京都三条通 KYOTO,SANJYO STREET
千年の都、京都のまちをあっち行ったりこっち行ったりカメラ片手にぶらぶら散歩。
いやー 京都は何回来ても新しい発見と感動があって楽しいまちですよね。
いつも活気溢れる京都市中心部の “メインストリート” と言えば、多くの人が河原町通や烏丸通と交わり、八坂神社や祇園へと通じる “四条通” を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし今からおよそ100年前、明治時代末期までは数本北を東西に走る “三条通” が京都市街地のメインストリートだったことをご存知でしょうか?
東海道 西の起点「三条通」
東海道五十三次 「三条大橋」
東海道五十三次 は江戸時代に整備された街道のひとつで、江戸 “日本橋” から京都 “三条大橋” までを結ぶ東海道にある53の宿場の事を指します。
今なら新幹線で2時間半ほどの約500kmの 東京 〜 京都間 を、江戸時代には宿場を辿って半月かけて歩いたのだとか。三条大橋を西側に渡ると、十返舎一九 の 東海道中膝栗毛 でおなじみの “弥次さん・喜多さん” がお出迎えしてくれます。
弥次喜多像 「三条大橋」
三条通は江戸時代に 東海道の西の起点 として賑わい、明治から大正の近代になると集書院・郵便局・銀行・保険会社などの近代的なビルヂングが次々に建てられ、京都のメインストリートになりました。
しかし1912年(明治45年)に四条通・烏丸通が拡張されると、次第に賑わいはそちらに移ってゆくのですが、それがかえって三条通に歴史的建造物を残すことになります。
レトロビル・近代建築マニアの僕にとって、三条通は今も京都のメインストリート。それでは烏丸三条の辺りから三条大橋へ向かって東へ歩いて参ります !
旧西村貿易会社(文椿ビルジング)
1920年(大正9年)に西村貿易会社という染織会社の社屋として建てられた木造の洋館。パッと見はどう見ても鉄筋コンクリート造ですね。 煉瓦タイルや石柱、銅葺きの屋根など洋風レトロな外観と、木造建築ならではの太い木の柱が目につく内観の差が面白い。
繊維問屋や内装業社、呉服商社として使われていた物件をリノベーションし、商業施設として再生した 文椿ビルヂング 。建物内には、レストランやカフェなどのショップが展開されています。
旧京都中央電話局(新風館)
旧京都中央電話局
烏丸通り沿いに建つ、旧京都中央電話局の建物は、新風館 と呼んだ方が馴染みがありますね。1926年(大正15年)創建当時の趣がよく保存された建築です。
西洋コテコテ装飾のデザインではなく、シュっとした外観と重厚なレンガ仕上げに好感が持てます。
2016年に閉館した商業施設の新風館でしたが、2020年6月に日本発進出の「エースホテル」や全20店舗の商業施設を含む、新生「新風館」としてリニューアルオープンしました。
旧京都郵便電信局(中京郵便局)
1902年(明治35年)に建てられた、赤煉瓦造の 旧京都郵便電信局 は今も現役の郵便局。
日本で最も歴史のある郵便局の一つです。外壁だけ残して内部だけを新築する建築手法「ファサード保存」で1978年に改修されています。
今は歴史的建造物の保存などを目的として、多く用いられているファサード保存ですが、この中京郵便局舎が日本で最初の実施例として有名です。
旧日本銀行京都支店
中京郵便局と同じブロックに建つ、もうひとつの赤煉瓦建物。1906年(明治39年)に建てられた 旧日本銀行京都支店 は、明治建築界の帝王と言われた 辰野金吾 の設計。この界隈には、赤レンガに白い花崗岩でアクセントを付けた “辰野式” と言われるデザインの建築が目立ちます。
辰野金吾が世に残した建築物は、東京駅 をはじめ、日銀本店・日銀大阪支店、関西で馴染みのあるところでは大阪中之島の 中央公会堂 など、その他、多くの作品が100年の時を超えて今も現存しています。スクラップ&ビルド思想の強い日本ではすごい事だと思います。
旧日本銀行京都支店
