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「自由学園 明日館」フランク・ロイド・ライトの穏やかな学校建築

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S.L
ライトの学校建築!


自由学園明日館「中央棟ホール」

“フランク・ロイド・ライト” は日本でも良く知られる、アメリカ合衆国が生んだ世界屈指の建築界の巨匠。

ライトは91年間の生涯で400余りの作品を手掛けていますが、その殆どは母国であるアメリカに遺されています。米国以外で遺るライト建築は、F.L.ライト 第二の故郷と言われた「日本」に僅か4作品が現存するばかり。

今回はF.L.ライトがおよそ100年前に築いた、東京池袋の穏やかな木造建築について綴ってみたい。

プレーリー・スタイルの学校建築

池袋駅から目白方面に5分ほど住宅街を歩くと、辺りの建物とは明かに異質な西洋建築が佇んでいます。

自由学園明日館みょうにちかん は1921年(大正10年)にフランク・ロイド・ライトの設計によって建てられた元女学校。 F.L.ライトが日本で設計し、ほぼ完全な形で現存する建物のひとつ。

ライトが同時期に手掛けた旧帝国ホテルと同じくシンメトリーの外観ですが、帝国ホテルの正面玄関を見たときに感じた “威厳” のようなものはなく、どこか穏やかさを感じる優しい建築というのが第一印象でした。

プレイリー・スタイルとは、アメリカ北部のプレーリーと呼ばれる草原地帯との調和を目指した建築様式で、F.L.ライトの代名詞とも言えるスタイル。 自然との景観と馴染ませるため、建物の高さを抑えつつ地を這うような佇まいがその特徴とされています。

ライトは、目白台地のおよそ50メートル四方の穏やかな敷地を見て、この立地をうまく使えば、小さいながらも大草原のイメージを演出できると確信して設計したのかも知れない。

ライトの優しい建築

およそ同時期に日本で活躍した W.M.ヴォーリズ の建築と比べると、おしなべて F.L.ライト の建築は対照的に思える。

その空間を自分色に染める事を優先したライトの建築と、使い手である施主の意向を第一に考えたヴォーリズの建築。 自由学園を訪れてみて、そこに流れる空気感や、どこか温もりを感じる穏やかさは、ヴォーリズの建築のそれと似たものを感じた。

ライトがアメリカで設計したプレーリー・スタイルの建築には美しい色ガラスを用いた装飾窓や煉瓦などが用いられ、内装も非常に華やかですが、自由学園明日館にはそのような煌びやかさは見られず、むしろ質素な造りの様にも見て取れる。

自由学園明日館

自由学園明日館は「理想の学校を創りたい」という理念のもと、婦人之友社の創業者である 羽仁吉一はによしかず・もと子 夫妻が限りある私財を投じてライトにオファーしたもの。

自由学園明日館には、「豊かな思いを内に秘め、しかし目に見える形は簡素に」という施主夫妻の想いが、このうえないほど良く表されながらも、空間はライトワールドに染まり、細部にわたって神経の行き届いたデザインが随所に施されています。

しかし何故、裕福でもなく、建築予算も少なかった羽仁夫妻の為に、自分の才能を決して安売りしなかった事で有名なライトが、この小さな女学校の設計にあたろうと思ったのでしょうか?

一説では、「女性を縛るこれまでの日本の慣習」と戦ってきた 羽仁もと子夫人 と、「今までの慣習から離れ、新しい建築思想の啓蒙」に苦労していた当時のライトが、同じブレイクスルーを目指す同志として、強い共感を覚えたのがきっかけだと言われています。

自由学園明日館

建築中であった旧帝国ホテルの経営陣との軋轢あつれきに端を発し、同ホテルだけではなく、芦屋の「旧山邑やまむら邸」そして、池袋の「自由学園」と、自身が手掛けた全ての建築の完成を待たずにアメリカに帰国したF.L.ライト。

「自分は日本に来て二つの型の人々を見た。その一つは全く物の心のわからない人、そろばん勘定しかわからない人だ。その人たちしか見なかったら私は日本に来た事を悔いたであろう。 しかしまた、私は物の心のわかる人々を見た。それで私の心は満足した。」 

アメリカへの帰国前、ライトは涙を流しながらそう語ったという。帰国後もライトが日本を第二の故郷として愛し続けたのは、羽仁夫妻らとの心の触れ合いがあったからなのかも知れません。

たとえ予算が限られていても、理想を形にしたいというライトの思いや優しさが、自由学園明日館には詰まっている様にも思えた。

ライトの意思を継ぐ 遠藤新


「講堂」 は遠藤新の作品

自由学園の建設にあたり、施主の羽仁夫妻とF.L.ライトを引き合わせたのは、当時、ライトの日本における右腕として活躍していた、一番弟子の 遠藤新えんどうあらた

F.L.ライトの帰国後、建築途中だった国内全てのライト建築を完成させたのもまた 遠藤新 です。 自由学園明日館はライト建築として知られていますが、ライトの原設計案に基づいて実施設計は遠藤が行っています。

それまで、自身の作品に共同設計者を認めなかったライトが、自由学園明日館が完成した時には、遠藤を共同設計者として名を連ねることを認めるほど絶大な信頼を寄せていました。

自由学園明日館 「講堂」

自由学園明日館と道路を挟んで南側に建設された “講堂” は、一から 遠藤新 の設計によるもの。もし、ライトが帰国することなくこの講堂の設計をしたなら、こういう形になるんだろうなぁ…と思えるほど、ライトの意思をよく受け継いだ作品の様に思う。

遠藤新の講堂は、明日館の建築と一体となりライトの意図を損ねることなく一体の景観と同化しています。

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今回行った場所

自由学園明日館 公式ホームページ

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