ヴォーリズ六甲山荘「リビングルーム」
大正から昭和初期にかけて日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家 W.M.ヴォーリズ 。
とりわけ関西地方には多くのヴォーリズ作品が美しく保存されていますが、今回はヴォーリズが神戸六甲山に遺した2つの山荘建築をご紹介します。
ヴォーリズ六甲山荘
六甲山荘はW.M.ヴォーリズの設計によって、関西学院大学教授「小寺敬一」の別宅として昭和9年に建てられた建築です。2011年に惜しまれながら解体された、御影の小寺敬一本宅もスパニッシュスタイルの趣あるヴォーリズ建築でした。
ヴォーリズはおよそ同時期に関西学院大学上ヶ原キャンパスの設計を手掛けているので、その繋がりで同大学の教授個人邸や別邸の設計も引き受けたのだろうか?
まもなく築90年を迎える六甲山荘は、質の高い山荘建築であると評されています。積雪もある山上の厳しい環境下にありながら良好な保存状態で、内外部共に創建当時の趣きがそのまま美しく残されています。
代々の所有者が愛おしむ心で大切に守ってこられたという六甲山荘は、昭和の建築時から改造、改築などの人為的な手を加えられる事もなく、往時の家具や調度品もそのまま残されています。
今もなお六甲山荘が「簡素にして品格のある空間を形成している建築」と評される理由のひとつに、建築時に周到に計画された材質の選択や、山という立地における湿気対策などの細やかな設計配慮があげられます。
内装材に使われている木材は長期間寝かせた良材が使用されています。柱と壁は “檜” 、床は “楢” 、天井に走る名栗仕上げの太い梁には “松” と材料を使い分け、壁仕上げにはあえて節ありの檜材を用いて山小屋風の意匠としています。
言わずもがな、ヴォーリズの建築は、使い手のことをよく考えた細やかな気配りや、建築自身が伝える温かみが魅力のひとつですが、六甲山荘も例に漏れず、ヴォーリズらしい温もりとそれを具現化した工夫が随所に感じられる建築です。
避暑を主な目的として建てられた別荘なので、メインのリビングルームはあえて北側に配置しながらも、全面をガラス張りにする事によって採光性と解放感を高めています。
出隅部分までガラス窓にする事によって、解放感とデザイン性を極限まで高めていますが、建物の耐震性能は劣ります。一階部分に二階の付加がかかる「複層構造」を採用せず、付加の少ない「平家」とし、それによって得れる解放感を最大限に活かしたのは必然。
しかしながら、選ぶ材料は部位ごとに最上級のものを使い、可能な限りの安全性にも配慮した。関東大震災の記憶もまだ新しい昭和初期に六甲山荘を作るにあたって、現場ではそんな建築ストーリーがあったのではないでしょうか。
リビングの一角には寛げる暖炉コーナーが配されています。暖炉は御影石を組み合わせて囲い、家族が腰かけて団欒できるように両脇に二人掛けの椅子を備えています。
暖炉間にはヴォーリズが好んで自らの建築に多く用いた、昭和の名建材 “泰山タイル” が敷設されている。オーソドックスな布目の泰山タイルは、空間に馴染みながら落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
東西に細長く設計された六甲山荘は、中央に長い廊下を挟んで、北側にリビングダイニングなどのパブリックスペースを、南側に寝室や女中部屋などのプライベートスペースを配した設計となっています。
南側に配置された主寝室と子供部屋はパステルカラーのインテリアでまとめられた軽やかなテイストです。南向きながら自然林で覆われているので、まわりの木々が程よく光を遮り、窓から溢れる陽光がどこか非日常的な雰囲気を感じさせます。
現在、国登録有形文化財、近代化産業遺産、兵庫の近代住宅100選に登録されるヴォーリズ六甲山荘は、歴史的資産の保存を行うNPO法人「アメニティ2000協会」によって大切に保存管理されています。
それでは、もう一つの六甲ヴォーリズ建築へと向かいましょう。
神戸ゴルフ倶楽部
日本最古のゴルフ場
日本におけるゴルフの発祥は、明治34年、英国人貿易商のアーサー・ヘスケス・グルームが六甲の山中に開いたことに始まります。
ロンドン生まれの A.H.グルーム は、幕末史で有名なグラバー商会の神戸支店開設のため江戸末期に来神します。お茶の貿易商として成功し、大正7年に神戸で没するまで神戸発展のために様々な貢献をされた人物として知られます。
明治期の開場当初から28年間使われていたクラブハウスは、六甲山荘建築と同時期の昭和7年に W.M.ヴォーリズ の手によって建て替えが行われました。現在も現役のクラブハウスとして使用され、近代化産業遺産として登録されています。
外観は朱色の下見板張の外壁に白い上下窓を並べ、内部はタイル貼の暖炉の東西に食堂や休憩室を配する。天井は化粧梁を見せて板張とするなどして意匠性を高めています。
質素ながら風格のある木造クラブハウスは「日本のゴルフ歴史館」と言われ、使い込まれたヴォーリズ作の建築は名門コースに相応しい物となっています。
高台に立つクラブハウスのテラスからは、18番のホールアウトを眺めることができます。訪れた日はとても冷え込んだ夜ということもあって、グリーン越しに見える神戸の夜景がとても綺麗でした。
昭和20年頃には既に「100万ドルの夜景」と呼ばれていた神戸六甲山の夜景。ひょっとしたら、ヴォーリズも煌びやかなこの景色をここから眺めたのかもわかりませんね。
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