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京都「栗原邸」山科疏水沿いに佇む本野精吾のモダニズム建築

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S.L
継承者求む、栗原邸へ!


栗原邸(旧鶴巻邸)

古墳時代からの歴史を持つ 御陵みささぎ は、京都市山科区の北部にある天智天皇陵の周辺エリアのことを指し、三条通りの北側から琵琶湖疏水にかけては閑静な住宅地の景観となる。

京都山科の 栗原邸(旧鶴巻邸) といえば、建築ファンなら一度は名前を耳にした事がある、関西モダニズム建築の代表格とも言えるのではないだろうか。

この建築は、染色家で京都高等工芸学校(現:京都工芸繊維大学)校長であった鶴巻鶴一氏の邸宅として、1929年(昭和4年)に 建築家 本野精吾もとのせいご の手によって建てられたもの。

現在、この建築を次世代に受け継ぐための後継者が求められている。この度、撮影取材をさせて頂いたので、当建築の魅力を写真と合わせて綴ってみたい。

本野精吾のモダニズム建築

琵琶湖疏水を背に独特の佇まいを見せながら立つ栗原邸。

建物と一体となったコンクリートブロックの外塀に沿って西側へ回ると、苔むした門柱に “栗原伸” の表札がかかっている。年季の入った重厚な木製門戸を潜って奥へ進むと、鬱蒼うっそうとした木立の中、玄関へと導くアプローチが敷地の南側まで続いている。

落ち葉を踏んで先に進むと、アール窓のサンルームを上階に背負った南中央のエントランスポーチが客人を招き入れる様に灯りを落としていた。

栗原邸の間取りは日当たりの良い南側に居間や客間を配してはいるが、琵琶湖疏水に面した北側を除いて、それ以外の三方は周囲の視線を遮る様にして背の高い庭木が建物を囲んでいる。

高台となった敷地なので、建物を囲む木々のほかには日差しを遮る建築物もなく心地よい木漏れ日が部屋の中に入ってくる。どこか別荘の様な雰囲気も合わせもった邸宅の様にも思えた。


二階居室

鎮ブロックで造形された建築

栗原邸は設計者である本野精吾の自邸と同じく、ちんブロックを用いた中村式鉄筋コンクリート工法で建てられている。

ちんブロックとは 中村まもるという建築家によって発明された特殊なコンクリートブロックCBの事で、L型のCBを組み合わせて中空部を形成し、中空部に鉄筋を組んでコンクリートを打つというもの。

CBそのものが型枠になっているので、そのまま目地を打てば構造材が仕上げとなる合理的な工法である。開発者の中村自身はCBが剥き出しのまま使われる事を意図していたのではなく、荒いコンクリートの表面に刹那的な美を見出したのは本野だったようだ。


栗原邸 北側全景

一般的に “モダニズム建築” とは、装飾を極力排除して機能性と合理性を追求した建築のことをいうが、栗原邸の外観は本野自邸と比べて表情豊かな造形が見てとれる。

水平に突き出した軒、軽やかに連続した窓などは、F.L.ライトの旧帝国ホテルを彷彿させる。

個性豊かな一階

ホール

一階のホールはヘリンボーン貼りのフローリング仕上げとし、左手に居間と台所が、右手に客間と食堂が配され、建物中央にホールと階段室を設けた線対称に近い空間構成になっている。

本野自邸の様に間仕切りの除去による合理性の追求などはされていないが、時計回りの動線で、居間、台所、食堂、客間 と続き、空間の連続性も感じられた。

(左)一階 ホール床(右)一階 仕事場天井

また、栗原邸は本野自邸より天井高も高いので開放感もある。雑木林に囲まれた仕事場の天井がコンクリート剥き出しのままの仕上げになっていた。

食堂

数ある部屋のうち食堂だけが杉板張りの壁となっている。あえて節のあるところを選んでいるのは山荘の雰囲気を演出したのだろうか。部屋の中央には創建当時から使われていたというダイニングセットが置かれている。


