

伊勢 古市 「麻吉旅館」
木々の葉が少しずつ色づき始め旅欲も高まってきた初秋、休暇をとって2年ぶりに三重県の伊勢に行って来た。 伊勢神宮参拝が主な目的だったが、かねてから一度は行ってみたいと思っていた江戸時代の歴史的大遊郭建築に泊まり、当時の人々がお伊勢参りの後に楽しんだという “精進落とし” の気分を少しばかり味わってきた。
かつての伊勢には、江戸の “吉原”、大坂の “新町” そして京都の “島原” と並ぶ、日本五大遊郭 のひとつとして大きな賑わいを見せた町があったのをご存知でしょうか?
“精進落とし” とは…
寺社巡礼・祭礼・神事など、精進潔斎(肉・魚の類を口にせず、飲酒・性行為などを避け、おこないを慎むことによって、心身を清浄な状態におくこと)が必要な行事が終わった後に、肉・酒の摂取や異性との交わりを再開したりすることなどを言う。 かつての伊勢巡礼では、おかげ参りで伊勢に向かう道中で身を謹んでいた巡礼者が、参拝後に精進落としをするため遊郭へと繰り出した。
引用:wikipedia
“おかげ参り” と精進落としの町 “古市” のこと

伊勢神宮 内宮
What’s “おかげ参り” ?
江戸時代に日本全国の庶民の間で大人気だった “伊勢神宮” 。 「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも…」と伊勢音頭に歌われたように、かつて伊勢神宮への参拝は庶民の夢であり憧れでもありました。
多い年には10人に1人の日本人が伊勢神宮参拝に赴いていたそうです。

伊勢神宮 五十鈴川
なかでも江戸時代に、度々くり返された伊勢神宮への集団参詣を “お蔭参り” といいました。 豊作も商売繁盛も伊勢の神の「おかげ」にひっかけているのですが、なんと数百万人の規模の群衆が、全国各地から一挙に伊勢へ押し寄せる訳です。
20年周期で行われる “式年遷宮” があった翌年を、世間が明るくなる「おかげ年」といい、その年の参拝「おかげ参り」こそが、ご祭神である 天照大御神、 豊受大神 の大きなご利益があるとされてきたようです。
車や鉄道などが無い時代、江戸からは片道15日間、大阪からでも5日間、東北地方からも100日ちかく歩いて、人々は参詣に赴きました。江戸時代のある記録によると、おかげ年に箱根の関所を通過して伊勢へ向かう民衆は1日2,500人から2,600人に及んだという。

伊勢参宮「宮川の渡し」 出典:wikipedia
江戸時代、大人気であり、絶えず多くの人が集まる伊勢神宮の周辺地域には、やがて自然発生的に大歓楽街が形成されます。
伊勢神宮の “内宮” と “外宮” のちょうど中間付近のまち「古市」。 古市は参拝を済ませた人々たちの “精進落とし” の場として大いに栄え、大道芸人や遊女たちが旅人を迎え、やがて一大遊郭としての賑わいを見せる事になります。

伊勢参宮名所図会「古市遊郭」 出典:wikipedia
最盛期の江戸時代中期には、妓楼や置屋などが70軒以上建ち並び、遊女の数は1,000人を超えたという古市遊郭。 十返舎一九の “東海道中膝栗毛” でも、弥次さん喜多さんが古市に訪れたことが描かれています。
旅人たちは酒と料理を堪能しながら、大勢の遊女が踊る伊勢音頭をたいそう楽しんだとか。 長い旅と伊勢神宮参拝を終えた後に、心ゆくまで楽しむ “精進落とし” 、これも江戸時代の人々が伊勢に行きたかった理由の一つなのかもわかりませんね。
生きた遊郭建築 “麻吉旅館” へ !

戦前の伊勢古市遊郭
古市遊郭は先の戦災によって大きな被害を受け、現在は閑静な住宅地となり当時のまち並みなどの面影はありませんが、古市参宮街道から細い路地へ少し歩を進めると、突如として江戸時代の風情が漂う大建築が姿をあらわします。

「麻吉旅館」は古市の中で往時を偲ぶ唯一の宿屋。 往時は “花月楼 麻吉” の名で多くの芸妓を抱えたお茶屋でした。もともとは伊勢神宮へ “麻” を納めていた商売をしていたのが始まりともいわれ、“麻屋吉兵衛” の名を世襲したことから「麻吉」が屋号になったという。
正確な創業年は不明な様ですが1782年(天明2年)の街並図に “麻吉” の名前が記されている事から、築年数は200年を超えると言われ、現在は本館や土蔵、最上階の聚遠楼などが伊勢市の登録有形文化財にも指定されています。
6層からなる本館や蔵、別棟などが石階段の両側を囲み、この建築のシンボル的な渡り廊下が二つの棟を繋いでいる。
古市丘陵の斜面に沿って階段状に建てられた外観は独特で、急斜面に沿って造られる “懸崖造り” という建築様式にあたります。寺社建築では京都の清水寺とか、鳥取の投入堂などと同じ建築様式ですね。
“麻吉旅館” 妖艶な夜の景観

