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東京

丸の内「明治生命館」古代ローマの優美な世界観をたのしむ

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S.L
明治生命館へ !


明治生命館 「二階 回廊」

生粋の関西人である僕が “丸の内” と聞くと、やはり洗練されたオフィスが建ち並ぶ、最先端の洒落た街というイメージを持つ。

大阪淀屋橋には「住友村」と言われる旧住友財閥系のビルが建ち並ぶエリアがありますが、同様に三井財閥発祥の地、東京日本橋には「三井村」があり、三菱財閥の岩崎弥之助が日本屈指のビジネス街に育て上げた丸の内エリアは通称「三菱村」と呼ばれていますよね。

時代の最先端を行くオフィスビルへの変化が早い丸の内エリアで、竣工から80年以上の間、現役で生き続けているという壮麗なビルディングに足を運んで来た。今回、訪ねた丸の内二丁目の重要文化財 明治生命館 です。




What’s “明治生命館” ?

三菱の系列会社である明治生命は、日本初の近代的保険会社として1881年(明治14年)に日本最初の生命保険会社として創業。明治生命館は、1934年(昭和9年)に明治生命の旧本社屋として竣工した歴史的建造物です。

現在の明治生命館は二代目のもので、初代の明治生命館は1895年(明治28年)に竣工した旧三菱二号館と呼ばれた建築でした。これを昭和5年に取り壊して、その跡地及び隣接地に建てられたのが現在の明治生命館となります。

戦時中の金属回収や東京大空襲、そして太平洋戦争後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)接収時代を乗り越えて、現在も現役で店頭業務が行われている明治生命館。週末の土・日曜日には歴史的価値の高い内部を無料で見学させて頂けます。

昭和の激動を乗り越えてきた明治生命館には、時代の記憶が壮麗な建築と共に美しく保存されています。

設計コンペの天才 “岡田 信一郎”

明治生命館の設計は8人の建築家によるコンペティションによって当選した東京帝国大学卒業の建築家 岡田 信一郎 の手によるもの。 しかしこの人は設計コンペに強い方ですねぇ。ていうかプレゼンの天才だったのかもね。

大阪市中央公会堂も17名の設計コンペで原案デザインが決定していますが、並み居る競合を抑えて当選したのが、応募当時29歳の若き建築家 岡田信一郎の作品でした。大阪中央市中央公会堂は岡田の原案を元に、辰野金吾と片岡安が実施設計を行っています。


「大阪市公会堂新築設計図 透視図」  岡田 信一郎

岡田 信一郎の現存する作品では文京区の鳩山会館(旧鳩山一郎邸)も有名ですが、明治生命館は岡田が心血を注いだ代表作であり、日本における様式建築の大傑作とも言われています。

残念ながら、岡田 信一郎は明治生命館の着工後間もない昭和7年に50歳で病により急逝したため、完成後の姿を設計者本人は見る事が出来なかったのですが、実弟で同じく建築家の岡田 捷五郎が設計監督を引き継ぎ、兄の遺作を完成させています。

古典主義様式の優美な空間


明治生命館 正面外観

明治生命館の主要な意匠は、古代ギリシア・ローマ帝国に源をもつ古典主義様式でまとめられています。 お堀場に面した正面外観には5層を貫くコリント式と呼ばれる10本のオーダー(列柱)が整然と立ち並び、威厳を感じさせる佇まいを演出している。

内部も外観と同様に古典主義の意匠で構成されていますが、イタリア産ボテチーノクラシコをはじめとする各種の大理石が用いられ、外観とはまた違った優美な空間となっています。

二層吹き抜けの大空間に柱が林立する店頭営業室廻りは特に荘厳な雰囲気が漂っている。二階部分は回廊式になっていて、複数の応接室や執務室などが配された設計となっています。

大大阪時代の商都 大阪にも、戦前の銀行で同様のスタイルを持った現存する建築もありますが、ここまで往時に近い形で美しく保存され、また自由に見学や撮影がさせていただける重要文化財は日本では稀だと思う。

会議室では接収時代に対日理事会が開かれ、GHQ マッカーサー元帥が出席し演説をしたこともある部屋だという。

明治生命館に備えられた家具や調度品は、岡田信一郎と師弟関係であった梶田恵という工芸作家の作品なのですが、それぞれの家具の趣きが各部屋とよく調和し、この建築のポテンシャルの底上げをしている様にも思えた。

今回行った場所

明治生命館

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