兵庫県西脇市「旭マーケット」
関西地方のなかでは圧倒的な面積をほこる「兵庫県」。
摂津・播磨・丹波・但馬・淡路 と大きく5つのエリアに分けられ、北は日本海、南は瀬戸内海に接し、変化に富んだ景観を楽しめるのも兵庫県の魅力のひとつ。
“西脇市” は、兵庫県のほぼ中央に位置する市で播磨エリアに属し、ちょうど日本列島の中心にあたることから「日本のへそ」を宣言しています。のんびりとした田舎町ですが、200年以上の歴史を持つ “播州織” の繁栄で全国に名を馳せた織物のまちとしても有名な地域です。
そんな西脇市に、大正・昭和の香りがプンプン漂う「木造アーケード建築」があると聞いて、中国自動車道に乗って車を西へと走らせた。
旭マーケット
国道から細い路地に入って、少し歩くとおもむろに現れる全長70m程の木造アーケード建築。並行して南北に二筋あります。
通称 “旭マーケット” と呼ばれる、レトロ感満載の木造アーケード建築は、元々は、大正末期から昭和初期にかけて、播州織の工場で働く女工さんの共同宿舎として建てられたものだという。
「播州織「女工」疎外史」(神戸新聞総合出版センター)によると、1918年(大正7年)に完成とのこと。 現在の名称の由来は近所の町名「西脇市南旭町」から付けられた様です。
建築そのものに古さは感じますが、築100年を超える木造建築群には見えないので、どこかのタイミングで建替えられたか、増改築を繰り返して今の形となった事が考えられます。
実際、最初は現在の半分ほどの規模だった様ですが、「排水路は当時のまま」との事なので、現在も使われている、太閤下水さながらの背割の排水路だけは大正期のものだと思われます。
昭和40年代生まれの僕には、なんとなく懐かしさっぽいものを覚える “アーケード” ですが、商店街単位で整備された「共同の日覆い」を持つアーケードは、ほとんどが西日本、特に瀬戸内地方に集中して存在していた様です。
現在の旭マーケットはいわゆる “長屋” の様な形態になっていて、ここで生活を営んむ住人さんもいらっしゃいます。 もの珍しげに写真を撮っている、よそ者の僕に、ご近所の方であろう初老のおじさんが「お兄さんどこから来たの? 」と、気さくに話しかけてくれた。
播州織のこと
「この辺りは、その昔 “播州織” で栄えたところでね・・・」と、おじさんが滔々と話はじめた。
播州織は西脇市を代表する地場産業で、元々は江戸時代に京都の西陣から技術が伝わり西脇地区に広がったもの。最盛期の1970年代には、播州織に携わる従事者は8,000人を超えたそうです。現在はその1/10程度の規模だとか。
明治時代後期から日本の基幹産業となった紡績業の発展と、工場生産への移行に伴って西脇市での生産力が爆発的に増加。大正から昭和に入ると更に黄金時代を迎え、この頃に女子労働者を県内外各地や朝鮮半島からも募集していたそうです。
どうやら、その女子たちが共同で暮らし始めたのが “旭マーケット” の起源の様です。
今は、往時の栄えた面影を少しばかり残す場所ですが、昭和のピーク期にはずいぶん賑やかだったと、おじさんは懐かしげに言っていた。
まとめ
この手の「既存不適格」といわれる、現行の建築基準法に適合しない木造建築は、大掛かりな改築や建て替えをする事が難しく、朽ちるとそれで終わりというケースが多い。
日本のへそ “西脇市” が最も栄えた時代の近代産業遺構とも言える昭和の木造建築が、地域の方々に愛されながら長く残って欲しいものだ。
では、また !
今回行った場所
旭マーケット