大阪市中央区の 道修町 。関西人でも 道修町 と読める人は案外少ないかも分かりません。 大阪船場の一角を担う町で、多くの製薬会社の本支店が軒を連ねる「くすりのまち」として知られています。
大正初期の道修町
武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬、小林製薬、大日本住友製薬、カイゲンファーマ など、大手製薬会社の本社屋だけではなく、中小の製薬会社や個人経営の漢方薬のお店などもかなり多い。
豊臣秀吉の商業政策によって108軒の薬種商が集められ、薬の町として始まった道修町。 江戸時代には、清やオランダから輸入した薬の原料を収集検分し、全国に流通させる中継地点がこの道修町でした。
昭和40年頃の道修町
大阪人でさえあまり知らない小さな「道修町」に、今も多くの大手製薬会社が本社を置くのは、300年以上続く「くすりのまち」としてのステイタスなのだろうか?
薬の神様 “少彦名神社”
道修町通りに静かにたつ 少彦名神社 は、大切な人の病気平癒を願う、健康と薬の神様をお祀りする神社です。
病気が漢方による治療しか無かったその昔、神のご加護により人々の命を多く救えるようにと、医薬の神様 少彦名命と、中国の医薬の祖 神農炎帝 をお招きして、お祀りしたのが始まりとされています。
疫病退散!
新型コロナウイルスによる感染が拡大の様相を見せる中、少彦名神社に終息を願う人たちが多く訪れているといいます。 僕も大阪船場で働く人間として、仕事帰りに人混みを避けてコロナウイルス終息祈願に行ってきた。
少彦名神社
僕が身を置く住宅建築業界でもコロナウイルスの影響は少くない。 中国での生産工場停止による部材供給と物流ストップから始まり、ユーザーの消費マインドの低下は著しい。
非常事態宣言の前後から、更にヤバい状態に突入した様に感じます。大阪船場のまちも人通りが普段よりずいぶん少なくなったと思う。
100年に一度訪れるという世界的なパンデミックが、まさか自分の人生のなかで起こるなんて夢にも思っていませんでしたが、今は自身の家族をはじめ、たいせつな人の無事を願うばかり。
やはり同じ思いの方々が多い様で、少彦名神社の境内には「早く元通りの生活が送れるように」と書かれた絵馬がたくさん見られました。 最近では同神社の「健康守」を入手したいとの問い合わせが相次ぎ、従来の10倍近くも授与する日もあるといいます。
流行り病のコレラが蔓延し、人々が恐怖におののいていた江戸時代にも多くの人が祈願に訪れたという少彦名神社。 今はコロナウイルスがいち早く終息し、平穏な日々がいち早く戻る様に神様の力をお借りしたい。
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今回行った場所
少彦名神社