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新選組「池田屋事件」三条大橋の擬宝珠に残された刀傷の謎

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Hamzo
三条大橋 !

全国1億2千万の幕末ファンの皆様こんにちは。

江戸時代の旧街道、東海道の西の起点として知られる “三条大橋” 。京都市内のど真ん中を流れる鴨川にかかる橋の中では唯一、木製の欄干が残り、歴史的情緒を感じる事ができる橋です。

三条大橋

現在の三条大橋は1950年(昭和25年)に架け替えが行われたものですが、元々の架橋は、更に360年前の1590年の豊臣時代にまで遡ります。

橋の安全を祈願するために欄干の柱頭に設けらる玉葱型の “擬宝珠” 。 現三条大橋の擬宝珠の大半は、豊臣時代の初代三条大橋のものが使われています。

擬宝珠の大半は豊臣時代のもの

三条大橋西側から二つ目の擬宝珠に、目で見てすぐにわかる “刀傷” の様な跡があり、この傷跡が、幕末の動乱時代に起きた歴史的大事件のひとつ「池田屋事件」の乱闘で刻まれた跡であるという都市伝説は、幕末ファンならずとも良く知られるところ。

僕も三条大橋を渡る度に、しげしげとこの傷跡を眺めて通るのですが、「うーん ?」と、半分は眉つばものだろうと思っていました。

三条大橋 擬宝珠の刀傷

しかし、少し前に読んだ本で 「三条大橋の刀傷が池田屋事件のものか否か!?」 を真剣にシュミレーションを行ったという記事があり、とても興味深かったのでご紹介したい。

新選組の名を世に轟かせた “池田屋事件”

まずは “池田屋事件” について、サラッとだけおさらいしておきましょう。

池田屋事件とは元治元年(1864年)6月に起こった “新選組” の名を世に轟かせた大事件。池田屋騒動ともいいます。

京都三条の旅籠 「池田屋」 で謀議していた 長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派の志士たちを、江戸幕府お抱えの武力組織 “新撰組” が襲撃し、過激派志士が目論んでいた御所焼き討ちや、天皇拉致といったテロ計画を未然に防いだというもの。

事件当日の新選組の陣容は、局長の近藤勇 率いる沖田総司・永倉新八・藤堂平助らの近藤隊10名と、後に駆けつけた、副長の土方歳三・井上源三郎・斎藤一・原田左之助らの24名。 隊長クラスの新選組隊士が総出で出陣します。

池田屋騒動跡

夜の10時過ぎから数時間の激闘の末に9名の志士が斬死し、20数名が捕らえられました。長州藩はこの事件がきっかけとなり挙兵して上洛し「禁門の変」へと繋がります。

作家の司馬遼太郎は「この事件がなかったら、薩長土肥 (薩摩・長州・土佐・肥前) 主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」とまで言います。いづれにせよ幕末期の歴史的大事件である事は間違いありません。

三条大橋 “擬宝珠の傷跡” は池田屋事件の刀傷なのか?

さて、ここからが本題。

事件の起こった “池田屋” から “三条大橋” の刀傷跡までは150mと、実際に歩いてみても結構な距離があります。それ程の距離を経て、志士と新選組隊士は三条大橋でも斬り合いを繰り広げたのだろうか?

以下、若一光司氏 著書からの引用です。

数年前にその傷 (三条大橋 擬宝珠の傷) を初めて見たとき、正直なところ、 「だれかのイタズラでは?」 と思った。しかし、擬宝珠を製作している京都の金物屋で、いろんな擬宝珠を見せてもらった結果、それは不可能だとわかった。

直径110cmの銅製擬宝珠でも、肉厚は5ミリを超える。三条大橋の擬宝珠は直径約38cmなので、さらに肉厚が増すはずだ。それをナイフやノミのようなもので深く傷つけるのは、到底無理だろう。

ただし、金物の専門家は、「力いっぱいに振り下ろした太刀が当たれば、そんな傷が残るかもしれない」という。

池田屋から三条大橋までの距離はおよそ150m。事件当夜の志士と新選組は、本当にこれだけの距離を経て、三条大橋でも斬り合いをしたのだろうか? その可能性を実感的に把握するために、シミュレーションを試みることにした。

殺陣に秀でた二人の役者に、池田屋から逃げようとする志士と、それを阻もうとする新選組隊士とに扮してもらい、本気で漸り結びながら三条大橋まで達するのに、どのようなプロセスと時間を要するかを、通行人が飛び退くほどの迫真さで、実際に演じてもらったのだ。

その現場に、霊山歴史館の学芸課長で、京都府剣道連盟理事でもある木村幸比古さんにも立ち会ってもらったところ、池田屋騒動での戦闘が三条大橋にまで流れこんだ確率が極めて高いことや、それが複数組であっても決しておかしくないことなどがわかった。

そして、居合道八段の木村さんによる模擬刀での検証で、八相の構えから振り下ろされた刀の切っ先が、位置的にも角度的にも、擬宝珠の傷と見事に一致することが確認できた。

「刀が擬宝珠に当たって止まってしまったのでは、こんな傷にはならない。敵を斬ろうと振り下ろした刀の切っ先が、斜めに擬宝珠をかすめたんでしょうね」 と木村さん。

事実は確認しようがないものの、 “抜刀が御法度の公儀橋”  (三条大橋)  では他の抗争も考えにくいことから、池田屋騒動の際の刀傷である可能性は十分にあるように思える。

引用 : 大阪・関西の「謎と不思議」を歩く

さて、いかがでしょうか?  幕末ファンにとっては、とても興味深い話ですよね !

真実の程は謎であるが、この記事を読んでから、また三条大橋に行ってみたくなった (笑)。

では、また !

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