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小林一三記念館「雅俗山荘」阪急創業者の旧邸を訪ねる

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S.L
旧小林一三邸へ!


雅俗山荘「旧小林一三邸」

言わずと知れた小林一三は、阪急電鉄をはじめ、交通、住宅地経営の不動産業、阪急百貨店の小売業、東宝・宝塚歌劇団・阪急ブレーブスの興行業など、現在の阪急グループの礎を築いた、近代日本における企業家のビッグネームだ。

大阪府池田市、五月山の麓に広がる閑静な住宅街の一角に建つ 雅俗山荘がぞくさんそう は、昭和12年に完成した小林一三の旧邸のこと。芸術「雅」と 生活「俗」を一体的に楽しむという思いを込めて 雅俗山荘 と名付けられた。

この旧邸には、松下幸之助、五島慶太、小磯良平など、時の日本を代表する財界人や文化人が訪れ、事業や日本の国に有り方について語り合われたという。

ハーフティンバーの館

外観はハーフティンバーの洋館だが和とも洋ともとれる意匠が見られる。切妻の屋根瓦や外塀の笠木には日本伝統のいぶし銀を用い、妻壁や玄関ドアなど建築の要所に、四つ葉のクローバーをモチーフとした装飾が施されてる。

同じく昭和初期の邸宅、京都の大丸ヴィラ(旧下村正太郎邸)に見られる典型的なチューダー様式のハーフティンバーではなく、雅俗山荘(旧小林一三邸)は、和洋を巧みに組み合わせたという印象だ。

雅俗山荘の設計は竹中工務店の小林利助、昭和期の竹内工務店設計部を代表する設計者である。

実は小林一三と、十四代 竹中藤右衛門(竹内工務店創立者)の仲は古く、一三24歳 、藤右衛門20歳の頃、名古屋での出会いから縁が始まり、明治42年の竹中工務店創立後、一三の事業展開における建設関連工事は一手に藤右衛門が仕事を請け負った。

阪急電車の高架橋を始め、宝塚大劇場・梅田阪急ビル・宝塚ホテル・西宮球場・東京宝塚劇場 等など。旧知の中という理由だけではなく、藤右衛門の誠意ある仕事への姿勢が小林一三の信頼を勝ち得たといわれている。

雅俗山荘の構造はハーフティンバーの外観から反して鉄筋コンクリート造(RC造)を採用している。収蔵する美術工芸品や調度品の安全性から耐火構造に重きを置いた様だ。

石張りの玄関ホールを進むと二階吹抜けの大広間へと続く。なるほど、これ程のスパンの広間は木造では造れないな、と合点がいく。南側の庭園に面した大きな硝子窓から柔らかい光が差し込んでいる。

神戸御影の旧乾邸しかり、ジャコビアンテイストで纏められた大空間にはコッテリとしたシャンデリアが良く似合う。

石貼りのマントルピースや、宝塚歌劇さながらの階段が戦前の洋館らしさを感じさせるが、壁の一部が展示スペースの様になっており、当時は茶道具や古美術品などを並べて訪れる賓客をもてなしたのだという。

2階には書斎、応接間、コレクションを飾るギャラリーなどを配する。創建時から、来客に楽しんで貰う事を念頭においた “美術サロン” 的な要素が強い建物であった様だ。

第二次世界大戦中に商工大臣であった小林一三は、戦後に公職追放となり、雅俗山荘もGHQに接収された。

僕には「三つの人生」がある様な気がする。

小林一三がそう言った「三つの人生」とは、事業家としての時代、公職追放時代、そして公職追放が解かれた後の三つを指している。その三つの人生の中で一三は多くの事に関心を持ち、たくさんの著書を執筆した。それらの多くはこの書斎から生まれたのだろう。

旧邸一階の一部は 邸宅レストラン「雅俗山荘」 として使用されている。

窓の外に広がる緑豊かな庭園を眺められるテラスルームや、かつて小林家が食卓を囲んだ、往時の雰囲気が残るダイニングルーム。茶室を改装した和の個室には、当時使用していた椅子やテーブルを配し、特別な席として食事が楽しめるという。

小林一三が理想とした芸術と生活の一致を具現化した建築で、優雅なランチやディナーを楽しむのもいいかも知れない。

今回行った場所

小林一三記念館 公式ホームページ

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