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北浜「適塾」緒方洪庵が遺した大阪船場の幕末史跡

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Hamzo
幕末の大阪へ!

全国1億2千万の幕末ファンの皆様こんにちわ。

明治維新まで繰り広げられた幕末動乱期の舞台として、まず頭に思い浮かぶのは京都や江戸ですが、当時の “大坂” もまた歴史の大転換に欠かせない舞台を務めた場所でした。

国の行く末を案じる幕末の志士たちは、勤王派も佐幕派も開国派も問わず、 京都伏見から三十石舟に乗って天満八軒家に上陸。「戦をするには軍資金が要る」 と、船場せんばの名だたる豪商たちに会って、己の高邁こうまいな思想を語り、パトロンを捜したといいます。

そんな幕末期の大阪船場を拠点として活躍した蘭学者に 緒方洪庵おがたこうあん がいます。

いち早く新しい時代の方向性を見抜き、才能と意欲のある若者たちを育て、近代日本の形成に大いなる功績を遺した緒方洪庵ですが、歴史上の人物としては若干マイナーかも知れない。


日曜劇場 JIN -仁-

少し古いですが2009年の人気テレビドラマ、日曜劇場 JIN -仁- で、武田鉄矢が演じた西洋医学所の頭取が緒方洪庵です。この作品、なかなかいいドラマでしたね。



大阪北浜に遺る、緒方洪庵の蘭学塾

北浜は大阪取引所を始め、銀行や証券会社などの金融機関が多く集まり、大大阪時代には関西のウォール街と呼ばれたビジネス街。 近年は大手デベロッパーがこぞって建てるタワーマンションの人気が高いエリアでもあります。

オフィスビルや高層マンションが乱立する北浜の一角に、そこだけ時間が止まったかの様な佇まいを見せる木造建築が建っています。

緒方洪庵が天保9年に開き、幕末から明治にかけて歴史に名を残す人材を数多く輩出した蘭学塾 「適塾」  。

緒方洪庵は、幕府の奥医師として江戸へ迎えられるまでの17年間をここで居住し、諸国から集まった門人たちに蘭学を教え、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した多くの人物を育てました。

鎖国と蘭学について

200年以上にわたり鎖国を続けた江戸時代の日本において、正式に貿易が許可されていたのは中国とオランダのみ。

当時、日本で唯一、貿易の窓口だった長崎の出島からオランダを通じて輸入される、ヨーロッパの学術や文化、技術は 蘭学らんがく と呼ばれ、当時の日本人にとっては、自国より遥かに進んだ世界の最先端を知る事が出来る貴重な知識でした。


明治初年頃の出島を東山手より望む  撮影:内田九一

志を高く持つ人間にとって、まず、オランダ語を学ぶ事が、広い世界と繋がり、世界を知りうる術であるとされ、幕末にはオランダ語を学ぶ私塾があちこちに開かれます。

勝海舟かつかいしゅう が江戸で開いた 氷解塾ひょうかいじゅく 、佐久間象山さくましょうざん の 象山書院 、大村益次郎 おおむらますじろうの 鳩居堂 、福沢諭吉 の 慶應義塾 、佐藤泰然 さとうたいぜんの 順天堂 が特に有名で、それらの私塾が前身となった大学や文具店が現代に受け継がれていますよね。

なかでも、とびきり優秀なエリートを数多く輩出したのが、緒方洪庵が開いた 適塾 です。


一階 書斎

塾生たちは全国各地から集まっており、総勢637名にも及んだといいます。前述の福沢諭吉、大村益次郎、大鳥圭介、橋本左内はしもとさない佐野常民さのつねたみ高松凌雲たかまつりょううんなど、明治維新から近代の日本を支えた政治家や学者、医者たちがまだ若き頃、適塾の門戸を叩きました。

名だたるエリートを世に送り出した適塾は、時代を経て 大阪大学 へと発展し、今日に至っています。

商家から蘭学塾へコンバージョン

適塾は船場の中ほどに位置する瓦町で洪庵が29歳の時に開いた蘭学塾が前身で、開塾から7年後に規模拡張の為、現在地へと移転したとされている。 現在も遺る当建築は、もともとこの辺りに建っていた貸し商家だったようです。

適塾の建築は、1792年の北浜大火後まもなく建てられたとされているので、築年数はおよそ220年程だと推測されます。

江戸期の船場商家らしく “通り” に面して玄関を構えた適塾の敷地は、間口約12m・奥行約40mあり、建築規模は今見てもかなりデカい。主たる建物は教室として使われた表屋と、家族の居室や客座敷にあてられた主屋で構成されています。


通り庭

当時の大阪町人のほとんどが長屋住まいであった時代、名だたる豪商が集積した北船場で、このような間口六間を超える大商家に住んでいた人間は当時の上層階級に属していたのだろう。

洪庵はそんな大商家を買い取り、あきないをする為に建てられた建物を 蘭学塾 へと 用途変更コンバージョン し、後世に遺る建築として大いに活用しました。 洪庵の手に渡る事が無ければ、この建築が令和の時代を見る事は間違いなく無かったでしょうね。

洪庵は、通常、店舗部分にあたる表屋の一階を教室に、一般商家では奉公人の寝床や物置として使われた二階は塾生の大部屋としました。


二階 塾生大部屋

主屋は主に洪庵一家の住居部分にあたり、台所や書斎のほか四部屋が配されている。西側には玄関土間から伸びる通り庭を持ち、近世の京町家や大坂の商家建築のディティールをそのままに、私塾の用途へ対応した事が伺える。

また、主屋の二階には学び舎らしく、ヅーフ部屋(ヅーフ辞書を置いた部屋)と女中部屋があるのですが、階段が恐ろしいほど急勾配なのが時代を感じる。

洪庵が江戸出府した後は再三の改築が施された様で、大正4年の道路拡張の折には約1.2mの軒切りが行われています。昭和51年の修復工事で洪庵が居住した当時の姿に修復され、平成25年には文化財価値に配慮した耐震改修工事が行われている。

適塾の建築自体は “普通の町家” であるとよく紹介される様ですが、戦災や市街化を経てなお、日本の大都市で築200年の商家が残っている事は奇跡だと思う。 僕の知る限り東京の旧市街に江戸期竣工の町家は一戸も現存していない。

この建築は、蘭学発展の拠点となった歴史を伝えるだけではなく、近世における大阪の町家の姿を示す貴重な建築遺構です。

適塾は一般見学が可能な史跡です。幕末ファンならずとも、大阪人なら是非一度は訪れてみたい。



今回行った場所

適塾 大阪大学ホームページ

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