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神戸塩屋「ジェームス邸」80年の歴史とローストビーフを愉しむ

投稿日:

Hamzo
ジェームス邸へ!


ジェームス邸 1934年(昭和9年)竣工

神戸の西の端っこ、垂水区の “塩屋” は六甲山と海が最も近くにある、温暖で風光明媚なまち。

明治の開港以降、神戸市以西の鉄道開発が始まったことをきっかけに、外国人技術者や日本人実業家たちが景観豊かな塩屋周辺の山麓に自邸や別荘を建てる様になり、いつしか海からすぐの傾斜地には幾つもの洋館が建ち並ぶ様になります。

海の気配を感じながら、テクテクと塩屋の坂道を山手に登るとすぐに、町並み一帯が閑静な住宅街の佇まいになる。


昭和12年頃のジェームス山

通称 “ジェームス山” と呼ばれる淡路島を一望できるこの丘陵地の名称は、大正から昭和初期にかけて神戸で活躍した一人の外国人の名前に由来しています。

戦前の兵庫県では県知事公用車のナンバープレートは「兵1」、副知事公用車が「兵2」でしたが、その次の「兵3」の交付を受けていたのが、この丘陵地名の由来となった、Emest William James アーネスト・ウィリアム・ジェームス という日本生まれのイギリス人貿易商でした。

丘陵地から海を望むジェームスの大邸宅

アーネスト・ウィリアム・ジェームスは1889年(明治22年)に神戸で生まれたイギリス人。 父は神戸を拠点に船長を務めていた、ウェールズ出身の船乗りでした。

幼い頃から身につけた流暢な日本語と英語を武器にして国内外に人脈を結び、34歳にして神戸の貿易商社カメロン商会の支配人になったジェームスは、日本で最も裕福な外国人の一人に数えられるまでの財を築きます。


ジェームス邸の展望台から望む瀬戸内海

1933年(昭和7年)にジェームスが新たに着手した事業が、昭和恐慌後に神戸で急増した外国人のための、外国人専用住宅地の開発でした。 昭和初期の神戸北野居留地は既に建て込んだ状況で、新しい住宅地が求められていた時代背景があったといいます。

ジェームスは当時はまだ荒地であった塩屋の広大な丘陵地、7万坪を購入、私財を投じて60棟近くの住宅群を建設します。そうして「西の異人館街」と言われるまでになった外国人住宅地 “ジェームス山” の中で、最大の規模を誇ったのが、開発者 E・W・ジェームス氏の自邸です。

スパニッシュスタイルの館

塩屋独特の細いクネクネした坂道を少し登ると、趣きある和洋折衷の門構えが見えてきます。背の高さほどある年季の入った外塀の向こうから、よく手入れされた立派な松並木が顔を覗かせる。

ジェームスは、海を望む高台の一等地を選んで建てた自邸に “スパニッシュスタイル” を採用しました。昭和初期に流行していた建築様式です。明るいスペイン瓦と乾いたクリーム色の壁面が特徴的で、建物中央の屋上に円筒形の塔屋が異国情緒を醸し出しています。

表門から、玉砂利を洗い出しで仕上げたアプローチ土間を踏んで主屋の方へと進むと、柔らかいアーチを持った玄関ポーチが客人を迎え入れる。

南側の庭園から建築を望むと、中央部の大きな張り出し窓や木製の持ち出しバルコニーなど、変化に富んだデザインが見られます。庭園側の壁面には兵庫県産の竜山石が積み上げられ、日本のスパニッシュスタイルによく見られる壁泉も設置されています。

ジェームス邸の主屋は東西に長く配置され、地下1階、地上2階の洋館主体部に木造2階建ての和室部分が付き、その延べ床面積はかるく1,000㎡を超える。とにかくデカい。

ジェームス邸の竣工は1934年(昭和9年)、 設計・施工は竹中工務店、設計は黎明期の竹中設計部の基礎を築いた 早良俊夫 が手掛けています。聴竹居ちょうちくきょの藤井厚二と同期で、雲仙観光ホテルなど作品を生み出した建築家です。

ジャコビアンスタイルの品格ある設え

エントランスホール

繊細な装飾が施された鉄製の扉から玄関ホールへ足を踏み入れると、階段室一杯に設けられたステンドグラスから琥珀色の光が注ぎ込んでいる。

南面に面したリビングダイニングには、重厚さと華やかさを併せ持ったイギリスのジャコビアンスタイルが採用されています。

大阪船場せんばの綿業会館や、御影の旧乾邸など、ジャコビアンテイストで纏められた昭和初期の名建築が関西には幾つか残っていますが、柔らかい光に照らされた濃厚な装飾が醸し出す、ジェームス邸リビングの雰囲気はとても印象深いものがある。

LIVING・DINNING

格子の天井に寄木張りの床、石造りの暖炉など、凝った設えのダイニングルームに配された、ねじりを基調としたシンプルなデザインのダイニングセットなどの調度品は、明治時代から続く神戸の老舗家具店「永田良介商店」のもの。

雲仙観光ホテルにも多くの永田家具が納められているのは、やはり同じ設計士という由来からなのだろうか?

