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「鯛よし百番」生きた遊郭建築と飛田新地の歴史を喰らう!

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Hamzo
飛田新地、鯛よし百番へ!


飛田新地「鯛よし百番」

今はなき “遊郭” の歴史は実に安土桃山時代にまで遡ります。

江戸時代には幕府公許の遊郭が日本各地に生まれます。とりわけ、江戸の “吉原遊郭”  京都の “島原遊郭”  大阪の “新町遊郭” は日本三大遊郭と呼ばれるほどに栄えました。

夕霧太夫で有名な新町遊廓には、江戸時代前期の元禄年間に800名を超える遊女がいたことが確認されており、明治時代の初頭まで繁栄しました。


大阪の「新町遊郭」は日本三大遊郭のひとつ

大阪の五大新地とは?

大遊郭として名を馳せた 新町遊郭 があった現大阪市西区の辺りに、当時の面影は全く残っていませんが、大阪には “五大新地” と称される花街が今も存在しています。

そこではかつて遊廓や赤線だった場所が料亭などに形態を変えて、往時の色街風情を残しながら現在も機能しています。

松島まつしま新地」「飛田とびた新地」「今里いまざと新地」「滝井たきい新地」「信太山しのだやま新地」を称して 大阪の 五大新地 と呼びますが、そもそも “新地” という花街名称は大阪独特のものの様ですね。 ちなみに高級歓楽街で有名な北新地は五大新地には属しません。


松島遊郭

「松島新地」と「飛田新地」はその昔、大阪を代表した遊廓で規模の大きなくるわです。明治初年に開かれた松島遊廓は、昭和5年には257軒の妓楼ぎろうが軒を連ね、娼妓に至っては3,657人を数えたといいます。

「今里新地」は、かつて芸妓と娼妓しょうぎが混在した遊里で、かつては置屋も存在したという。また「滝井新地」と「信太山新地」の前身は戦後にできた新興の赤線でした。いづれの新地にも色町独特の香りが今もプンプン漂っています。



現存する日本最大級の色街


飛田新地「鯛よし百番」

飛田新地 は大阪市西成区に今なお存在する、日本最大級の色街。

日本では、明治33年に発布された“娼妓取締規則”によって全国統一の公娼制度が完成します。遊郭は法令上の正式名称として「貸座敷免許地」と呼ばれ、遊女がいる “妓楼ぎろう” は「貸座敷」とされます。

絃歌の日夜絶えざる大阪の飛田遊郭


大正初期、創業当時の飛田遊郭

飛田が「貸座敷免許地」に指定されたのは大正5年。 江戸時代までは大坂七墓のひとつ “鳶田とびた墓地” として、処刑場を併設した墓所だった事でも知られる地です。 大正初期の遊郭形成当時は原っぱだった様ですね。

明治末期に大阪のキタとミナミで立て続けに起こった大火で焼失した “曽根崎新地” と “難波新地” の代替地として承認されたのが飛田遊郭の始まりとなります。

大阪初のモダン遊郭


昭和期の飛田新地

江戸時代から大阪のあちこちに存在した遊郭のなかにあって、後発組にあたる飛田遊郭。

「後発組としては、これまでにない特徴づけが必要!」と当時の業者達は、昔ながらの格子窓の建物を廃止し、まだ珍しかったダブルベッドを導入したり、妓楼によってはダンスホールや玉突場などを設置したりして、積極的に話題作りを行います。

妓楼の建築様式も従来の和風建築だけではなく、洋風モダンな建物やアールデコのこってりした装飾が施された建物が混在していた様です。 洋風建築が広く認知され始めた大正期という時代背景もあったんでしょうね。

(左)御園楼 (右)旭楼

このモダン遊郭としてのイメージ戦略が当たり、貸座敷7軒、娼妓30人で開業した飛田遊郭も、大正9年には貸座敷が120軒に、昭和7年になると貸座敷240軒・娼妓が3,200人と、瞬く間に松島遊郭や東京の吉原と肩を並べる遊郭にのし上がりました。

飛田新地は、昭和33年の売春防止法施行以後は料亭街とされていますが、現在も往時の雰囲気を色濃く残す現役の “色街” です。

築100年の遊郭建築 “鯛よし百番”


赤毛氈あかもうせんが敷かれた玄関ホールと虎の屏風びょうぶ

「鯛よし百番」は飛田遊郭が興隆した大正末期に建てられ、飛田遊郭 開業後100年の歴史を見てきた元妓楼建築です。

遊郭当時の面影をそのままに、現在は予約制の料亭として営業されています。 元妓楼の転業旅館は日本に幾つか現存していますが、これほどの大店おおだなの妓楼が料亭として現在まで存続しているというのは、日本でも「百番」だけではないでしょうか。


天神祭の様子が描かれた南東階段

この建物の竣工は大正末期頃と推測されていますが、正確な記録は残っていません。 また、創建時の設計者や施工業者も不明ですが、現在のド派手な建築意匠は、戦後に 菊池三郎氏(当時の所有者)が大改築を行なって完成させたもの。

