宝塚「旧安田邸」雲雀丘花屋敷に佇む大正時代の眠れる洋館

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S.L
再生への道、旧安田邸!

当記事は筆者が2023年7月に撮影取材した際の記録です。旧安田邸は建物調査による再評価が進み、2026年3月より再生着工となりました。


旧安田邸(大正10年築)

宝塚市、阪急雲雀丘花屋敷駅ひばりがおかはなやしきえきの北側には、大正初期に開発が始まった閑静な郊外住宅地が広がる。

丘陵の斜面を生かした自然豊かなこの場所には、今も大正から昭和初期に建てられた西洋風のハイカラな洋館や和館がいくつも点在している。

明治後期以降、近代産業の発展と共に大阪市内には煙突が立ち並び、居住環境が「煙都」と呼ばれるほど悪化した事により、衛生的で健康的な暮らしを求めるようになった大阪の豪商などは、自然豊かな郊外への転出を意識する様になった。

雲雀丘のパイオニア 阿部元太郎


昭和初期、阿部元太郎と雲雀丘の街並み

雲雀丘を今の閑静な住宅街へと導いたのは、阿部元太郎という人物だ。 かつて日本一の長者村と呼ばれた御影の住吉村を開発し、住宅地としての造成を行ったことでも知られる。

雲雀丘は大正時代初頭に阿部元太郎が開発した住宅地である。開発前の当地は、果樹園と松林が広がるのどかな丘陵地だったようだ。

丘を少し上がるだけで、商売や仕事の拠点である大阪平野を一望できる雲雀丘ならではの立地と景観に魅了された阿部元太郎は、丘陵地帯の開拓に手を付け、当地で日本一のモダンな街づくりを目指したという。

山の傾斜地としての地形や樹木をできるだけ残した開発を意図し、土地の開墾、造成にあたっては今でいう特定約款やっかんとして、土地購入者には200~500坪単位での販売や、植栽や石垣などの景観ルールの細かな条件を付した。

往時の雲雀丘は、洋館を始め和洋折衷スタイルや純然たる和風の日本家屋など、個々の趣味を反映したものが建てられ、それらが渾然と一体となった町並みを形成し、田園調布もまちづくりの参考にしたと言われている。

現在も当時に建てられたいくつかの住宅建築が宝塚市の都市景観形成建物として指定され、それらがこの地域の景観を印象づけるランドマークにもなっているが、老朽部の修繕や耐震補強など、100年前の建物を維持するためのコストが所有者の大きな負担となっている。

眠れる洋館、旧安田邸

雲雀丘花屋敷駅の真正面に区画された一角、庭の深い樹々に覆われる様にして立つ 旧安田邸 洋館。

大正10年、安田辰治郎という商社マンが、米国赴任中に心惹かれた邸宅を参考にして、自らの設計で建築したという自邸だ。一世紀以上にわたって、雲雀丘というまちの変遷を見てきた旧安田邸は「ひょうごの近代住宅100選」にも選ばれている。

旧安田邸の敷地は459坪(1,517㎡)、木造三階建ての洋館の延床面積は83.9坪(277.4㎡)。日本の大工(伝聞では山城とも滋賀とも)の手で建てられたと伝えられる。

南庭に面して開かれた洋館は、装飾的なハーフティンバー調の切妻屋根、庭側に迫り出した五角形のテラス、ベイウィンドウに鎧戸と、豊かな表情を見せている。

屋根はスレート風セメント瓦葺、外壁は木片や切石を貼り付けた上に荒いスタッコ塗、ライオンのオーナメントをシンボルに、当時のアメリカで流行していたクィーン・アン様式をイメージしたものと見てとれる。

旧安田邸、再生の行方

2010年以降、旧安田邸は安田家からの寄贈によって宝塚市の所有となっている。

以降、市は地域コミュニティと共に協働して、各種イベントや民間事業者への打診など、様々な取組みを行ってきたが、現在の所、再生活用への道は開けておらず、建物の老朽化が刻一刻と進み続けている。

2012年頃の旧安田邸

リビングルームの北面、上部に半円窓をもつドアを左右対称に備えた白いマントルピースは、気品が感じられる。

南面にはサンルームを設ける。天井は洋風のメダリオンの周囲に網代あじろ天井を配し、腰壁には白竹を使うなど、 洋の空間に和の素材で日本の夏の設えを感じさせる和洋折衷の意匠となっている。


2012年頃の旧安田邸

ダイニングルームの北面には、造り付けの飾り棚とステンドグラスの回転窓を配し、南面にはベイウインドウに合わせてベンチが造作されている。

キッチンは白いペンキが塗られていて、戦後のGHQ接収時代の名残りをとどめている。


2018年頃の旧安田邸

二階には純和風の床の間や、欄間も備えた二間続きの座敷が巧みに設けられている。旧安田邸は外観は洋館ながら、内部には純和風の座敷を意欲的に取り込んでおり、質の高い和洋折衷住宅として評価されている。


2018年頃の旧安田邸

各個室にはマントルピースと造付けの洋服ダンスが備え付けられており、ありし日の暮らしの面影を残している。


2012年頃の旧安田邸

再生への道

旧安田邸は「宝塚市公共施設(建物施設)保有量最適化方針」の 取組対象施設となっている。

宝塚市の方針として、公共施設を資産として最適に維持管理するためには、旧安田邸は「耐震性がなく老朽化も著しく、活用を図るためには多額の経費が必要となるため、建物を民間事業者に譲与、土地を貸付し、公共のための施設として活用します。」とある。

土地は宝塚市所有だが、建物を無償で譲受してくれる民間事業者を探している

土地の月額賃料は、提出する賃料の見積額と鑑定評価額を基に算出した額のどちらか高い方の額になる。鑑定評価額の算出にあたり、減価要因として、既存建物の改修費用も見込まれるとの事だ。

あとがき

2023年7月、宝塚市と「一般社団法人宝塚・旧安田邸の歴史と文化を遺す会」の協力のもと、旧安田邸の取材させて頂いた。そして、この建物を後世に残したいという、熱い想いを感じながらシャッターを切り、そして話しをお伺いした。

通常、第一種低層住居専用地域では住宅用途以外での建築利用が難しく、 歴史のある建物は新たな利活用ができずに、惜しまれながらも解体されるケースが少なくない。

しかし、神戸塩屋のジェームス邸の様に、都市計画上の用途の制約を文化財指定や近隣住民の合意により克服し、 建物の維持管理が可能な事業モデルを導入し、 長く愛されてきた地域のシンボルから、地域に開かれた施設として新しい道を見出した建築も存在する。

地元だけではなく多くの方々に存続を熱望される、雲雀丘のシンボルともいえる気宇壮大な洋館の救世主が現れる事を願いたい。

[ 取材協力 ]
宝塚市企画経営部施策室
一般社団法人宝塚・旧安田邸の歴史と文化を遺す会
一般社団法人リビングヘリテージデザイン

今回行った場所

旧安田邸

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