ろうけつ染の間仕切り戸

施主である鶴巻氏による “ろうけつ染” の作品が、食堂と居間を繋ぐ間仕切り戸に取り入れられていて、和洋折衷の趣が感じられる。

客間

ろうけつ染めの間仕切り戸を挟んで、日当たりの良い南側の一等部屋に客間が位置している。

邸宅内にある各居室の全てに暖炉が設置されているのだが、連続した空間である食堂と客間だけ大理石のマントルピースになっており、この2部屋が特別な意味合いを持ってオーダーされたことが伺える。

食堂と客間では時折ダンスパーティーが開かれたという。設計者の本野精吾も音楽やダンス、演劇などを愛好した人物だったようだ。

台所

北西に位置する台所には、戦後のGHQによる接収時代にペンキで白く塗られた食器棚、ハッチなどがそのまま遺されている。

終戦当時、GHQは高級将校の宿舎として洋風住宅を好んで接収し、自らの使い勝手が良い様に改修している事が多い。栗原邸は接収当初から和室が無い完全な洋式住宅であったため、間取りの変更を伴う大規模な改修は行われていないという。

シルエットが美しい階段室

ゆとりを持って設計された、佇まいがとても美しい階段室。当時にしては緩やかな勾配の階段はヴォーリズ建築のそれと似たものを感じた。 階段のスキップに合わせて窓の高さも変えるという、遊び心のあるデザインが見られる。

木漏れ日が映える二階の居室たち

サンルーム

二階中央ホールの南側に位置する、この邸宅の顔とも言えるサンルーム。

栗原邸の要所にアールデコ風の照明器具、そして表情豊かな家具類が配されており、それらも本野精吾がデザインしたものだという。サンルームの椅子とテーブル、箪笥たんすもそれらの一部。

このサンルームをカメラのファインダー越しに眺めていて、どこか船のイメージを連想したのだが、本野精吾はいくつかの船内設計も行っていたようだ。

あくまで想像に過ぎないが、緩やかなアールのガラス張りとなったこのサンルームは船をモチーフにしてデザインしたのかも知れない。

二階居室

2階には一階と同じ間取りの居室が4部屋あり、RC壁式構造であることが改めてわかる。各居室に置かれたベッドや椅子も本野のデザインによるもの。

天井いっぱいまで高く取られた開口部から、緑のフィルターがかかった木漏れ日が柔らかく差し込み、なんとも幻想的な雰囲気を創り出していた。建物より背の高い庭木を周囲に配したのは、この様な効果を狙ったからなのであろうか。

あとがき

求められるモダニズム建築の後継者

昭和4年に竣工した旧鶴巻邸(栗原邸)は、施主、鶴巻氏の最晩年の昭和16年に、日本最古の広告代理店として知られた萬年社の経営にあたっていた栗原のぼる氏に譲渡され、現在は栗原眞純氏の所有となっている。

今回の撮影取材も現オーナーの快諾により実現したのだが、文頭に書いた通り、この建物は新しい後継者を求めている。歴史的・文化的価値を継承し、長く居住もしくは活用して貰える方を希望しているという。

近年、日本の優れた建築遺産は、老朽化による修理費や維持費の問題により保存や活用、継承が難しい状況に直面しているが、その一方で活用方法の模索や理解も広まりつつある。

京都ならではの文化背景から生まれた、類を見ない壮大なモダニズム建築が後世にわたって受け継がれる事を願ってやまない。

物件概要

栗原邸(旧鶴巻邸)
[ 国登録有形文化財 ]
※竣工 1929年(昭和4年)
※所在地 京都市山科区御陵大岩
※敷地面積 1919.73㎡(580.72坪)
※延床面積 394.41㎡(119.31坪)
※販売価格 2億円

撮影取材協力:センチュリー21ホームサービス 伏見桃山店

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今回行った場所

栗原邸

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