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京都

亀岡「楽々荘」京都の奥座敷に建つ、美しい明治時代の迎質館

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Hamzo
楽々荘へ!

先日、京都亀岡の美しい洋館 “楽々荘” で静かなランチを楽しんできた。

楽々荘とは京都鉄道株式会社(現在トロッコ列車として知られる旧山陰線)の創設者で、明治時代の京都の政治経済界の大物、田中源太郎の旧別邸のこと。


楽々荘「洋館と和館」

旧山陰線の生みの親ともいわれた田中源太郎は、明治、大正期に京都で十数社の要職に就いた実業家兼政治家であった。

田中源太郎は山陰線の設立に尽力し、69歳の時に乗った列車が山陰線の保津川鉄橋から脱線、転落し死亡したことから、その生涯を山陰線に殉じたと語り継がれている。

明治31年(1898年)頃から約5年もの歳月を費やし建てられたその館は、山陰線のトンネルと同じ煉瓦を使った洋館、書院造りの和館、玄関棟、そして700坪もの池泉回遊式庭園で構成されている。



明治期の趣を残した重厚な空間

クラシカルな応接間

外観を特徴づける細かく分割されたガラス戸とパステルカラーの意匠が目を引く洋館は、とても美しく保存されており、明治時代の洋風邸宅としてとても貴重な建築だと思う。

厳かな玄関から和風の廊下を通り抜けて洋館ヘと入るようになっている。煉瓦れんが造りの2階建の洋館は、各階とも洋室が2部屋ずつ配されている。

洋館1階 応接間

いずれも明治時代の趣を彷彿させる家具や調度品が美しく飾られ、天井には華やかなシャンデリアや凝った照明など往時の華やかな雰囲気が演出されている。

折り上げ格天井の上に美しいシャンデリアが煌めく一階の応接間は、程よく装飾が施された廻り縁や窓枠などの化粧材と、品の良い絨毯のマテリアルがクラシカルで上品な空間を作り出していた。

洋館2階 応接間

2階の応接間も1階同様にクラシックで重厚な造りになっている。軽やかな色合いのタイルが施されたマントルピースが、隣接する明るいベランダとの調和を取っている様にも見えた。

明るいベランダ

楽々荘の顔とも言える木造のベランダは、1階部分は応接間からそのまま外に出られるような設計で、2階部分には硝子戸が嵌められサンルームのような造りになっている。どことなく大阪最古の洋館「泉布観せんぷかん」を思わす設えだ。

洋館ベランダ

2階のベランダは重厚な応接間の雰囲気から一転する、 パステルグリーンと白に塗られた軽やかな空間のコントラストも面白い。全面ガラス戸となった窓からは、日中は明るい日差しが差し込み、日本庭園の美しい木々や和館の瓦屋根が見える。

七代目 小川治兵衛の庭

洋館と和館の前に広がる700坪の池泉回遊式庭園は、明治のカリスマ庭師「七代目小川治兵衛」の作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設されている。

書院造りの和館、洋館の2階ベランダから美しい景観を見せる。

楽々荘 日本庭園

広大な敷地に、和と洋、二つの家を建てる事が、明治時代の実力者のステイタスであり、一種の流行りだったという。そういえば、岡崎にある山縣有朋やまがたありとも無鄰菴むりんあんも、和洋の館を備えながら、琵琶湖疏水を贅沢に用いた小川治兵衛の庭を持つ権威の象徴の様な明治建築だ。

現在の楽々荘

昭和23年頃に田中家の手から離れた当館は旅館「楽々荘」として開業、2018年からは、がんこフードサービスが借り受けて「がんこ京都亀岡楽々荘」として改装開業している。

いづれにしても、築後120年以上も経過する建物だが、非常に美しく保存されていると感じた。玄関・洋館・和館は、それぞれ国の登録有形文化財に、 庭園は京都府の名勝に登録されている。



今回行った場所

楽々荘

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