スマイルログ

SMILE LOG

東京

「旧前田侯爵邸」加賀百万石の大名家、華族が暮らした洋館の設え

更新日:

S.L
華族の洋館へ!

加賀百万石と称された大大名の旧加賀藩主前田家は、江戸時代初期の1657年から現在の東大周辺にあたる本郷に広大な上屋敷を営み、明治維新後も同地に本邸を設けた。その前田家が駒場に本邸を移転したのは昭和5年、16代当主 前田利為としなり の時。

明治19年に公布された華族令によって、大名家の多くはその威信を保つと共に「皇室の藩屏はんぺい」として東京在住を命じられ都内に家を建てるのだが、 前田利為侯爵が建てた屋敷は当時東洋一の大邸宅と呼ばれたという。



前田家 華族の邸宅

昭和5年から6年にかけて、前田利為侯爵は約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを相次いで竣工させた。私邸という言葉では追い付かないスケールの屋敷には、当時、数百人の使用人がいたというから破格の規模といえる。

敷地内に「洋館」と「和館」そして「庭園」を設えるのが明治期の上流層のステイタスであり、同じ形式の屋敷は現在も全国にいくつか遺っているが、旧前田邸は規模やスケールが他を圧倒している。さすが、加賀百万石!と思わず溜息がでる。

一階 “もてなしの空間”


一階 応接室

16世紀英国のチューダー様式をベースとした前田邸洋館は、イギリス留学の経験があり、本邸建設準備の最中には英国大使館付武官の任を受けていた利為侯の好みが存分に反映されている。

前田邸洋館は一階を “もてなしの空間” として、二階を “家族のくらしの空間” としてパブリックとプライベートをゾーンニングしている。玄関から階段に続く広間で国内外からの賓客を迎え、サロンや大食堂では賑やかな晩餐会が催されたという。


一階 階段広間・玄関ホール

深紅の絨毯が敷きこまれた玄関ホールはとても大きく、二本の石柱を間にして、奥には階段広間が広がっている。柱は黒色を基調としたイタリア産の大理石張りで、上部にはアカンサスの葉をモチーフにした柱頭がおかれている。

高い天井には装飾を控えた梁型が連続して配され、重厚なプロポーションの柱と共に、優雅で舞踏会に招かれた様な心躍る空間を作り出している。


一階 応接室

玄関ホールと直結した応接室はホールとの連続性を備えた意匠となっている。床の寄木、暖炉の黒い大理石、天井の梁型もホールと繋がりを持った設えとしながら、いっそう手の込んだ仕上げとしている。

壁面は背の高さ以上の木製パネル、上部は漆喰の粗塗り仕上げとし、無骨でありながら重厚なチューダー様式を意識した意匠となっている。また、第一応接室に配されたラジエーターカバーは、美術工芸品と称される泰山タイルを生み出した、池田泰山 率いる京都泰山製陶所で造られたもの。

一階 応接室・サロン

応接室の奥に大小二間のサロンがある。部屋の境界に壁に収納できる引き込み戸が設けられ、客の数に合わせて二部屋を連続して使える様に工夫されている。招かれた賓客はこのサロンで食事までの時間を楽しんだに違いない。


一階 サロン

サロンの壁紙はさすがに当時のものではないが、金色に光るクリスタルガラスのシャンデリアや、天井オーナメントなどの装飾からして鮮やかなインテリアの部屋だったのだろう。

サロンの扉を開くと、26名が一同に会食できる大食堂から家族用の小食堂へと続く。

一階 食堂

大食堂にある白大理石のマントルピースの両脇は、やや古風な柄の金唐紙で仕上げられている。暖炉の正面には円弧状の出窓があり、ここから庭の豊かな緑と光が取り込まれる。

これらの凝った設えを見ていると、利為侯が大切な客人をもてなすために、当時の最先端の技術や設計者、職人の力といったものを結集したであろう事が伺える。

階段広間に移ると、大階段から飴色の光を運ぶステンドグラスが見える。

階段の下にはイングルヌックと呼ばれる、暖炉と造り付けのベンチを配した小空間がある。ほっこりと居心地がよさそうで、親しい間柄ならここでの会話も弾みそうだ。



二階 “家族のくらしの空間”


二階 長女居室

大階段を上るとホールを中心として家族の個室が連なる。二階は家族の生活の場、いわゆるプライベートゾーンで、夫妻の寝室や婦人室、子供部屋や書斎などの個室が配されている。

個室といっても家が家だけに、それぞれの部屋のスケールは一般家庭のリビングダイニングより遥かにデカい。


二階 寝室

利為侯は明治39年に先代利嗣候の長女渼子なみこと結婚し、男子二人が誕生するも、夫人と次男を病で失っている。後の大正14年に旧姫路藩酒井伯爵の次女菊子と再婚し、一男三女に恵まれている。

二階で、ひと際 美しいインテリアを持つ部屋が菊子夫人の居室、夫人室だ。

二階 夫人室

パープルローズの壁紙に大きな暖炉を設えた華麗な部屋で、ここが家族団欒の場でもあった。利為侯はこの部屋で夫人と朝食をとった後、陸軍参謀本部に出勤するのが日課だったという。

暖炉のグリルには菊子夫人の名にちなんだ、可愛らしい小菊のデザインがあしらわれている。

二階 書斎

アール・デコ調の大きな書棚が造り付けられた利為侯の書斎は、まるで重役室の様な設えだ。

往時はこの部屋で元家老たちと密談したり、ドイツ語、フランス語のスピーチの練習をしていたのだとか。長女の美意子がこの書斎が好きだったらしく、ここでよく父の蔵書を読んでいたそうだ。

あとがき


旧前田侯爵邸 和館

和館・庭園と共に、国の重要文化財にも指定される旧前田侯爵邸洋館の設計は、東京帝国大学教授の塚本靖と愛弟子の高橋貞太郎が努めている。

戦後はGHQに接収され、米軍司令官の公邸や官邸として使用されているが、平成28年から2年余りにわたり文化庁の国庫補助事業として保存修理工事等を実施、利為侯が暮らしていた当時の内装に復原され一般に見学公開している。

森の中の豪奢な邸宅からは、今宵も夜会に集まった貴婦人たちの談笑と、楽団の奏でる円舞曲が聞こえてきそうな錯覚に陥る。




今回行った場所

旧前田侯爵邸洋館 公式HP

関連記事

松山「萬翠荘」森の中に佇む、木子七郎の瀟洒な洋館

愛媛県松山市の勝山山頂にそびえ立つ松山城の麓、緑豊かな森のな ...

続きを見る

旧朝香宮邸「東京都庭園美術館」白金台に建つアール・デコの館

What’s アール・デコ? アール・デコ とは1920年〜 ...

続きを見る

「旧徳力彦之助邸・チェリデザイン」京都のモダン建築を訪ねて

旧徳力彦之助邸 太秦うずまさに来るのは何年ぶりだろうか。 嵐 ...

続きを見る

亀岡「楽々荘」京都の奥座敷に建つ、美しい明治時代の迎質館

先日、京都亀岡の美しい洋館 “楽々荘” で静かなランチを楽し ...

続きを見る

スポンサーリンク



スポンサーリンク



-東京
-,

error: Content is protected !!

Copyright© SMILE LOG , 2024 All Rights Reserved.