夜になると提灯や石段に設置された照明の灯りが建物を照らし、より一層趣きや情緒が増して幻想的な雰囲気に辺りが包まれる。独りで写真を撮っていると、程よく呑んだ酒のせいもあって、遠い過去の世界にタイムスリップしたかのようにも思えた。
元遊郭の陰影
宿部屋として使われている部屋は現在6室あるようです。 僕が今回泊まったのは10畳程の部屋で、いたってシンプルな和室でしたが、元遊郭ということもあってか、どこかエロティックな雰囲気を漂わせていた。気のせいかな ? (笑)
幾つもの建物が複雑に繋がり、階段や渡り廊下で結ばれた館内はまるで迷宮のよう。 屋内の廊下部分に建物の軒先が顔を出したりしているところを見ると、何十年とかけて、増築や増床を繰り返しながら今の形になった事がうかがえる。
館内には観光者や外国人向けに「江戸時代の遊郭の風情を再現しましたよー」的な、わざとらしさなど一切なく、そこにあるのは時を重ねて層をなした多様な歴史のみ。それがかえって時の一大花街古市の旅情をそそっている様な気がした。
麻吉の代名詞 “聚遠楼”
麻吉旅館の代名詞とも言えるのが “聚遠楼” と呼ばれる最上階の大広間。 明治期には、楼上からの眺望がよい料理屋兼旅館 聚遠楼 として知られていたらしい。座敷2間で33畳という広さもさることながら、窓からは朝熊山のパノラマが望めるという。

