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推理小説の巨人「江戸川乱歩」の迷宮世界とその足跡を巡る

更新日:

S.L
僕らは少年探偵団!


旧江戸川乱歩邸

自分が “江戸川乱歩” の作品とはじめて出会ったのは小学校低学年の頃だったと記憶している。

ポプラ社の 少年探偵 江戸川乱歩全集 のハードカバーに描かれた、おどろおどろしい世界観に魅了されて、足しげく最寄りの図書館に通い、一冊、また一冊と、夢中になって読み漁った思い出がある。

確か最初に覚えた作家の名前も 江戸川乱歩 だった様に思う。


少年探偵シリーズのカバー画は柳瀬茂 作

乱歩の名前がペンネームで、米国の小説家 “エドガー・アラン・ポー” に由来することを母から教えて貰い、当の エドガー・アラン・ポー を全く知らずに、自慢気に それを近所の友達に話した事を覚えている。

乱歩作品初の少年シリーズ「怪人二十面相」は、昭和11年に第1号が出版されたベストセラーなので、私の親世代である団塊の世代の方々も「少年探偵団」をはじめとした “乱歩ワールド” にハマった時代があったと聞いた。

オリジナルの原曲はよく知らないまでも 「 ぼ! ぼ! 僕らは少年探偵団 ! 勇気りんりんるりの色 ♪ 」と、少年探偵団の歌を口ずさめるのは、やはり親が歌っていたのを耳にしていたからなのだろう。

江戸川乱歩が活躍した昭和初期は、エロ・グロ・ナンセンス と呼ばれた、近代社会の裏側にうごめく陰のエネルギーが爆発した、大衆文化の時代である。 乱歩はまさにその時代の申し子であり、乱歩作品にはその時代の空気感みたいなものが濃厚に感じられる。


出典:SHUHEI SHIBUE「人間椅子」

70年の人生を探偵小説に捧げた 江戸川乱歩 は、三重→名古屋→東京→大阪→三重→東京→大阪→東京と、青年時代を中心に転々とした引越し魔としても有名で、生涯における引越し回数は46回、東京だけでも26回に渡って住まいを変えている。

没年の1965年から50年以上経った今も、乱歩が青年時代のひと時を過ごした三重県の鳥羽や、明智小五郎を誕生させた大阪をはじめ、晩年の住処すみかとなった池袋の邸宅など、乱歩ワールド に触れる事が出来るスポットが幾つか存在している。

今回は、乱歩ファンなら一度は訪れてみたいスポットを、推理小説の巨人、大乱歩が辿った足跡と合わせて巡ってみたい。

よろしければ、最後まで乱歩の迷宮世界にご一緒ください。

乱歩、生誕と青春の地、三重

乱歩生誕の地、名張

江戸川乱歩、本名 “平井太郎” は、明治27年に三重県は 名張なばり に平井家の長男として生まれた。

名張は奈良との県境の内陸に位置し、周囲を山野や赤目四十八滝などの美しい自然に恵まれた小さなまち。


三重県名張市 赤目四十八滝

近年、乱歩ゆかりの地として、名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地碑」や「乱歩の銅像」が建立されたりしているが、二歳以降は各地を転々としているので、乱歩にとって名張は “見知らぬ故郷” だった。

最も多感な時期である小中学校の少年時代を名古屋で過ごし、18歳で早稲田大学の編入試験に合格、大学時代に読書三昧の日々を送り、短編推理小説の世界にドハマリした様である。

鳥羽と岩田準一

短期間だが乱歩が20代前半の青春の一頁を過ごしたのが三重県のみなとまち鳥羽とば。 大阪での社会人生活を一年でドロップアウトし、放浪の末、鳥羽造船所の電機部に就職した。

一年半ほどの鳥羽生活の間で深い友人関係を築いたのが、奇才の画家であり、男性すらも魅了する美少年といわれた “岩田準一” という人物である。


岩田は乱歩の作品に挿絵を挿入した

人嫌いで有名だった若き頃の乱歩にとって、唯一の友人と呼べる存在が岩田であったという。 乱歩が上京し作家として成功した後も交友があった様だが、二人の関係は精神的なボーイズラブ要素も含んでいたらしい。

乱歩は、度々、休筆しては放浪の旅に出たが、岩田が旅の道連れとなったこともあったという。 また、「パノラマ島奇談」や「孤島の鬼」などの鳥羽をモデルにしたとされる作品も遺している。