重要文化財の指定を受け、現在は京都文化博物館の別館として内部の見学も可能なこの建物。嬉しいのは建物内部が日銀京都支店として利用されていた当時の趣のまま残っていること。飴色の広い空間がノスタルジーな感じになっとります。
旧日本生命京都支店
1914年(大正3年)に 旧日本生命の京都支店 として建てられたこの建物も、先の旧日本銀行京都支店と同じく辰野金吾の設計。
辰野建築で馴染み深い赤煉瓦意匠ではなく「日本銀行本店」等でみられる石張りの外観。1983年の改修工事の際に、コーナー部の塔屋を含む東側がファサード保存された状態で現存しています。
旧不動貯金銀行京都支店
1915年(大正4年)築のこちらの建物はりそな銀行の前身の一つである、旧不動貯金銀行 の京都支店。「セセッション」と言われる大正初期に日本で流行した様式建築のデザインが取り入れられています。
1988年に外観を残しながらのリノベーションが行われ、現在は「SACRAビル」として商用活用されています。
家邊徳時計店
個人的に三条通の近代建築でいちばん好きな建物 “家邊徳時計店” 。1890年(明治23年)に建てられた、京都に現存する民間洋風商業建築としては最古の部類の建築です。こちらの建物も一番最初に紹介した「旧西村貿易会社(文椿ビルジング)」と同じ木造建築(木骨煉瓦造)になります。
内部には金庫室や螺旋階段があって、1階のファサードは3連アーチ窓で飾り、2階部分をセットバックさせているのが特徴的。
旧毎日新聞社京都支局(1928ビル)
数ある三条通の近代建築の中でもひときわ異彩を放っているのがこの建物。独特なアールデコ風のこってりとした外観装飾は好き嫌いがあるかもわかりませんね。
“旧大阪毎日新聞京都支局”(現1928ビル)はその名の通り1928年(昭和3年)の竣工。近代建築の巨匠、武田五一の設計です。
築90年近くになりますが、昭和築という響きは、明治や大正生まれの三条通レトロビルのなかに入っては少し若く感じます。
毎日新聞社の京都支局として長らく使われていましたが、1998年、新聞社の移転に伴い文化的拠点としてリノベーションされ、1928ビルと改称されました。個人的には外観より内部の趣が好み。
いちばんオススメしたいのは、地下にある Cafe Indépendants(アンデパンダン)。
cafe Indépendants
長年廃墟同然だった地階を、アーティストたちが創建当時の姿に復元し、そこに新たなデザインを加えて誕生したカフェ。剥落した漆喰壁画や貴重なタイル、シャワールームの名残の赤煉瓦などは現状のまま保存され、壁側に並ぶ大きなテーブルは、毎日新聞社講堂で長年使われてきたものだそうです。
階段室や店内の腰壁には大正・昭和初期の名建材、京都泰山製陶所の “泰山タイル” が使用されている。
まとめ
京都市から「三条通界隈景観整備地区」に指定されている「三条通」の烏丸通から寺町通までをレトロビルを眺めて歩いてみました。歴史の町、京都と言えば寺社仏閣のイメージが強くありますが、意外と洋風な近代建築も数多く残っています。
三条通は一方通行の狭い道ですが、レトロビルの他にもオシャレな雑貨店やショップも多い通りです。明治・大正期の面影を垣間見ながら、のんびり散歩してみるのも楽しいものです。
では、また!
関連記事
-
嗚呼、麗しの「泰山タイル」を探して近代建築を巡る
「泰山タイル」なるモノをご存知でこのページを開いて頂いた方は ...
-
花の大大阪モダンストリート「堺筋」レトロ建築を愛でて歩く!
大正後期から昭和初期にかけて、東京を凌ぐ東洋一の商都として大 ...
三条通りのすぐ近く “錦市場”
-
「錦市場」を歩いて鱧寿司を食べる京都の夏
僕は生粋の大阪人だけど、大阪の黒門市場や木津市場より、京都の ...
幕末ファン必見 “三条大橋の刀傷”
-
新選組「池田屋事件」三条大橋の擬宝珠に残された刀傷の謎
全国1億2千万の幕末ファンの皆様こんにちは。 江戸時代の旧街 ...
今回行った場所
旧西村貿易会社(文椿ビルジング)
旧京都中央電話局(京都電電ビル西館)
旧京都郵便電信局(中京郵便局)
旧日本銀行京都支店
旧日本生命京都支店
旧不動貯金銀行京都支店
家邊徳時計店
旧毎日新聞社京都支局(1928ビル)