旧西尾邸 「神戸迎賓館」
神戸の西の端っこ “須磨” は源氏物語の時代からの景勝の地。 明治後期に兵庫電気軌道(現山陽電車)が開通すると、風光明媚な景観を好んだ外国人や阪神間の財界人が競うようにして邸宅を構えたエリアでもあります。
美しい家並みを見せた邸宅の多くは、時代の波に抗しきれず姿を消すのですが、よくぞ残ったという大邸宅が緑豊かな須磨離宮公園の西隣に現存しています。 今回は、縁あって訪れた、築100年の大邸宅の魅力について綴ってみたい。
旧西尾邸「神戸迎賓館」
正門を入ってスロープを進んで行くと、よく手入れされた広い芝生の奥に佇む、お城の様な風格を持った屋敷が姿を見せる。
旧西尾邸 は1919年(大正8年)に、当時 貿易商として神戸を中心に活躍し、成功を収めた西尾類蔵氏の自邸として建てられた瀟洒な邸宅です。
施主である西尾類蔵氏は外国人の父と日本人の母の間に生まれた人物であり、また妹は英国人貿易商の妻と、当時としてはかなり国際色が豊かな家庭環境だった様ですね。
自邸の建築地として須磨の立地を選んだのは、先述の鉄道開通や建築ブームの他に、皇室の別荘として1914年(大正3年)に完成した武庫離宮(現・須磨離宮公園)の造営が背景にあったと考えられています。
確かに天皇陛下別宅のお隣さんというのは、天皇の神格化が進んでいた当時において、かなり特別な意味があったんじゃないだろうか。
約3,000坪の広大な敷地に須磨海岸を望む様にして構えられた大きな邸宅。
日本庭園の緑に囲まれた洋館の外壁にはタイルが貼り巡らされ、意匠のアクセントとして鉄平石が乱積貼りで施されています。石畳のアプローチを踏んで車寄せのある玄関口へと向かう。
時を超えた迎賓館
旧客間
個人が建てた邸宅とは思えないスケールの大邸宅は、明治期から昭和初期にかけて関西を中心に活躍した建築家、設楽貞雄の手によるもの。 「華麗なる一族」で、そのモデルと伝わる旧岡崎財閥邸を手がけたことでも広く知られています。
往時、迎賓館として国内外の多くのVIPをもてなしてきた大邸宅は、戦後のGHQ接収、大震災を乗り越えて、現在 神戸迎賓館須磨離宮の名でブライダルやレストランとして利用されており、昼夕にはレストランに訪れる客足で賑わいを見せています。
旧客間
まずは大理石張りのロビーから、旧客間である待合室に通して頂いた後、内部へと誘われる。
“LE UN”
12坪の居間、8坪の書斎として使用されていた二間続きの部屋は、当時のクラシックな内装を活かしたフレンチレストラン “LE UN” として現在も多くの客人を招き入れています。
旧居間・旧書斎「LE UN」
LE UN とはフランス語で「一番」という意味。瀬戸内の魚介、但馬の山の味覚、世界に名だたる神戸牛、地元兵庫の食材を贅沢に用いた料理と、神戸流のおもてなしがリピート客を作り、大切な日には “ル・アン” のフレンチと言われるほど、現在人気のお店だという。
旧居間・旧書斎「LE UN」
緩衝帯である旧縁側に設けられた大きな窓から溢れる光が、部屋に柔らかな自然光を落とし、どこか穏やかな雰囲気を作っています。
内装は直線的なデザインと、和のテイストを感じる網代天井、七宝工芸的なデザインが施されたステンドグラスなどが和洋折衷な大正モダンの趣きを感じさせる。
豊かな建築意匠
旧西尾邸の建築様式は、大正初期に日本でブームになったセセッションスタイルを基調としています。
旧食堂
古典的な様式から抜け出し、角ばったデザインとシンメトリーが特徴とされる様式ですが、施主である西尾氏がよく仕事で行き来してたニューヨークで流行り始めた、アール・デコ様式も神戸迎賓館には随所に取り入れられている。
なかでもステンドグラスや照明器具の意匠はかなり凝ったもので、西尾氏のセンスの良さと、みなとまち神戸の職人の技巧の高さがうかがえます。
旧食堂
旧西尾邸のステンドグラスは正面玄関の欄間から始まり、LE UNの欄間、そして往時、親しい人だけが通されたという暖炉付きの豪奢な食堂には、海のまち須磨らしくカモメが飛んでいます。
そんな中でも、個人的に一番印象に残ったのは階段室のアーチ窓に施された時計草のステンドグラス。素通しガラスが外の緑を取り込んで、実に美しく空間に溶け込んでいた。
階段室
和洋折衷の美
旧西尾邸は、本格的な洋間だけではなく書院造の日本間も建築時から設計されています。「鳳凰の間」と呼ばれる、二間続き、延べ三十一畳の日本座敷も実に凝った設えとなっている。
二階 鳳凰の間
花菱の透かしの桟が障子の上を飾る幅二間の付書院は上客を迎える二間床らしく、深さと広さをもった造りになっている。
二階 鳳凰の間
杉の網代天井に、鳳凰の透かし彫りの欄間は、ここが最も格式高い賓客をもてなす為の大広間であることを表しています。内側から見ると和の縁側、外から眺めると洋のバルコニーという、趣向を凝らした縁側見立ての意匠も見られます。
純和風の日本間の隣には自然光が降り注ぐ、明るい洋間が配され華やかな大正モダニズムを今に伝えている。当屋敷の設計図を見ると、当時、それぞれの居室を何の目的で使用したいのか、主が明確なコンセプトをもって設計を依頼した事が伺えます。
二階 旧寝室
あとがき
大正時代に社交界の華と称された「旧西尾邸」。往時、同邸に招かれたのは、トップクラスの貿易商や関西の財界人、文化人、華族といった本物のセレブリティであり、当時の神戸社交界において西尾邸への招待はステイタスの証だったと言われています。
旧西尾邸は竣工当時の状態が現存する貴重な建造物として2010年(平成22年)兵庫県指定重要有形文化財に指定されている。
須磨駅から少し遠いアクセスと奥まった立地もあり、知る人ぞ知る隠れ家的なイメージのある神戸迎賓館ですが、ちょっと特別な時間を過ごすには、かなりお勧めの邸宅レストランだと思います。
隣町の垂水区塩屋にもジェームス邸という、これまた豪奢な邸宅レストランがありますが、また違った趣きの大変良い洋館でございました。
では、また!
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今回行った場所
神戸迎賓館 旧西尾邸