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西郷隆盛の弟の家「旧西郷従道邸」がいい洋館だったなぁって話

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S.L
旧西郷従道邸へ!


旧西郷従道邸(食堂)

明治村の正門から一番近いエリアの台地に、ひときわ目を引く明るい洋館が建っている。かつては東京目黒に建っていたものだ。

この館の主は 西郷従道さいごうじゅうどう 。維新三傑のひとりである 西郷隆盛 の実弟で、明治新政府の中心人物として時代を牽引した政治家だ。兄の名前が偉大すぎて、あまりメジャー感のない西郷従道だが、実はかなりの切れ者だった様だ。

長兄 隆盛より15歳年下の従道は、兄の影響のもと、若い頃より薩英戦争や禁門の変や鳥羽・伏見の戦いにも従軍している。

西南戦争では兄隆盛とは行動をともにせず東京に留まった。従道は下野した兄が再び東京に戻る事を切に願い、隆盛を迎えるために広大な敷地を上目黒に購入した。しかし願いは叶わず、そこには瀟洒な洋館が建った。



西郷従道の洋館

明治16年、現在 西郷山と呼ばれる広大な敷地に西郷従道邸は竣工した。

欧州視察で諸国の要人たちが豪壮な館を構え、社交や政治の場として活用する習慣を見て、彼らと対等に付き合うために本格的な洋館を建設し、接客の場としたとされている。少し離れた場所に居住用の和館があったようだ。

円弧を描いて張り出したベランダ手摺のデザインや、軒や切妻屋根の破風に付けられた 切抜き板飾り (バージーボード)が実に繊細でリズミカルだ。


旧西郷従道邸(書斎)

設計はフランス人建築技術者のジュール・レスカス。日本人の大工棟梁とのタッグで完成させたという。

従道邸のスタイルは、当時のフランスで見られた住宅の典型とされているが、金属板葺きの軽い屋根材の使用や、柱と横木の対角線に補強材を設けた筋交構造を用いるなど、地震国である日本の事情に添ったオリジナリティを組み合わせている。

内部の建具類や階段材、建築金具や装飾品の多くはフランスから直輸入したものが使用されていて、それらも従道邸の大きな見どころになっている。

文部卿・陸軍卿・農商務卿・海軍大臣・内務大臣・貴族院議員を歴任するなど、往時の要職を務めた従道邸には多くの賓客が招かれた様だ。明治22年には天皇が行幸し、前庭で開かれた相撲を2階のベランダから観戦したという。

建築装飾もさることながら家具類の調度品が何ととも良い味を出していて、建築物のポテンシャルをグッと上げている。

ホール・居間・応接室・食堂・書斎・寝室などに配されている家具類、調度品の多くは、鹿鳴館や赤坂離宮で使用されていたものが「当時、この様に家具調度を設えたであろう」 という想像のもとコーディネートされている。

兄「大西郷」こと 隆盛 に対して「小西郷」と呼ばれた従道であったが、直情・至誠の人であった兄に比べ、柔軟性があり駆け引きにも秀でていたと評されている。

苦悩のまま逆賊となった兄、隆盛が西南戦争で散り、後の大久保利通の暗殺で元薩摩藩士の超重鎮が次々に亡くなった後も、薩摩出身のキーパーソンとして活躍した西郷従道。

彼が生きた洋館には、明治維新以降、時代のうねりのなかで急速に近代国家を目指した日本の息吹の様なものが感じられた。



今回行った場所

旧西郷従道邸

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