大正後期から昭和初期にかけて、東京を凌ぐ東洋一の商都として大阪が栄えた時代。時の大阪市を人々は 大大阪 と呼びました。
日本の経済・文化の中心として栄華を極めた時の大阪の町には、日本一多くの人が住み、豊かな文化が花開き、数多くの近代建築が建設されます。 大阪市の中心部には100年近くの時を超えて、数多くの近代建築が今も残っています。
東洋のヴェニス「西船場」
大阪教会が建つのは、江戸時代に町人が主体となって町づくりが行われた 西船場エリア 。昭和初期までは水運利用のために設けられた幾つもの “堀川” が縦横無尽に町を走り、そこを何艘もの舟が往来する。その光景は「東洋のヴェニス」とまで称されたといいます。
今も地名だけ残る江戸堀や京町堀、阿波堀や立売堀などの殆どの堀川は、鉄道や自動車といった陸運の台頭を背景に埋め立てられてしまいますが、大大阪時代に堀川沿いに建てられた近代建築は意外にも多く現存しています。
日本基督教団 大阪教会
1922年(大正11年)江戸堀に沿って建てられた大阪教会も西船場エリアの近代建築のひとつ。中之島の大阪市中央公会堂と共に大阪を代表する煉瓦造の建築として知られます。
重厚な煉瓦積みの正面切妻壁には大きなバラ窓とブリックワークの繊細な図柄が施され、背後にそびえる塔屋が堂々とした風格を感じさせる。大阪教会の外観は通りを歩く人々の目をしばし釘づけにする魅力があります。
大阪教会の設立は明治7年に遡り、日本では最も古いプロテスタント教会のひとつとされています。
元々は現在より少し西側に位置する川口居留地に産声をあげ、何度か会堂を移転した後、今から100年前、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ の設計によって現在地に建設されました。
100年の祈りが満ちた礼拝堂
階段アプローチから高揚感を持って誘われる250席余りが配された礼拝堂はまさに圧巻。そこには市街地の喧騒を忘れさせる静寂の大空間が広がります。
屋根の小屋組が現しになったオープンルーフになっており、煉瓦壁の大空間を支える巨大な七組の木造キングポストトラスには、十字架をモチーフとした金物がさり気なく取り付けられている。
礼拝堂内の装飾はプロテスタント教会らしく控えめで、十字架やステンドグラスなど視覚に訴える装飾は数えるほどしかありません。
牧師さん曰く、目に見えるものにではなく、聖書の言葉にこそ救いがあるとするプロテスタントらしさが建物の簡素な意匠として表現されているとの事。聖書の言葉に耳を傾けることを大切にするという姿勢が、建築デザインにも表れているという。
ロマネスク様式の礼拝堂には半円形の連続アーチが多く取り入れられ、それらが奥行き感と光の効果を生み、どこか素朴ながらも敬虔な祈りの空間を演出しています。
腰壁には大阪窯業製の焼きむらのある煉瓦がフランス積みで施され、腰上は淡いクリーム色の漆喰で仕上げられています。
日本における、明治・大正期の本格的教会建築の大半は煉瓦を主体構造としています。大正12年の関東大震災によって耐震設計上の問題などから大きな修正を受けてゆくのですが、それ以前は近代建築の一般的構造材として活用されていました。
殊に教会建築にあっては、煉瓦の持つ意匠性が、ヨーロッパの伝統様式を引き写すものとして多く用いられました。大正10年設計の大阪教会は、関東大震災直前における日本の近代建築の意匠的性格を物語る作品としても、大変貴重といえます。
ヴォーリズと教会建築
大阪教会の設計を手掛けたW.M.ヴォーリズは、豊かで親しみやすいデザインと、日本の気候風土や住習慣に適合させた細やかな設計が特徴的な建築家として知られます。実に1,500にものぼる作品を近代日本に残しました。
ヴォーリズはキリスト教の伝道者として来日したのち、その生涯で数多くの教会建築やミッションスクールなどを手掛けます。大阪教会はヴォーリズの代表作のひとつとして位置づけられる作品です。
ヴォーリズ建築の魅力は使い手のことをよく考えた設計と、全体から醸し出される暖かさ。礼拝堂の床は講壇に向かって緩やかに傾斜していて、講壇からは後列の椅子に座る参列者の顔がよく見え、牧師の言葉は大きな声を出さずとも心地よく会堂に響きます。
神の言葉を表す光が多く差し込むよう、窓に対する配慮にもヴォーリズらしい細やかさが息づいています。
礼拝堂に配された椅子はオーク(楢材)の一枚板を弓形に曲げて加工したものが用いられ、講壇を囲むようにして設置されています。絶妙な角度によって、長時間座っていても疲れにくい様に設計されています。
大阪教会は1995年の阪神淡路大震災をうけ、地盤の液状化によって半壊するという大きな被害にあいますが、多くの信者や諸教会に支援のもと、速やかに復旧補強工事が施され、わずか8ヶ月で元と変わらぬ姿で蘇ったという。
主に鉄骨を用いて修復補強された様ですが、一見、どこにどうやって手を加えたのか分からない程、自然に補強工事が施されているのが印象的でした。また、現存する会堂内の仕上装飾のほとんどは、大正期のオリジナルがそのまま保存されているとの事。
約一世紀の年月を超えて創建時の姿を今も残す大阪教会は、信者の心の拠り所であることを超えて、西船場エリアのランドマークとなっています。
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今回行った場所
日本基督教団 大阪教会