あとがき
長い歴史と共に生きてきた麻吉旅館も、まず現在の建築基準法や消防法では同じ規模の木造建物の再建築は不可能だと思います。こうした歴史的な木造宿は、一度朽ちたら二度と蘇らない運命の宿が多いので、一度は見ておきたいという方々も多いとか。
二世紀以上の築年を重ねた、これだけの大建築を修理しながら維持していくのは相当な苦労と費用がかかると思いますが、この先も長く、伊勢の歴史を伝えるランドマークとして生き続けて欲しいと思います。
古建築好きの建築屋としては、また次の伊勢神宮参拝もこちらの宿にお世話になろうと心に誓った。
関連記事
-
-
宝島社の「江戸の家計簿」に麻吉旅館の写真を使って頂きました!
この度、歴史家 磯田道史氏 ご監修の書籍 「江戸の家計簿 カラー版」 に写真提供をさせて頂きました。 見識が浅いながらも、歴史ジャンルをテーマの一つにしている スマイルログ が、かの “宝島社” のお目に止まるとはっ! しかも、磯田先生は僕も大好きな歴史家なのでかなり嬉 ...
-
-
「熊野古道」の撮影スポットと熊野三山を一泊二日で巡るおすすめコース
熊野本宮大社 紅葉前の初秋、熊野古道 を歩るき、熊野詣くまのもうで をしてきた。 インバウンドで賑わう観光地と同じく、たくさんの外国人もせっせと歩いていた。 世界中で 「道」 というキーワードで世界遺産になっているのは、スペインの “サンチャゴ巡礼路” というのもと、熊 ...
-
-
奇跡の「賓日館」と伊勢神宮にまつわる建造物を巡る建築オタク旅
伊勢神宮「宇治橋」 伊勢神宮で20年に一度行われる、神宮最大のお祭り “式年遷宮” はとても興味深い。 式年遷宮とは、内宮・外宮の正宮と14の別宮が20年に一度、隣の敷地に同じ姿で社殿を建て替えて、御神体を遷すという、1,300年前の奈良時代から続く神事のこと。直近では ...
遊郭建築 関連記事
-
-
金沢「宿 陽月」ひがし茶屋街の生きた遊廓建築に泊まる!
石畳の通りに木虫籠の町家が整然と並ぶ金沢市の ひがし茶屋街 は、江戸後期の文政三年(1820年)に加賀藩が城下町に点在していた茶屋を集めて町割りしたもの。 茶屋は「にし」と「ひがし」にまとめられ、浅野川東側に開かれたこの界隈はかつて「 東廓 ひがしのくるわ」と呼ばれてい ...
-
-
青森「新むつ旅館」生きた遊郭建築に泊まる! 八戸に残る一軒宿
新むつ旅館(旧新陸奥楼)顔見世の間 青森市、弘前市ひろさきしと並ぶ青森三大都市のひとつ 八戸市はちのへし は、藩政時代から漁港として、また江戸との交易拠点、三陸沿岸の避難港として栄えた “みなとまち” 。 その昔、多くの船と人々が行き交い、賑わいを見せる港町に “花街か ...
-
-
青森「中村旅館」生きた遊郭建築に泊まる!黒石に残る遊女の幻
中村旅館がある 黒石市 は青森県のほぼ中央、津軽平野の南東端に位置する町。 江戸時代の黒石は、秋田から北海道への浜街道沿いの物資流通の拠点として「中町」を中心として発展した。中町に残る「こみせ」は藩政時代から今に残る木造アーケードで、連続した木造の庇ひさし群が往時の歴史 ...
-
-
京都「多津美旅館」橋本遊郭跡の生きた遊郭建築に泊まる!
京都橋本「多津美旅館」 “京街道” とは、もともと大阪と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、二つの城を最短で繋ぐために淀川左岸を整備した軍事道路の事。 江戸時代には幕府公用の主要道路として本格的に整備が行われ、大阪の高麗橋を起点とし淀川に沿って続く京街道には、守口宿、枚方宿、淀 ...
-
-
「UNKNOWN KYOTO」五条楽園の生きた遊郭建築に泊まる!
京都、旧五条楽園 。 五条大橋の南側、鴨川と寄り添う様に流れる高瀬川を中心に広がるその界隈は、幕末期から明治期にかけて、五条新地、六条新地、七条新地という隣接する複数の遊里が大正時代に合併して形成された京都最大の旧遊廓地帯のこと。 通称「七条新地」として栄えた廓は、戦後 ...
-
-
「芳和荘」生きた遊郭建築に泊まる ! 萩の町と歴史を重ねた100年
萩市 東浜崎 「芳和荘」 歴史的風土が色濃く残る山口県 萩市。 萩の三角州の北東の端っこ “浜崎地区” は城下町ともに開かれた町人地。 武家屋敷群が立ち並ぶ世界遺産指定の萩城城下町からは少しばかり離れていますが、古い町並みがきれいに保存され “重要伝統的建造物群保存地区 ...
-
-
「鯛よし百番」生きた遊郭建築と飛田新地の歴史を喰らう!
飛田新地「鯛よし百番」 今はなき “遊郭” の歴史は実に安土桃山時代にまで遡ります。 江戸時代には幕府公許の遊郭が日本各地に生まれます。とりわけ、江戸の “吉原遊郭” 京都の “島原遊郭” 大阪の “新町遊郭” は日本三大遊郭と呼ばれるほどに栄えました。 夕霧太夫で ...
-
-
京都最大の旧色街「五条楽園」の遊郭建築と下町レトロ散歩路
京都の象徴として多くの人々に愛され、親しまれている 鴨川 。 下京区と東山区の境の鴨川に架かる “五条大橋” は牛若丸と弁慶が初めて出会った場所としても有名ですよね。平安時代の五条大橋は二筋上流の松原通にあたり、当時の五条橋は今の松原橋の位置っていうのが通説だそうです。 ...
-
-
「京都 島原」 日本最古の花街を歩いて、遊郭建築と100年の珈琲を堪能する
島原の道筋(明治期) 千年の都、京都の町をあっち行ったりこっち行ったりカメラ片手にぶらぶら散歩。 京都は何回来ても新しい発見があって楽しいまちですよね。 ところでみなさん、京都の “花街かがい” と言えばどこを思い浮かべますか? やはり多くの人が一番に思いつくのは “祇 ...
-
-
大和郡山「旧川本邸」昭和遊女の香り漂う三階建の遊郭建築
洞泉寺町遊郭 「川本楼」 奈良の建築というと歴史ある格式の高い寺社が多いイメージですが、近年まで栄えた奈良の色街跡に往時の面影を色濃く残した “遊廓建築” が現在も幾棟か現存しているのをご存知でしょうか? 奈良には近代まで 三大遊郭 と呼ばれた色街がありました。日本最古 ...
-
-
蘇れ ! 京都旧花街のシンボル「五条会館」 築100年の大歌舞練場
五條會館歌舞練場 花街かがい とは舞妓まいこや芸妓げいこがお客様に芸を披露したり、お座敷遊びなどをする “お茶屋” や、舞妓・芸妓を派遣する “置屋” などが集結する街のこと。京都には現在も “祇園ぎおん甲部・祇園東・先斗町ぽんとちょう・宮川町・上七軒” の五つの花街が ...
今回行った場所
麻吉旅館 伊勢旅館組合HP