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「旧宝塚ホテル」阪神間モダニズムを生きた建築の歴史と終わり

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S.L
宝塚ホテルへ!


宝塚ホテル「本館」

大阪人の僕にとって “宝塚” は、独特の存在感を持ったまち。

六甲山を隔てるので神戸圏には属さず、大阪から程近いけど北摂ほくせつエリアにも属さない。幼少の頃、家族で出掛ける宝塚ファミリーランドがとてもワクワクした記憶が頭の片隅に残っているけど、大人になってからはプライベートで宝塚に足を運ぶ事は無くなった。

宝塚はいわゆる、大阪と神戸の間という意味合いの 阪神間はんしんかん と呼ばれるエリアにあたるのですが、およそ100年前に “商都大阪” と異国情緒に溢れた “みなとまち神戸” の間で育まれた、阪神間モダニズム文化を象徴するモダニズム建築は宝塚には殆ど残っていない。


宝塚大劇場と阪急電車

宝塚の文化と歴史を記憶した貴重な近代建築であり、県指定景観形成重要建造物の 宝塚ホテル が、耐震性と老朽化を理由に2020年3月を持って閉鎖、別地に移転となり閉鎖後のホテルは解体されるという。

過去に友人の結婚式で何度か訪れた事があるぐらいで、宝塚ホテルに特に深い思い出があるという訳では無いが、阪神間モダニズムの香りが色濃く残る稀少な建築がまたひとつ無くなる事は、レトロ建築ファンとしては寂しく思う。

先日、閉鎖前に創業93年の歴史観を写真に記録しておこうと思い、宝塚ホテルに一泊してきたので当ブログの一頁に綴っておきたい。

昭和と平成を生きた宝塚の名建築


創建当時の宝塚ホテル

大正末期、まさに阪神間モダニズム文化が開花の時期を迎えた その頃、のどかな田園風景が広がる阪急電鉄 宝塚停留所前に、当時としてはすこぶる洒落たホテルが華々しく開業しました。

この頃の宝塚ホテル周辺にはまだ住宅地もなく、田園の中にぽつんと建物が佇むといった様相でしたが、このホテルの発展に伴う様にして関西有数の住宅都市として栄えていきます。

地名を由来に名付けられたホテルの名称は “宝塚ホテル” 。 この頃の宝塚はすでに「歌劇と湯の街」として有名な観光地で、娯楽を求めて神戸や大阪から多くの人が宝塚へ訪れる様になっていました。

こってりとした妻飾りを備えた急勾配の切妻屋根と、アールデコ様式を取り入れた西洋風の外観は、周囲の六甲の山々や武庫川の清流といった風光明媚な景観に溶け込み、郊外の一大リゾートホテルの名に相応ふさわしいものだったという。

開業当時は神戸や大阪から30分前後という交通の便のよさもあって長期滞在客も多く、中には別荘として利用していた人もいたそうです。 正面エントランスから見上げる本館の趣きは創建当初の外観がよく保たれています。

ザ・タカラズカ!

正面玄関のエントランスを潜るとベージュの大理石貼りのロビーから、深紅の絨毯じゅうたんが敷き詰められた階段へと続く。 このあたりは宝塚歌劇のロマンチックな舞台さながらの演出といったところなのだろうか?

ロビーを抜けてラウンジへと向かう階段を登ると、右手に噴水を配した明るい中庭が見える。外に出てみると緑の草木がアールを描いた石の窓装飾や白い壁を彩り、静かなリゾートの雰囲気を醸し出していた。かつてはこの中庭で園遊会が開かれたこともあったそうです。

「中庭・中廊下」

西館・新館の辺りは、宝塚大劇場のオフィシャルホテルというだけあって、宝塚歌劇色が満載の雰囲気。 煌びやかなシャンデリアにゴールドの装飾、猫脚のチェアといったデコラティブな設えが “ザ・タカラズカ” の華やかさを連想させます。

阪急グループの創始者 小林一三の「今までの日本にはない、家族ぐるみで楽しめる娯楽としての演劇・国民劇をつくろう」という大きな理想の下で始まった宝塚歌劇。 歌劇団と宝塚ホテルも古くから縁が深く、タカラジェンヌもこのホテルを使う事が多いのだとか。

「新館・西館・ルネサンス」

豪奢ごうしゃで非現実的な空間を持つ宝塚ホテルですが、長い歴史のなかでは、昭和初期の金融恐慌や戦後のGHQによる全館接収、阪神淡路大震災の罹災りさいなど、多くの困難や存続の危機もあったといいます。

往時の面影を残す “本館”


開業当時の球戯室「本館 ビア・ケラー」

宝塚ホテルは1926年(大正15年)この時期、阪神間で多くの作品を手掛けた建築家 古塚正治 の設計で建てられました。宝塚ホテルの分館である六甲山ホテルも同氏の設計です。


「本館(旧館) 旧エントランス」

本館とロビーを繋ぐ重厚な石造りの階段は、もともと創建時は客人を迎えるメインエントランスだったところ。

「本館(旧館) 旧エントランス」

宝塚ホテルは大正末期の竣工時から、新館・東館・西館と増築を重ねていますが、やはり一番の見所はモダニズム建築の香りがよく残る “本館” の設え。 随所に当時の雰囲気を残し、華やかなりし頃を偲ぶ事ができます。

宝塚ホテルのメインダイ二ングルーム「プルミエ」横の、ウェイティングルームとして使われている廊下の雰囲気が、最もこのホテルのイメージをよく伝えるスペースの様に思う。

「本館(旧館) 廊下」

往時、この廊下は中庭に面したベランダだった様ですが、窓下の連続した手摺にその面影が見える。 華やかなひと時を過ごすためにやって来た、貴人やモボ・モガがしゃなりしゃなりと歩く姿が画になる空間ですね。

ちなみに、宝塚にゆかりのある漫画家「手塚治虫」は、少年時代に父親に連れられて訪れた宝塚ホテルのレストランでの経験を洋食シーンを描くのに役立てたり、このホテルで結婚式も挙げたそうです。


宝塚ホテル「本館 旧客室」

僕が今回泊まったのは本館の一室。特に華美な装飾も無い普通のシングルルームでしたが、およそ一世紀前から多くの客人を招いたこの部屋も、まもなく無くなってしまうのかと思うと、哀愁の様なものを感じた。

まとめ

宝塚大劇場や、宝塚ファミリーランドの前身となるルナパーク、そして宝塚温泉などで賑わいをみせた “理想的娯楽郷” で華々しく開業した宝塚ホテル。

宝塚の文化を象徴する建築として、また日本における優れた近代建築として早くから評価される歴史的建造物として、日本建築学会から「建物の保存活用に関する要望書」が提出されましたが、残念ながら90年以上 生きてきたこの建築も、移転後は解体が決定しています。

新しいホテルでもアーチ付き天井の回廊や、階段の手摺り等といった装飾を復元するとともに、小磯良平作の緞帳どんちょうやシャンデリアも移設し「阪神モダニズム」を象徴した魅力を継承してゆくという。

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