「旧山邑家住宅」 フランク・ロイド・ライト
“大阪” と “神戸” の間で花開いたまち
阪神間 とは文字通り “大阪と神戸の間” にあたる地域の事で、自然豊かな六甲山系と穏やかな海に囲まれた風光明媚なまち。およそ西宮から芦屋を経て、神戸市灘区あたりまでのエリアを指します。
江戸時代から商人のまちとして栄え、大正末期から昭和初期にかけての大大阪時代には人口数でも東京を抜き、 日本一の商業都市として隆盛を極めた “大阪” 。
明治元年の開港より外国人居留地を拠点とした貿易が始まり、西洋の文化がいち早く浸透したことによって、独自のハイカラな文化を形成した港湾都市 “神戸” 。
ヨドコウ迎賓館の屋上から望む阪神間の町並み
豊かな日本の伝統文化をつくりあげてきた大阪と、早くからエキゾチックな洋風文化が根付いた神戸、この二大都市の間で、伝統とハイカラが共存する芸術文化や建築、生活様式が花開きました。
大正から昭和初期にかけて阪神間に形成されたこのライフスタイルはいつしか 「阪神間モダニズム」 と呼ばれる様になり、それらは、現在にいたる日本の芸術や文化、教育、娯楽、生活に大きな影響を与えています。
F.L.ライトが手掛けた阪神間モダニズム建築
明治末期頃から、六甲山麓の阪神間には、事業で財を成した大阪の実業家や、灘五郷に代表される神戸の酒造家など、時の富豪たちが別宅や住居を構えはじめます。大正末期あたりからは関東大震災の影響もあって、数多くの芸術家や文化人なども阪神間に移り住みました。
昭和の大文豪、谷崎潤一郎もそのひとり。谷崎の細雪にも度々登場する芦屋川を横目にしながら、業平さくら通りを山手側に歩いてゆくと「旧山邑家住宅」の輪郭が見えてきます。
重要文化財に指定される建築の傍らの銘板には 「淀川製鋼所迎賓館」 フランク・ロイド・ライト設計と記されている。
灘五郷、山邑家の別邸
1924年(大正13年)に竣工した現ヨドコウ迎賓館は、アメリカが生んだ世界的建築家 フランク・ロイド・ライト によって、当時の富豪、山邑家の別邸として設計されたもの。日本でライトが手掛けた数少ない建築のひとつです。
旧帝国ホテルの設計のために来日した F.L.ライトは、日本で12の建築を設計し、うち6つが実作されましたが、現在も完全な形で保存されているのは、西池袋の「自由学園明日館」と、芦屋の「旧山邑家住宅」だけになります。
山邑家は櫻正宗で知られる灘五郷の酒造家。八代目当主 “山邑太左衛門” の女婿が、ライトの愛弟子である 遠藤新 と友人だった縁で、夏場の避暑を目的とした別宅の設計をライトに依頼したといわれています。
しかし、ライトは帝国ホテル経営陣との軋轢により、手掛けていた建築群の完成を待たずに帰国してしまったため、旧山邑邸は基本設計のみがライトによって行われ、実施設計は、ライトの意思を受け継いだ 遠藤新 と 南信 が担っている。
六甲の傾斜地と自然を活かした設計
「自然と建築との融合」をテーマとし、周辺環境を活かした設計を行う建築家と称されたライトは、南北に長く高低差の激しい六甲山麓の地形に設計意欲を強くかきたてられたという。
水平に伸びる空間の連続性がライト建築の特徴とされていますが、旧山邑邸では水平に広がるのではなく、山の斜面に沿って上へ上へと導かれる。 山の稜線を損なわず設計された建築は、館内でも自然を主役にしたドラマチックな空間構成を成しています。
門を過ぎて、奥へと続く緩やかな勾配のアプローチを過ぎると建物の外観がうかがえる。コンクリートと表情豊かな大谷石を複雑に組み合わせた外観は、ライト独特の世界観を感じさせる。
まず、車寄せをかねたシンメトリックな玄関が出迎えてくれます。低く抑えられた天井、大谷石の壁や柱が額縁となって、建物の囲む四季の自然が一幅の絵画の様に美しく切り取られ、これから誘われるライトワールドへの期待が一層膨らむ。
開放的な応接室
押し迫るような天井の玄関ホールから、薄暗い階段を上がった2階には開放的な応接室が広がる。低く抑えた空間から一気に開放へと導く空間演出は、旧帝国ホテルとの類似性が見える。
