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松山「萬翠荘」森の中に佇む、木子七郎の瀟洒な洋館

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S.L
松山 萬翠荘へ!

愛媛県松山市の勝山山頂にそびえ立つ松山城の麓、緑豊かな森のなかに佇む “シャトー” と呼ぶにふさわしい 萬翠荘ばんすいそう は、大正11年に旧松山藩主の子孫、久松定謨ひさまつさだことが建てた洋館だ。

建物全体のシルエットが実に華麗な雰囲気をまとっている。塔屋を配した鱗形天然スレート葺きのマンサード屋根には華やかなドーマー窓が付き、緑青の装飾と外壁に張られた白タイルのコンビネーションが美しい。

クラシックなバルコニーの表現などは、典型的なフランス・ルネサンス様式を表している。 バルコニーを挟むように配された2階ベランダの3連アーチが小気味よいリズムを刻み、バランスのとれたアクセントとして効いている。




木子七郎の名作 “萬翠荘”

萬翠荘の設計は、大阪を中心に活躍した建築家の 木子七郎 きごしちろう。 木子は萬翠荘と同じ松山市内に建つ愛媛県庁舎(昭和4年)も手がけている。木子の義父が愛媛県出身の実業家である事から同地にゆかりがある様だ。

約19億円の総工費を投じて建てられ「四国の鹿鳴館」とも呼ばれた萬翠荘は、各界の名士が集う華やかな社交の場であり、本格的な西洋建築としての華やかさを、建物の随所に今もとどめている。

玄関ホールを入った正面には細かい彫刻を施した中央階段があり、踊り場にある帆船を描いた巨大なステンドグラスから優しい光が差し込む。

このステンドグラスは、明治末期期以降に数多くの作品を世に送り出した木内真太郎の作品だ。「大阪市中央公会堂」の貴賓室や、横浜山手西洋館街の「外交官の家」に遺された作品などが有名である。


大阪市中央公会堂のステンドグラスも木内真太郎の作品

萬翠荘の建築主である久松定謨は、陸軍軍人であり伯爵の称号を持つ華族だ。妻は旧薩摩藩の島津忠義公爵の娘というから生粋の西国名士といえよう。

フランスのサンシール陸軍士官学校で学び、その後も駐在日本公使館付武官としてパリに滞在するなど、フランスとの縁が深かった定謨らしく、萬翠荘の内部はさながらフランスの邸宅のような雰囲気が漂う。

一階ホールの東側にあるふたつの広間も見応えがある。

ロココ調の明るい雰囲気の「謁見の間」、褐色の重厚な雰囲気の「晩餐の間」と、全く異なった趣の部屋だが、シャンデリアや大理石の暖炉などの多くがフランスなどからの輸入品といわれ、定謨のフランスへのこだわりが感じられる。

100年の時を超えた重要文化財

様々な歴史を見届けながら、築100年を超えた重要文化財「萬翠荘」。

戦中の松山大空襲や南海大地震を潜り抜け、戦後はGHQに将校宿舎として接収された過去を持つが、彼らに改造された形跡も見当たらない。接収解除後は松山商工会議所や松山家庭裁判所を経て、昭和28年からは愛媛県立郷土芸術館としても活用されたという。

芸術館時代には、本格的なフレンチレストランが館内にあったそうで、当時の松山市民にとって憧れのレストランだったらしい。

萬翠荘の魅力として、100年変わらぬ美しさがあげられる。萬翠荘は愛媛で最初のコンクリート建造物で、構造的な強度は申し分ない。これに加えて、内装材には南洋産のチーク材が多く用いられている。

チーク材は堅く、耐久性・耐朽性ともに抜群だが、一方でその堅さゆえに加工製がすこぶる悪い。ましてや彫刻を施すのは至難の技だが、大階段の欄干などには見事な細工がなされている。

強さと美しさを両立させようと奮闘した、100年前の職人たちの心意気が伝わってくるかのようであった。


今回行った場所

萬翠荘

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