階 「メインロビー」

南の庭園に面したメインロビーの天井は高く設計され、開放的な印象を受ける。館内のブラケットやシャンデリアなどの照明器具は、貝殻のモチーフを組みあわせたデザインで統一されています。

ホテル時代には玄関脇にクロークやフロントがあり、今もその名残がしっかり残っています。打出の小槌のレリーフと水琴窟を思わせる音が楽しめる泉水など、洋式建築に和のテイストがうまく調和している様に思えた。

一階 「バンケットルーム」

開業当時、舞踏会などが開かれた市松格子光天井の西ウイング1階のバンケットルームは300㎡近くあり、シャンデリアのような黄金色の彫刻は、水玉が降り注ぐようすを表現しています。

昭和11年、阪神タイガース(当時 大阪タイガース)の球団歌で有名な “六甲おろし” が初めて披露されたのがここのホールだったとか。

一階 「東ホール」

ホテル当時メインダイニングだった1階の東ホールは、現在は武庫川女子大学建築学科の学生の建築スタジオとして使用されています。 シェル型のシャンデリアが照らすスタジオには専用パソコンが整然と並んでいる。

建築屋の僕としては、このようなロケーションで建築の勉強ができるのはひじょーに羨ましい限りです。

“泰山タイル” のあるメインバー

かつて甲子園ホテルのメインバーだった部屋の床には、色彩豊かなタイルが敷き詰められている。ここのタイルの多くは、大正から昭和初期にかけて名建材を世に送り出した、京都の泰山製陶所の “泰山タイル” が用いられている。

一見すると、泰山製陶所の窯変タイルや布目タイルが整然と敷き詰められているように見えるのですが、試し焼きのテストピース等が使われているのが何とも面白い。

“TAIZAN” の文字が刻まれたタイルがあったり、“泰” と書かれたタイルの裏面を貼ってみたり、1枚のタイルを4分割して釉薬の塗り方を変えていたりと実にユニーク。細かく砕かれたタイルによってコラージュされた「1930」の数字は甲子園ホテル完成の年。

まとめ

日本に残る数少ないライト式の建築であり、国の近代化産業遺産および登録有形文化財に登録されている甲子園会館(旧甲子園ホテル)は、度々、映画のロケやドラマの撮影などにも使われています。

また、事前予約制で一般見学が可能です。見学の際には、係りの方が設計のポイントや旧甲子園ホテルが建築された時代背景などを詳しく説明して頂けます。

往時の阪神間の歴史を感じながらライト様式の建築美にふれてみる。少し贅沢をした気分になれた時間でした。

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今回行った場所

旧甲子園ホテル(甲子園会館)※見学は予約制
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