鴨川に沿って南北に走る川端通を七条から清水五条方面へとしばらく歩いてゆくと、30mほど続く白壁の外塀に沿って、大きな棕櫚の木が何本も立ち並ぶ光景が右手に見えて来る。
江戸時代の大名屋敷には棕櫚がよく植栽されていた様ですが、白壁塗りの町家風情と、ダイナミックに植えられた棕櫚の木々の景観は結構印象深い。 こちらの敷地に建つ大きな御屋敷が、今回訪れた江戸期から残る京都豪商の町家です。
京都市内に江戸時代から残る町家は非常に貴重な建築です。美しい佇まいの大型町家の魅力について綴っておきたい。
洛東遺芳館
当屋敷の玄関口は川端通ではなく一筋東に入った通り沿いにあります。 千本格子の外観が凛々しいこの町家は、江戸時代の豪商 “柏原家” の旧邸。 洛東遺芳館 の名で博物館として春と秋に一般公開されていて、時の豪商屋敷も見学させて頂ける。
幕末期に起こった “蛤御門の変” に端を発した「元治の大火」で京都中心部の建築物がほとんど焼失している中で、これ程の大きな江戸時代の屋敷が残っているのはかなり貴重な事。
元治の大火 絵図
地図の黒い部分が元治の大火で焼け野原になったのですが、こうやって見るとその被害の大きさが分かりますよね。また、鴨川が広がる火の手を食い止めたのもよく分かる。
ちなみに●赤丸の箇所が洛東遺芳館の場所なので、言葉の意味は違えど、まさに文字通り「対岸の火事」だったと言えますね。
江戸時代の豪商 “柏屋” の屋敷
「柏屋」は、江戸時代初期の1645年(正保2年)に京都で創業した老舗の商家で、当初は京小間物や扇子の行商から商いを始めたのち、木綿・漆器・和紙などに事業を拡大、その後、江戸に出店し、いわゆる、江戸店持京商人として大いに繁栄したという。
江戸に商圏を拡大し、6代目の柏屋が経営権を獲得した “黒江屋” は、現在も宮内庁御用達の高級漆器店として東京日本橋に店を構えています。 柏原家が明治初期に東京へ移住した後も、初代柏屋が居を構えたとされる当地の邸宅はこれまでずっと守ってこられました。
当時の豪商ぶりは残された建築にもよく表されていて、広大な敷地に店棟・台所棟・座敷棟・居室棟と続いて総部屋数は36にも及ぶという。 なので、一般的な細長い形状の「京町家」とは様式が少し異なります。
築年数が古いだけあって、主屋は増築を重ねた複雑な構成になっているのですが、紅殻塗り天井の座敷が幾つも並び、配された庭園や内部の設えなどは凝った造りをしており、それらが何とも良い佇まいを見せていた。
比較的、近代に設けられたであろう水屋や、今も使われていると思われる昭和レトロな洋間もあったりして、展示用に保存された町家ではなく、現在も生き続けている建築の雰囲気が感じられて好感が持てました。
まとめ
江戸時代から柏原家に伝承されてきた数々の文化財を蔵にしまっておくのではなく、多くの人にも見て貰おうと、邸宅と合わせて公開される洛東遺芳館。 毎年、春と秋に期間限定で公開されています。
大岡春卜 唐子図の衝立
柏原家には婚礼衣装や調度品など約8,000点、また膨大な数の経営記録や古文書、古書籍が保存されていて、その中から毎回テーマを決めて邸内と敷地の中にある展示館で公開されています。
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今回行った場所
洛東遺芳館