旧乾邸 「ゲストルーム」
江戸期から商人のまちとして栄え、昭和初期には日本一の商業都市となった “大阪” と、明治元年の開港より外国人居留地を拠点とした貿易が始まり、いち早く国際都市としての発展をみせた “神戸” 。
一大商都 “大阪” と、港湾都市 “神戸” 。二大都市の中間地点にあたる 阪神間 は、六甲山系と穏やかな海に囲まれた自然豊かなロケーションで、西宮や芦屋、御影など、現在も関西の住みたいまちランキングの上位を占める人気の土地としてよく知られます。
六甲山から望む阪神間の町
今から100年以上前。商売で財を成した大阪の富豪や、江戸時代から続く灘の酒造家などが、風光明媚な阪神間に競うようにして自らの邸宅や別荘を建てはじめます。
それらを背景に花開いた「阪神間モダニズム」と呼称される文化は、芸術・文学・建築など多岐にわたりますが、日本と西洋、伝統と革新が交錯しつつ、ハイカラでモダンな独自のスタイルを築きあげました。
旧乾邸住宅
阪神間のなかでも、とりわけ “日本一の富豪村” と呼ばれた「住吉村」には、住友財閥十五代当主の住友吉左衛門や、日本生命創業者の弘世助三郎、東洋紡績社長の阿部房次郎などを筆頭に、日本経済を牽引していた名だたる顔ぶれが邸宅を構えます。
清らかな流れを見せる住吉川の傍ら、その様な豪邸群の中に建てられた 旧乾邸住宅 は、乾汽船株式会社の創始者である乾新治氏の自邸として、 “阪神間モダニズム文化” 開花のさなか、昭和10年に建築された住宅建築です。
様式建築の名手 渡辺節 の設計によって建てられたこの邸宅は、現存する神戸の近代建築のなかでも別格の存在感を持っていて、阪神間モダニズムの象徴と言っても過言ではないでしょう。
私が近代建築の魅力に引き込まれるきっかけにもなった、こちらの邸宅には、これまで何度も見学に伺っていますが、何回訪れても飽きる事のない気宇壮大な住宅建築だと感じます。
今回は築後80年を経ても尚、色褪せない旧乾邸住宅の魅力に迫ってみたいと思います。
エキゾチックなアプローチ
1,200坪という広大な敷地の東南に設けられた重厚な正門を潜り、庭園を横目に苑路を進むと、なんともエキゾチックな様相の車寄せにたどり着く。ここらあたりから旧乾邸住宅の持つ世界観に引きずりこまれてゆきます。
回廊の様な車寄せは、竜山石と呼ばれる黄土色の自然石で壁面と列柱を積み上げ、土間には花崗岩が敷き込まれている。アーチ状の天井には布目タイルが幾何学模様に貼られ、味わいあるオリジナルのペンダント照明がアプローチに灯を照らします。
コントラストが美しいホール
来客を迎えるメインの玄関を入ると二層を吹き抜けたホールになっていて、そこにはチーク材と石を用いた重厚な壁面装飾が施されている。吹き抜けの高天井を目指す豪奢な階段は、玄関ホールを格調高く迫力ある空間へと導いています。
中二階から二階にかけて設けられた大きなステンドグラスから差し込む柔らかい陽が、アカンサスの葉をモチーフにした階段装飾の透し彫りをより立体的に印象付けている。
この階段装飾を始め旧乾邸の重厚な内装家具装飾を手掛けたのは、明治5年から神戸で西洋家具造りを営む「永田良助商店」三代目の仕事。芦屋の旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)や、塩屋のジェームス邸などの家具も手掛けた老舗家具店です。
壁上部にはイギリスの伝統様式にも見られるタペストリー絨毯が掛けられているのですが、旧乾邸のものは京都の川島織物製のタペストリーで、デザインされているのが「安芸の宮島の祭りの風景」というのが何とも日本的でユニークです。
圧巻のゲストルーム
吹き抜け空間の南側に配された、大きなステンドグラス窓からはいっぱいの光が差し込み、高さ15mの天井には豪華なシャンデリアが吊るされている。ヘリンボーン貼りのフロアーが小気味よいリズムを演出しています。
意匠は英国ルネッサンス初期のジャコビアン様式で図られており、華麗で重厚な装飾に特徴が見られます。渡辺節の設計では、大阪船場の綿業会館にも同様の様式が採用されています。
大理石で造られたマントルピースにも、葡萄をモチーフとしたチーク材の装飾が施されています。中央に飾られた「小磯良平」の婦人画が、重厚な空間に柔らかさを与えている様で何とも心地よい。
細部にこだわった建築意匠
正面玄関には昭和の名建材 “泰山タイル” と思しき、うっすらと布目が入った蒼緑色のタイルが貼られ、妖艶な雰囲気を醸し出しています。
このタイルが泰山タイルであるという確証を得る文献は残っていないそうですが、乾邸に先んじて建てられた渡辺節の代表作である綿業会館に、泰山製陶所のタペストリータイルが渡辺節自らの手によって施工されている事はよく知られています。
上下階と中廊下でパブリックとプライベートを巧みに分けた合理的な平面構成と、重厚さと繊細さを併せ持つ建築意匠が旧乾邸の見どころと言えますが、ロート・アイアンなどのディテールのこだわりも魅力のひとつ。
旧乾邸にはかつて、母屋と渡り廊下で繋がる和館も存在していたそうですが、震災の影響で現在は残されていません。とは言え、母屋だけでも16室あるという巨大な邸宅には和洋様々な様式の居室があり、往時の生活の面影を残したまま保存されています。
あとがき
旧乾邸は、門や塀も含めた敷地全体が神戸市指定有形文化財に指定、また、前庭・洋式庭園・和式庭園から成る庭園は神戸市指定名勝に指定されています。
ちなみに旧乾邸の建築費用は、当時の40万円(現在の約20億円)と言われています。同じく昭和初期に大阪市民の寄付によって再建された大阪城の建設費用が50万円なので、個人住宅の規模としてはとびきり贅をつくした建物だという事がわかりますね。
しかしながら、この旧乾邸でさえ当時の住吉村邸宅郡の中では飛びぬけて広かった訳ではなく、ごく平均的なお屋敷レベルだったというから、当時のこの辺りは化け物の様な屋敷ばかりだったのでしょう。
旧乾邸は通常非公開ですが、年に1〜2回程度、申込制の特別公開が行われてます。
建築家“渡辺節”の代表作
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今回行った場所
旧乾家住宅