ある種、大阪人好みがしそうなコテコテの建築装飾は、明らかに今までに見てきた遊郭建築とは一線を画していた。

“顔見世の間” から “日光の間” へ


顔見世の間

唐破風からはふに「百番」の文字が彫られた玄関を潜るとすぐに、“顔見世の間” と呼ばれる部屋がある。 石組の上に廻廊を模した手摺を巡らせ、「松に白鷹」の襖絵が飾られています。 襖絵の損傷が激しいのが少し残念。

百番が建てられる以前の大正初期の頃には遊女の顔見世は禁止になっているので、ここで顔見世を行ったのではなく、遊女達の写真を並べたのではないか? と言われている様です。 今で言う、風俗店のパネル写真の様なものですね。


ロビーと陽明門

赤毛氈に沿ってロビーまで進むと、温泉宿でよく見かける肘掛付きのソファーがずらっと並び、奥には遊客用として使われたという階段が見える。親柱には三條大橋、三條小橋の文字が彫られていて柱頭には玉葱型の擬宝珠ぎぼしが座っています。


陽明門

ソファーの向かいに鎮座する “陽明門” は日光東照宮を模して造られたもの。細部に渡ってなかなか凝った装飾が施されています。


日光の間

陽明門の内側に “日光の間” と呼ばれる豪華な待合室があり、一層むっくりとした応接セットが置かれている。正面の金地の壁には天女が舞い、天井には禅寺法堂の天井によく見られる龍画が描かれています。

陽明門と日光の間

何とも言い難い派手な空間ですが、精一杯、日光東照宮を模して煌びやかさを演出しようとした、当時の大工棟梁の努力の痕跡が微笑ましくも思えた。

いやいや、娼妓と過ごす時間をそわそわと待つ男どもの気持ちをより高揚させる演出としては、これぐらい金ピカな設えが丁度よかったのかも知れない。

“太鼓橋” を渡って “桃山殿” へ

太鼓橋と一階廊下

一階には百番で最も大きく豪華に設えた “桃山殿” という三間続きの大広間があります。 一等客間という位置付けからなのか、広間までの導入アプローチも凝った仕様になっている。

中庭を横目にしながら、住吉大社の住吉反橋を模した太鼓橋を渡り、船底天井の廊下を通って桃山殿へと進みます。


桃山殿「紫苑殿・鳳凰」

桃山殿は「牡丹」「鳳凰」「紫苑殿」の三つの間で構成されています。各部屋各所に部屋名にちなんだ装飾が施されるこの大広間は、遊郭当時、主に遊女たちを相手とした大尽遊びに使用されたとの事。


桃山殿「牡丹」

桃山文化時代の建築意匠で仕上げられた桃山殿を「豪華絢爛ごうかけんらんたる安普請やすぶしん」と評した専門家がいるそうですが、なかなか言い得て妙だな… と思えた。 この、凝ってはいるけど、なんちゃって感が零れ出ているところが、ある種、百番の魅力なのかもしれない。

中庭を囲む “廻廊” と 遊女の“小部屋”


中庭

階段を登って二階に上がると床の絨毯が紫色に変わり、しっとりとした雰囲気も感じられる。 吹き抜けの中庭を囲んだ廻廊式になっていて、廻廊に沿って東海道五十三次など物語性のある15の小部屋が並びます。


休憩室

二階廊下や階段の壁面も例に漏れず賑やかで、東海道の宿場町、富士山を望む松原、天神祭に興じる桃太郎などが描かれています。

二階廻廊

由良の間、お祭り佐七の間、紫式部の間、宮島の間などと名付けられた二階の貸席の各部屋は、一夜の旅を擬似体験する装置としての演出がなされており、全て異なったコンセプトの設えになっています。


喜多八の間

部屋に船の設えある “喜多八の間” は人気の部屋のひとつで、東海道中膝栗毛の主人公、弥次さん喜多さんにちなんで名付けられたのだとか。舟をモチーフにして非日常性の演出を狙ったのであろう。

小部屋で寄せ鍋を喰らう

二階 「鈴」

僕は今回 “鈴” という部屋に通していただいた。 同行者と2名だったので小さな部屋ではありましたが、床の間の設えや格天井などは凝った造り込みがされていました。 窓から溢れる赤提灯あかちょうちんの灯が何とも淫靡に思えた。

美味しく寄せ鍋を頂いて、いつか全ての部屋を巡ってみたいな・・・ という気持ちで帰路についた。

まとめ

鯛よし百番は、2,000年に国の登録有形文化財に指定された大阪が誇る歴史的建造物のひとつです。 第二次世界大戦で飛田遊郭内の多くの建物が焼失する中、百番は戦禍を免れたという。

100年という経年劣化はあるものの、大正ロマンの残り香が今も漂っています。また、鯛よし百番は、完全予約性ですが京都の高級料亭のように一見さんお断りという店ではなく、鍋料理のメニューはかなりリーズナブルな料金で頂くことが出来ます。

大阪を代表する気宇壮大な遊郭建築が、これからも長く保存利用される事を期待している。

参考文献:飛田百番「遊郭の残照」



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