また、内部の仕上材に外部と同じ幾何学文様が刻まれた大谷石が用いられているあたりも、ライトが意識した空間の連続性を感じることができる。
あくまで左右対称に拘ったデザイン、東西に設けられた大きな窓や、天井際に連続する開閉可能な小窓などが独特の空間をつくり上げている。
建築装飾には葉の造形をモチーフとしたという、四角形の 「飾り銅板」 が随所に使用されています。形だけでなく色も自然のグリーンに近づけるため、わざわざ銅に緑青 = 錆 を発生させるというこだわりようは、まさにライト流といったところ。
造り付けの飾り棚や石組みの暖炉、マホガニーの建具等、一つひとつの造作に見入ってしまう。控えめに明かりを灯す、タリアセンのフロアライトが程良いアクセントになっている。
共存する “洋” と “和”
西洋が石の建築文化なら、日本のそれは木。 ライトの設計には和洋折衷というような言葉では表現しきれない美しさがある様に思う。繊細な感覚で設えられた装飾には、日本の建築美に感銘したというライトの思惑があるのではないだろうか。
3階には3室続きとなった畳敷きの和室がありますが、欄間に銅板を使うなどの意匠はいかにもライト風。しかしこの和室は当初、ライトの原設計にはなかったものなのだとか。
ライトの帰国後、施主たっての要望という事もあり、弟子の遠藤新と南信が設計した和室は、木舞に土壁で仕上げという本格的な日本建築の手法を取り入れたものだったという。
家具との一体化を狙う建築と、神戸の老舗家具店
和室と同じフロアーの家族寝室には、復元された竣工当時の机と椅子が展示されています。
F.L.ライトは家具や照明器具に至る全てを「一体の建築」として考え、設計したと言われています。 現在の旧山邑邸には竣工当時の家具は残されていませんが、創建時にはこの建物に合わせて設計された家具が複数置かれていたそうです。
竣工当時、山邑邸で使われた家具の多くは、明治時代から神戸で西洋家具の製作を続ける老舗「永田良助商店」のもの。同家具店は山邑邸の他にも、旧乾邸や旧ジェームス邸などの阪神間モダニズム建築の造作家具を手掛けました。
復元されたライトの机と椅子も、山邑邸竣工から90年の時を経て、永田良介商店が図面と写真を元に復元製作を行っています。
厳格な食堂、阪神間を見下ろすバルコニーへ
最上階にあたる4階には食堂と厨房が配されています。
食堂の天井は、建物の頂部らしくピラミッド状に高く折り上げられ、三角形に切り取られた様な幾つもの採光窓からは、柔らかい光が射し込み、夜には星空が眺められるという。
食堂においても例に漏れず、暖炉を中心に左右対称のデザイン。欧米では食堂は一家団欒の場というより、むしろ厳格な儀式の場という認識もあるので、ある種、敬虔な祈りのスペースを兼ねていたのかも知れない。
硝子戸から屋上バルコニーへと進むと、そこからは時代を超えて、空と海、周りの自然と一体となった眺望を満喫することができる。きっとここに住んだ人々は、このバルコニーで素晴らしい夜景と、尽きることのない晩餐を楽しんだことだろう。
あとがき
旧山邑家住宅は、斜面地を最大限に活かしたライトの代表作でもある米国の「落水荘」の原型ともいわれています。
山邑家の手を離れた後は、1947年に所有者となった淀川製鋼所が、社長宅、アメリカ人一家の借家、社員の独身寮など様々な用途で同建築を利用しましたが、昭和40年代には老朽化のため、取り壊してマンションを建てる計画も上がったという。
日本が高度成長期の最中にあった当時、マンションに建替えていれば、超人気の高級マンションとなったであろうが、ヨドコウは会社の利益よりも建物の保存を優先させ、マンション計画は中止。建物は保存される事になりました。
経年による躯体の老朽化や、傾いた建物、所有者が変わる度に手を加えられた内装や間取りを、ライト建築の主旨に沿った形で、復元修理する工事はおよそ3年かかったそうです。
旧山邑邸は、鉄筋コンクリート建築として始めての重要文化財指定を受け、現在は世界遺産候補にも挙げられています。
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今回行った場所
ヨドコウ迎賓館 公式ホームページ