江戸川乱歩館と鳥羽遊郭


鳥羽「江戸川乱歩館」

江戸川乱歩館は、岩田準一が住んだ鳥羽二丁目の家に、交流のあった江戸川乱歩や竹久夢二に関する資料を中心に展示しているもの。

館内は昭和時代の路地裏を再現したり、土蔵で江戸川乱歩の妖しい世界を再現したりと、なかなか趣向を凝らした演出となっているのだが、個人的には当館が建つ界隈のさびれた街並みの方が興味深い。

江戸川乱歩館と鳥羽二丁目の街並

大坂と江戸を結ぶ 菱垣廻船 や 樽廻船 による廻船交通が栄えた江戸時代、 ちょうど中間地点にあたる鳥羽は「みなとまち」として興隆し、人が行き交うまちにはやがて 鳥羽遊郭 という遊里が形成された。

現在も、その残り香とも言える雰囲気がまちにプンプン漂って、廃墟と化したカフェー建築や昭和感満載のスナックが往時の色街風情を彷彿させる。 個人的にはこの街並みの方が ある意味「乱歩ワールド」に近い様な気がする。

放浪のはじまりと、明智小五郎 誕生の地、大阪

乱歩は、22歳の大学卒業後 一年足らずの間と、32歳で専業作家への道を決意し、東京に居を移すまでの数年間を大阪で暮らした。

特に後半の大阪時代は、苦悩もあったが乱歩の作家的才能が大きく開花し、数々の短編群を生み出した時代。後に自身を「大阪式ネバリ屋」と称していることからも、大阪人としての自覚もあった様である。

大阪から始まった放浪癖


社会人一年生を過ごしたうつぼ中通(現在の靭公園)

早稲田大学卒業後、知人の紹介で大阪の貿易会社「加藤洋行」に住みこみで就職したが、一年と長続きせず、職業転々の時代がスタートする。 この後に専業作家として生計をたてるまでの間、乱歩は実に30以上の職についたという。

当時、加藤洋行の本社があったのが、ちょうど現在の大阪市西区「うつぼ公園」のあたりとされる。

名探偵 明智小五郎が生まれた、守口


守口「旧中西家住宅」

守口もりぐちは、太閤秀吉によって造られた、京都と大阪を結ぶ道「京街道」の宿場町として江戸期より栄えた歴史あるまち。

乱歩が26歳から東京進出の32歳まで間、職と住居を転々としながら執筆を重ねるという生活を送ったのが守口である。時は関東大震災があった大正12年の頃。

ちょうどこの時期に「二銭銅貨」や「闇に蠢く」など名作を生み出し、大阪最後の住まいとなった守口市八島町一丁目にあった寓居ぐうきょで「Ⅾ坂の殺人事件」を執筆し、名探偵 明智小五郎がデビューを飾った。

居住跡を示す道標が守口駅前に置かれている。ひと昔前まで “江戸川乱歩寓居跡” の銘板が軒先に掲げられた家があった様だが、現在は道標が指す矢印に歩を進めても面影は何もない。

乱歩が最後に働いた大阪毎日新聞本社


大正11年築「旧大阪毎日新聞本社社屋」

職を転々とした乱歩が、最後の職場として一年四ヶ月 働いたのが大阪毎日新聞社。 辰野金吾と肩を並べる近代建築の巨匠「片岡安」の設計で、大正11年に建てられた大阪本社は北区の堂島にあった。

当時、同社の広告部に勤める傍らで、乱歩や横溝正史を初めとする多くの探偵小説作家の活躍の場となっていた雑誌「新青年」を中心に短編発表を続けるという二足の草鞋わらじを履いていた。

乱歩が通勤した大阪毎日新聞旧本社社屋は、ちょうど現在の 堂島アバンザ あたりになる。 旧本社社屋の玄関ファサード部分が四つ橋筋を向いてアバンザ前に保存されているが、この玄関の入口アーチを乱歩も幾たびか潜ったのか…と思って眺めてみると、なかなか感慨深いものがある。

乱歩ワールドがすごい、昭和町の “金魚カフェ”

大正14年に建てられた古長屋をリノベーションした大阪昭和町の金魚カフェ。 乱歩ゆかりという訳ではないのだが、この店が滲み出す乱歩感がなかなかすごい。

大阪昭和町「金魚カフェ」

此方の気さくな店主さんが乱歩の大ファンという事で、店内には乱歩作品のみならず怪奇的な雰囲気の小物などが溢れ、気付けば “乱歩ワールド” に包まれたカフェになったという。

