
江戸時代の幹線道路である西国街道。現在は国道2号線として大阪から北九州までを結び、関西では特に阪神間や神戸の方々にゆかりのある道路です。
国道2号線沿いに建つ “御影公会堂” は、阪神大水害・神戸大空襲・阪神淡路大震災を乗り越えた、御影界隈のシンボルとも言える、昭和初期の神戸モダニズム建築のひとつ。
火垂るの墓と御影公会堂
先日、日本のアニメ映画会の重鎮 高畑勲氏がお亡くなりになり、故人の代表作でもある「火垂るの墓」がテレビで放送されていました。 いやーほんとに何回観ても泣ける映画ですよね。
「火垂るの墓」の原作は、故 野坂昭如氏の戦争体験を題材したものですが、その舞台は神戸市や西宮市近郊といった阪神間のまち。
神戸市東灘区と灘区の境を流れる “石屋川” の傍らに建つ御影公会堂は、火垂るの墓で焦土にたたずむ姿が描かれています。
焼け野原になった御影のまち。母との待ち合わせ場所である御影公会堂の裏手にある二本松に向かって石屋川の土手沿いを歩く清太と節子。
神戸大空襲は東京大空襲の2倍近くの焼夷弾・破砕弾が神戸の町を襲ったと言われていますが、この時の御影公会堂は外壁だけが残り、内部は焼失して殆ど何も残っていなかったそうです。
国道2号線を挟んで公会堂の南側にある石屋川公園内には、火垂るの墓の記念碑が建てられています。
御影公会堂 ビフォーアフター!
1933年(昭和8年)に神戸市の初代営繕課長の清水栄二の設計で建てられた御影公会堂。老朽化が進んだ建物は一昨年の2016年から約1年の工期で大規模な改修工事が行われました。
BEFORE
個人的には、築後80余年の歴史の後が色濃く残り、どこか廃墟の様な独特の空気感があった改修工事前の公会堂の雰囲気が好きで、何度か足を運んで写真を撮らせて貰ったり、改修工事前に行われたセミナーイベントにも参加したりもしました。
AFTER
改修工事はもともとの建物イメージを踏襲しながら補強工事を行い、内外装を一新したというもの。
工事後になかなか行く機会が無かったのですが、先日、劇的?ビフォーアフターの全貌を見て参りましたので、改修前の写真と合わせてご覧下さい。
外観
BEFORE
御影公会堂でまず特徴的なのはその外観と意匠。船を模したと思われる丸窓には焼夷弾が直撃したあとが改修前には残っていたりしました。
R窓や壁面の角Rなど、阪神間モダニズム文化や昭和初期のモダン建築流行の背景もあり、ディティールの要所に西洋の建築様式を取り入れているのも印象的です。
AFTER
改修工事後の外観は全体的にはずいぶんさっぱりした印象ですが、可能な限り古いモノでも再利用が可能なモノは残すという苦労の形跡が見られました。
外壁の大部分は淡褐色のスクラッチタイルで覆われています。スクラッチタイルとは、帝国ホテル旧本館の影響を受けて昭和初期に流行したタイルのこと。
スクラッチタイルがまだら模様に見えるのは、剥離していない部分を残して部分的に張り替えたのだと思われます。経年で馴染むことを期待して内部へ参りましょう。
内部
まず玄関入って正面に鎮座する銅像は工事前と全く同じ。
“白鶴酒造” の7代目の社長で鶴翁と呼ばれた嘉納治兵衛氏。同氏の寄付などによって、御影公会堂は建築されました。
当時厳しい経営が続いていた白鶴酒造を見事な経営手腕で立て直した嘉納治兵衛氏は、地域貢献の為に御影公会堂以外にも、“白鶴美術館” を建築したり、灘五郷の名門・桜正宗や菊正宗などと共同で進学校として全国でも有数の名門・灘中学校を設立したお方です。
BEFORE
重厚な質感の石階段やアーチで象られた内部装飾、それらを支える力強く巨大な丸柱。
設計者の清水栄二は耐震構造を研究し、地下の基礎部分に厚さ1メートル近いコンクリートを敷き詰めたそうです。この建物の頑強さは、戦災と震災に耐え抜いたことで証明されました。
改修工事前は塗装が汚れていたり捲れていたりしていましたが、それも込みでいいレトロな雰囲気を醸し出しておりました。
歩くとギシギシと鳴る会議室の床や、部屋中に漂う独特の古めかしい匂い。開閉しにくい鉄製の窓サッシや鉄扉もレトロ建築の良い味わいがありました。
改修前の御影公会堂は、映画「日本のいちばん長い日」で陸軍参謀本部のロケ地としても使用されました。
AFTER
改修工事の目的は耐震性の向上とバリアフリー化。内部の柱などの骨格部分は残しながら耐震性を高めたという。玄関口にはスロープが、内部にもエレベーターが設置されていました。
以前の少し廃れた趣きが好きだった僕にとっては、綺麗になり過ぎている感は否めませんが、ひょっとしたら80年前の建築当初もこんな雰囲気だったのかな…なんて思うほど、上手く改修されておられました。
内部は全体的にずいぶん明るくなった印象です。マテリアルで特徴的だった照明器具がそのまま残されているのはイイですね。
内装ドアやドアノブ、腰タイルや石巾木など、積極的に昔の面影を少しでも残そうとしている形跡も好感が持てました。建築ってスパッと全部交換する方が楽で、古いものを残すのって意外と大変なんですよね。
耐震補強も利用者には分からない位置で行い、設備機器は配管等も含めて見せないように設計したというだけあって、雰囲気以外に大きく変わったものはありませんでした。
御影公会堂食堂
最後は名物の地下食堂 “御影公会堂食堂”
昭和8年の建築当時から営業している食堂は老舗の洋食屋として有名でしたが、こちらのお店も改修工事を経て再オープンしております。
地下にありながら、巧みな採光によって明るい陽光に恵まれた食堂内の雰囲気と、定番メニューのオムライスの味は変わらないものでした。
昭和の味覚を堪能し、公会堂を後にする前に館内の写真を撮っていると、公会堂職員のおじさんが「建築が好きなの?ちょっと待ってて!」と、足早に事務室から記念クリアファイルを「これ、どうぞ!」と持って来てくださいました。
意外なお土産まで頂いて、リニューアル工事に伴って職員さんのホスピタリティも向上したのかなー?なんて思いながら、気分良く公会堂を後にしました。
では、また!
関連記事
-
-
阪神間の名建築を、映画「日本のいちばん長い日」に思いを馳せて巡ってみる
旧甲子園ホテル “阪神間はんしんかん” とは読んで字のごとく ...
今回行った場所
御影公会堂