緩やかな坂道に土産物屋が軒を連ねる清水寺の参道の中ほど、メインストリートから小道に入ると、不思議な雰囲気を醸しだした建物が姿を現す。明治の起業家 松風嘉定 の邸宅として、武田五一が大正期に手掛けた住宅建築です。
現在は創建当時の趣きをそのままにした 「夢二カフェ五龍閣」 という名のレストランカフェとして活用されています。
夢二カフェ五龍閣 (旧松風嘉定邸)
建物は木造3階建+望楼という構成。屋根から突出した望楼の小部屋は四方ガラス張りの展望台になっていて、京の街を一望でき、視線を廻らすとちょうど清水寺と同じ高さにあります。
外観は和洋折衷の様式で、幾重にも重なる屋根には宮殿や寺院などの棟の端に取り付けられる飾り物の鴟尾がとまり、外壁はモルタル洗い出しで、出隅のコーナー部分には雷紋を用いたイオニア式風の付柱が施されています。
洋風をベースに日本や中国の伝統意匠を盛り込み、まるでお伽話に出てきそうな印象の外観ですが、このあたりは、寺社建築にも多く携わり、和洋折衷スタイルを得意とした武田五一ならではの感覚なのだろうか、うまく周囲の景観に馴染んでいる様に感じる。
武田五一設計のもと建築を担ったのは、当時、寺社仏閣を建てた宮大工が腕を振るったという。
しかし、こんなにもデカく存在感のある西洋館を、百年も前に清水坂の中腹に居として構えようというのだから、施主もまた革新的な心意気の持ち主だったに違いない。
大正浪漫な内部意匠と竹久夢二
玄関口で履物を脱ぎ、木製の下駄箱に入れるところからゆったりした時間に変わる。一階の大広間には赤絨毯が敷き詰められ、重厚な趣きの装飾が上品な空間づくりを手伝っています。往時はここでオーナーの松風嘉定がゲストを招いてダンス会を行ったという。
テーブル席に座って明るいほうに眼をやると、室内とサンルームの間に大きなアーチ状の三連ステンドグラスがあり、この部屋のフォーカルポイントとなっています。
一階 大広間
半円の中に七枚の菊の花びらを紗がかかったような硝子で表現し、どこか気品を感じさせる作品です。
窓から外部の噴水を望むサンルームの欄間窓にもステンドグラスが取り入れられ、二十羽以上の小鳥たちが思い思いの姿で飛んだり休んだりして遊んでいる。このサンルームは、穏やかな季節にほっこり珈琲を愉しみたい空間ですね。
サンルーム
今は喫茶室として使われるゆったりとした大広間も、よく見ると暖炉や扉が二つあり、もともとは2部屋だったことがわかります。マントルピースは重厚な大理石で設えられている。
大広間で、ひと際 存在感のある大きな円卓には、歌舞伎画や祗園祭の山鉾などの純和風模様がモザイクタイルで描かれていて、洋風デコラティブなチェアがぐるっとテーブルを囲むように並べられています。
大広間の円卓
このあたりの調度品も和洋中が折衷した外観スタイルを踏襲しているのでしょうか。
そして、店名にもなっている「夢二」とは、大正浪漫あふれる美人画で一世を風靡した画家 竹久夢二 のこと。大正6年に清水二年坂、高台寺南門と移り住み、生涯最愛の彦乃と幸せな日々を過ごしたといいます。
竹久夢二の作品たち
楽譜の表紙に作品を遺した竹久夢二と、現店主の祖父である音楽家 近藤義次とが親交深かった理由で、生前に交わされた書簡や楽譜の一部など、夢二の作品が店内に多く飾られています。
せっかくなので、ゆっくりと夢二の美人画を鑑賞させて頂いた。
ギャラリーとして使われた階段室から二階の広間へ
二階 階段ホール
この邸宅の中心には、全体の四分の一の面積を占める三階までの吹き抜け階段があり、縦長の大きな井戸の中のような空間を階段がグルグルと螺旋状に延びている。
宮殿を思わすほどの大きな階段ホールの壁面には、かつて、京都の洋画家 「鹿子木孟郎」 の油絵が飾られていて、立体ギャラリーの様な雰囲気だったといいます。
元オーナーの松風嘉定は、鹿子木孟郎の友人でありパトロンでもあった様ですね。それで大きな階段室を彼の絵の飾り場所にしていたわけです。ひょっとすると、この邸宅はギャラリーとして使われるべくして生まれた建築なのかもしれない。
二階 広間
吹抜けの周囲に部屋が配置されているのですが、二階の広間も当時としてはかなり広く高く造られている。中央に暖炉を持ちながら、折り上げの格子天井、壁面の長押状の装飾などの日本建築の技法が各所に施されているのが特徴的。
清水焼の窯元、松風嘉定のこと
最後に少しだけ、この建築を建てた施主について触れておきたい。
松風家は清水焼の窯元から展開し、当建築の元オーナーである三代目の 松風嘉定 は、碍子や義歯の生産で財を成した実業家。現在も 「株式会社松風」 は、京都に本社を置く歯科材料のトップメーカーとして有名な企業です。
清水焼の窯元と歯科材料、今はいまいち結びつきませんが、かつて義歯は焼き物で作られていたことに由来しています。松風家は幕末に始まった窯元で、清水焼の窯元としては浅いながらも、逆にそれだけ伝統にとらわれることなく、伝統的な茶碗類の製造からいち早く脱し、日本最初の洋食器メーカーとなりました。
そんな革新的な家風の家に養子として迎えられた 松風嘉定 もまたパイオニア精神が旺盛な人物で、高圧用碍子、陶製義歯といったセラミックス領域の多角化はもとより、電球製造、電機、火災保険会社などなど新事業にも手を広げたといいます。
それだけパワフルな人間が、心技ともに充実した時に造った家がありきたりなものではないのも納得できる。当時の贅を尽くして建てられたこの邸宅が、築後百年経った現在もどこか新鮮な印象を受けるのは、施主の人柄を現しているのかもしれない。
創建当時から迎賓館としての要素も併せ持っていたという当建築は、湯豆腐の名店「順正」に受け継がれ、現在もカフェという形態で多くの人々を迎え入れています。
取材協力:清水順正 おかべ家
参考文献:日本の洋館 「講談社」
今回行った場所
夢二カフェ五龍閣 公式ホームページ
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