大阪は棟割長屋の多い町であるが、市内中心部と比較してこの界隈は戦災を逃れた戦前の長屋がちらほらと残っている。築90年の経年美化が妖艶な雰囲気作りの一翼を担っている。

大阪昭和町「金魚カフェ」

どうやら金魚鉢に入ったクリームソーダがこの店の名物らしい。 客人の殆どがこのソーダをちゅうちゅう啜っていた。 デッドストックの水槽がある座敷は、珈琲を飲みながら乱歩の短編をまったり読みたいロケーションである。

数々の事件を生んだ、乱歩終焉の地、東京

青年時代、東京で働いては大阪の父の元へ戻るという生活を続けた乱歩だったが、専業作家としての決意を固め上京した後のおよそ40年間は、旅行や戦時中の疎開以外で、生涯 東京の地を離れる事はなかった。

乱歩作品に登場する事件のその殆どは、東京各所を舞台にして描かれている。 明智小五郎も「黒蜥蜴」事件ぐらいでしか再び大阪を訪れてくれなかったのが、大阪人としては少々寂しい。

貼雑年譜 “東京市ニ於ケル住居轉々ノ圖”

乱歩ファンにはよく知られた「貼雑年譜はりまぜねんぷ」。 所謂いわゆる、乱歩お手製のスクラップブックなのだが、そんな簡単な言葉で片付けられる代物ではない。 自身が生誕してから今日までの軌跡を、記事の切り抜き、手書きの住居間取図、等々にコメントを添えて至極克明に記したもの。 

全九巻にわたる貼雑年譜には、「東京市ニ於ケル住居轉々ノ圖」として、乱歩が住み渡った東京の26ヶ所の住居が知るされている。ちなみに「三重縣及名古屋市二於ケル住居移轉圖」と「京阪地方住居移動圖」も存在する。

東京池袋、江戸川乱歩 終の住処

各地各所を転々とした引越し魔の乱歩が最も長く暮らしたのは、作家として脂の乗った40歳(昭和9年)から、71歳(昭和40年)の没年までの31年間を過ごした東京池袋の家。

現在は隣接する立教大学によって維持管理され、乱歩が住んでいた当時の趣がそのまま残されている。 昭和20年の東京大空襲によって、池袋一帯が焼け野原となったなか、奇跡的に乱歩邸と立教大学の校舎だけが焼失を免れたという。

乱歩は昭和9年にこの家を借り、18年間の借家の後に地主からの求めで同宅を買い取った。敷地は300坪ほどあり建物は70坪ほどである。 昭和30年代に乱歩自身が設計し増築した応接間では、時の作家たちによる会議などが行われた。

旧江戸川乱歩邸「応接間」

この応接間には、かつて土蔵の中で用いられていたとされる机や、当時、乱歩が使っていた調度品や小物などがそのまま保存されている。

乱歩の脳味噌、幻影城

母屋の裏手にひっそりと佇む、乱歩の膨大な蔵書が保存された土蔵、通称「幻影城」。 “真っ暗な土蔵にこもり、蝋燭ろうそくの灯りだけで探偵小説を書く怪人” という、乱歩伝説の根源の場所でもある。

土蔵内には乱歩が収集した国内外のミステリーや、江戸期の和本、同性愛文献など約2万冊の蔵書が現在も眠る。単なる小説の素材の倉庫という域ではなく「頭蓋骨に覆われた乱歩の大脳そのもの」と表現された事があるという。

引越し魔の乱歩が30年以上も住み続けたのは、この土蔵があったからだとも言われている。

旧江戸川乱歩邸「土蔵」

土蔵内の書物は作家のアルファベット順に並べられ、 “整理魔” としても有名だった乱歩の一面を垣間見る事が出来る。

あとがき

「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」

 - 江戸川乱歩

この記事を書くにあたって、久しぶりに乱歩の小説を何本か読んでみた。アマゾンで買ってしまえば楽なのだが、少年時代にワクワクしながら図書館で乱歩本を探した様に書店を回ってみた。

初期の短編を中心に読んだのだが、やはり、子供の頃にも感じたであろう、どこか怪しく漂う、ほの暗い風情が乱歩作品の大きな魅力なのだと思う。

昔、私と同じ様な乱歩経験がある人なら、懐かしさを持ちながらも新鮮な気持ちで読めるのではないだろうか。

では、また!


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今回行った場所

江戸川乱歩館 公式ホームページ

金魚カフェ  関連サイト(食べログ)

旧江戸川乱歩邸 立教大学ホームページ

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