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「岩倉具視幽棲旧宅」明治維新の幕開けを語る幕末志士の面影

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Hamzo
京都 洛北岩倉へ !

全国1億2千万の幕末ファンの皆様こんにちは。

新緑が眩しくなってきた四月中頃、かつて坂本龍馬・中岡慎太郎・大久保利通などの維新の志士が通い、密議を重ねたという、京都洛北は岩倉の趣きある旧家へと足を運んできました。

What’s “ 岩倉具視幽棲旧宅 ” ?

この記事に目を通して頂いている方には説明不要かと思いますが、何となくしか知らなーいという方の為に “岩倉具視” ってどんな人だった ?  “幽棲旧宅” とはなんぞや ? という事について簡単におさらいしておきましょう。

岩倉具視 (いわくらともみ)  。旧五百円紙幣の肖像となった人物は、幕末期に維新を牽引し、明治初期に最も出世した人物のひとりですね。

下級の “公家” として生まれた岩倉具視は若い頃から、肝が据わった豪傑肌の性格だった様です。 曖昧で遠回しな表現が公家としての素養の一つとも言えた公家社会において、はっきりと臆せず物言う岩倉具視は朝廷では異端児的な存在だったのかも分かりません。

ペリーが黒船に乗って来航した1853年以降、日本は “開国” “攘夷” かという、今後の日本の将来に大きな影響を及ぼす問題を抱える事になります。その最中、朝廷を無視して「日米修好通商条約」を締結してしまう幕府政権。

※ 攘夷 ・・・ 江戸時代200年以上続いた鎖国を続け、外敵(外国人)を国内に入れないという思想のこと。


黒船来航   出典 : wikipedia

岩倉具視は混沌とする時代において、政治を幕府に任せきりにするのではなく、公家もあり方を変え、積極的に政治に関わるべきであるという考えを朝廷内に打ち出します。

もともと、幕府寄りの思想を持ち “公武合体派” であった岩倉具視は、朝廷と将軍家を結びつけるために、徳川家14代将軍 家茂のもとへ、孝明天皇の妹である和宮を嫁がせた、いわゆる “和宮降嫁” の立役者となります。

※ 公武合体 ・・・ 朝廷(公)と幕府と諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政治運動のこと。


岩倉具視幽棲旧宅 主屋 「鄰雲軒」

ところが次第に朝廷内で、反幕府の攘夷派が勢力を伸ばし始めたことから、岩倉は孝明天皇からも遠ざけられ、ついには失脚してしまう事になります。洛外での蟄居を命じられた岩倉具視の隠居生活は5年にも渡りました。

※ 蟄居・・・ 武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させるもの。

政治抗争の果てに御所を追われ、政治の中心から離れながらも、虎視眈々と政界復帰を目指して幽棲を続けたのが、この茅葺き屋根の小さな木造家屋というわけです。

岩倉具視幽棲旧宅

150余年前、倒幕を推進した尊王攘夷派の勤皇志士たちと、新撰組や会津藩などの佐幕派によって繰り広げられた幕末の動乱劇。その舞台の中心地となった “京の町” には現在も多くの幕末史跡が残っていますよね。

京都市内中心部にあった藩邸や寓居などは、そのほとんどが姿を消し、石碑のみが残るなかで、 “岩倉具視幽棲旧宅” は京都の幕末史跡の中で、当時の面影がとても美しく残されていてる建築だと思います。


岩倉具視幽棲旧宅 主屋 「鄰雲軒」

岩倉具視幽棲旧宅は歴史的風土を残す街並みのなか、実相院の東にひっそりと佇んでいます。この家屋は元々、地元の藤吉という大工の居宅(現在の附属屋)を岩倉が購入し、茅葺き屋根の主屋「鄰雲軒」を増築して暮らし始めたもの。

幽棲の趣きが残っていて当時の暮しぶりを何となく伺う事が出来ますが、当時の岩倉の生活は酷く、髪や髭は延び放題で服はボロ同然だったといいます。そんな蟄居時代の極貧生活を補うため、旧宅で賭場を開いては寺銭を取っていたそうです。


岩倉具視幽棲旧宅 附属屋

しかし、この旧宅には坂本龍馬や中岡慎太郎、大久保利通など多くの維新の志士たちが訪れ、政治談義を交わしたといいます。そしてついには王政復古を成し遂げ、岩倉は明治維新の幕開けと共に再び政治の表舞台に立つことになります。

明治時代に入ると、維新の志士たちと共に八面六臂の活躍を見せた岩倉具視ですが、人生のどん底を味わったこの場所で過ごした数年間が、その後の彼の明治維新政府運営にあたって、なんらかの影響があったことは問違いないと思います。

主屋「鄰雲軒」床脇の天袋、地袋に描かれた、桜・紅葉・群雀(むらすずめ)などの襖絵は当時のものがそのまま残されているとの事。

その昔、比叡山を一望できたという邸宅から望む庭には、岩倉具視が実子の具定と共に近くの山から持ちかえり、手植えしたという松の木が凛とした存在感を示している。 

独特の揺らぎを作りだす大正ガラスの障子越しに眺める、新緑美しい庭の風景はなんとも言えない趣きがあった。ちなみにこの庭は明治期に岡崎を中心に数多くの名庭園を手掛けたカリスマ庭師、七代目小川治兵衛の作庭。

まとめ

近代和風建築の初期の特徴を示す貴重な建造物として、1932年(昭和7年)に国の史跡にも指定されている岩倉具視幽棲旧宅。

岩倉が四十歳からの三年間、静かに暮らしながら維新への夢を育んだこの地は、彼にとって大変思いれも深い場所だった様です。

よく手入れされた美しい庭園を広縁越しにぼんやりと眺めていると、往時、ここに居した偉人を慕って集い、維新の夢を熱く語った幕末志士たちの面影が、建物と共に残されているようにも思えた。

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今回行った場所

岩倉具視幽棲旧宅  公式ホームページ

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