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京都

北白川「銀月アパートメント」で囁かれるまことしやかな噂話

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S.L
京都北白川へ!

京都市左京区北白川。 大文字の送り火で知られる如意ケ岳と、比叡山のちょうど間にあるこのエリアは、古くは京都と滋賀を結ぶ街道集落として栄えたまち。


喜多源逸邸

北白川地区は大正末期から昭和の初期にかけて、主に住宅地として開発されました。疏水分線がそよそよ流れ、自然も多く残るこの場所は、近代京都で最も早く形成された郊外住宅地といわれています。

風光明媚な北白川には、文化人や学者などが多く居を構え、閑静な住宅街として発展します。 ヴォーリズの駒井家住宅や、藤井厚二の喜多源逸邸、増田友也の小林邸など、今も往時の錚々そうそうたる住宅建築が疏水沿いに残り、大切に保存されています。



銀月アパートメント

閑静な北白川住宅街の一角に建つ、洋風の木造集合住宅、銀月アパートメント。

建築ファンの間では、京大の吉田寮と並んで少しばかり知られた存在ですが、私が大学生だった頃には、同じ風貌の木造アパートや学生寮は決して珍しいものではなく、案外、そこらじゅうにあった様に記憶しています。

もう何年も取り壊しの噂がたつ、古びたこの木造洋館は、四畳半一間の部屋が全部で20戸ほどある二階建てのいわゆる木造長屋。もちろん住人以外は立入禁止ですが、今回は知人を通じて内部を見学させて頂きました。

鬱蒼うっそうとした玄関アプローチの先にある入口の屋根は、チューダー風のとんがり屋根。白い木枠の窓にアンティークな硝子がめられ、共同の炊事場には住人たちのフライパンが整然と並んでいる。

このアパートも、近くの有名建築家による住宅群と同じく、戦前の頃には既にあったらしい。ということなのですが、どうやら詳しい事は誰にも分からない様ですね。

分からないだけに、この銀月アパートメントには色んな噂があり、住人たちの間でまことしやかに伝えられています。

銀月アパートメントにまつわるウワサ交々 …

数年前から「五年後には取り壊される」と言われている。

年功序列制で、代々住人が管理人になっていく。

二階の住人は「モノを増やさない」ことが鉄則である。

およそ20部屋、すべて間取りがちがう。

スパニッシュコロニアル様式の建物(かもしれない)。

大島渚が住んでいた。

住みよくなるための改造なら大方OK。(天井をぶち抜いた住人もいる)

バス·トイレ無の物件表示だが、建物内のどこかに風呂があるらしい。

洗濯もののたなびく共同物干し場に七輪を持ち出し、焼肉をすることがある。

二階のトイレは屋根の上に乗っかっているだけである。

ある台風の日の夜に、住人たちが連れだって大文字山へ登山した。(皆そろいのゴミ袋でつくったレインコートを着て)

敷地内に生えるしだれ桜は桜色とは呼べないほどに濃厚な紅色。桜の魔性に遷りつかれ、ここを離れられなくなった住人がいる。

引用:「京都の洋館」青幻舎

私にとっては、なんとなく懐かしい思いがこみ上げる建物でしたが、確かにこの様な雰囲気の集合長屋も随分と少なくなった気がします。

今となっては貴重な建築遺構ともいえる昭和の木造アパートメントですが、これからも沢山の噂話を増やしながら、白川疏水の傍らでひっそりと長く生き続けて欲しいものです。



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今回行った場所

銀月アパートメント

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