社交場としての邸宅

地下球技室

大実業家の邸宅に相応しく、ジェームス邸の地下にはロンドンから持ち込まれたビリヤード台のある球技室や、バーラウンジなどがあり、今も美しく保存されています。また、昭和当時には海水を引いたプールやテニスコートも敷地内に配されていたという。

地下バーラウンジ

しかし、このバーラウンジや球技室は、ジェームスが友人や客人をもてなすための社交場として自邸を活用していた往時の趣が良く再現されている様に思う。

名建材 “泰山タイル” が遺る邸宅

交流の場として活用されたであろうバーラウンジと、展望台となった搭屋の床には、名建材 “ 泰山たいざんタイル” が敷き詰められています。

泰山タイルとは池田泰山率いる京都の泰山製陶所が、大正から昭和初期にかけて世に出した装飾タイルの事。大量生産ではなく美術工芸品としての価値が認められた建材で、当時の名建築家たちがこぞって自らの建築に取り入れました。

ジェームス邸 「泰山タイル」

これまでにたくさんの泰山タイルを多くの近代建築で見てきたが、ジェームス邸の泰山タイルの保存状態は目を見張るものがある。それだけ、この邸宅が大切に使われてきたという証なのだと思う。

有形文化財でローストビーフを愉しむ

2012年に神戸市指定有形文化財に指定されたジェームス邸は、現在レストラン&ウエディング施設として活用されています。須磨の旧西尾邸と共に、神戸の歴史的建造物レストランとして、すっかり定着した感がありまね。僕もジェームス邸に訪れるのはかれこれ3度目になる。

2階には寝室やゲストルームとして使われていた旧居室があり、そちらで邸宅レストラン “james-tei” の名物であるローストビーフのランチコースを頂きます。

窓から見える海と、遠くにに浮かぶ舟を眺めながら呑むビールと、ちょっと贅沢なランチはなかなか良いものです。

美味しい食事と一緒に文化財の見学が出来るのは、レトロ建築好きならずとも嬉しいところ。この建築は本当にうまく保存改修がされていると思います。

足を運ばれた際には、昭和初期の歴史感を感じながら、ゆっくりと建物見学をされる事をお勧めします。

歴史と環境を未来に繋ぐ仕組み

ジェームスの没後には、大企業の創業者の自宅や迎賓館として利用されてきた旧ジェームス邸。 昭和の竣工から80年以上経ちますが、当建築は第一種低層住居専用地域にありながらレストランウエディング施設として、新たな活用が成された先駆的なモデルケースでもあります。

通常、第一種低層住居専用地域では住宅用途以外での建築利用が難しく、歴史のある邸宅は新たな利活用ができずに解体されるケースが意外に多い。


ジェームス邸 「チャペル棟」

ジェームス邸は都市計画上の用途の制約を文化財指定や近隣住民の合意により克服し、建物の維持管理が可能な事業モデルを導入し、さらに新たな建物を増築することで、長く愛されてきた地域のシンボルから地域に開かれた施設として新しい道を見出しました。

敷地の一番海側に増築されたチャペル棟は、直径100mmの鉄骨柱の構造体と壁のないガラスで覆うことで存在感を低減し、周囲の水盤で瀬戸内海と連続性を持たせています。

引用:新建築 第95巻

まとめ

約3年ぶりにジェームス邸に訪れた。たしか前回は初冬の頃だったと思う。

今回は初夏に来てみて、やはりこの邸宅にはギラギラとした明るい季節の方が似合うなとつくづく感じた。おそらくスパニッシュテイストの外観や、海の見えるロケーションには万国共通で夏が似合うのだと思う。

約一世紀前、日本を愛したイギリス人実業家が造り上げた夢の城は、形を変えてこれからも多くの人々を魅了し続けるのだろう。

今回行った場所

ジェームス邸 公式ホームページ

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