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蘇れ ! 京都旧花街のシンボル「五条会館」 築100年の大歌舞練場

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S.L
京都 五条会館へ !

五條會館歌舞練場

花街かがい とは舞妓まいこ芸妓げいこがお客様に芸を披露したり、お座敷遊びなどをする “お茶屋” や、舞妓・芸妓を派遣する “置屋” などが集結する街のこと。京都には現在も “祇園ぎおん甲部・祇園東・先斗町ぽんとちょう・宮川町・上七軒” の五つの花街が存在し、称して “五花街” と呼ばれています。



What’s “歌舞練場” ?

花街を形成するうえでは欠かせない要素の一つが 歌舞練場かぶれんじょう という建築物の存在。それは、芸妓や舞妓が客前で披露する歌舞音曲を練習したり、時には磨いた芸を公の場で発表する晴れ舞台でもある。勿論、京の五花街にも歌舞練場がそれぞれ建てられています。

歌舞練場で行われる舞踊公演では、祇園甲部の “都をどり” や、先斗町の “鴨川をどり” が有名ですよね。


先斗町歌舞練場

その一方で、京都には時代の流れのなかで姿を消していった花街や歌舞練場が幾つか存在します。 吉野太夫を有し、幕末・明治期に最も栄えた高級花街 “島原” 。島原遊郭にも歌舞練場がありましたが、花街としての衰退と共に解体されてしまいました。

他にも、五番町や二条新地、伏見の中書島ちゅうしょじま撞木町しゅもくちょうなど、往時に賑わいをみせた花街が京都には数多くありましたが、100年近くの時を経て、今やそのほとんどは、往時を彷彿させる建築や花街としての面影は残しておらず、普通の住宅街へと姿を変えています。

京都最大の旧花街に建つ歌舞練場


五條會館歌舞練場

京都市内中心部につい近年まで花街としての賑わいを見せていた場所があります。

菊浜地区と呼ばれるその界隈は、五条大橋の南側、鴨川と寄り添う様に流れる高瀬川を中心に、五条通から七条通に至るエリアを指します。 江戸初期に木材などの運搬を目的に開削された高瀬川は、開通以後、伏見や大阪を結ぶ交通の要衝となりました。


高瀬川の曳船

まちの発展に伴い、高瀬川を行き来する人々に向けた複数の遊里ゆうりが自然発生的に形成されてゆきます。やがてそれらが一つになって出来た一大花街を “七条新地” という。 昭和33年以降、近年までは “五条楽園” の名で賑わいを見せた花街でした。

幕末期や明治期には京都で最大の花街として繁栄し、大正初期においては遊客数の数は祇園を大きく上回ったという。芸妓より娼妓しょうぎが多かったと言われる遊里ですが、花街の象徴である歌舞練場が、現在もまちの中心部に威風堂々とした佇まいで建っている。

またこの界隈は、静かな住宅街のなかに花街の名残を持ったお茶屋建築が数多く残り、独特の風情が漂う京のまちでもある。

築100年の “木造大建築”

五条会館(五條會館歌舞練場) は1917年(大正6年)に建てられた 伝統的木造建造物。 三階建てにして延べ床面積240坪(約800㎡)の大建築は、付近の住宅と比較すると良くわかるのですが、なんせスケール感が半端じゃなくデカイ。

建物自体に築100年の古さや老朽化は見られるものの、使用されている材料の質が非常に良く、また当時の建築には寺社などを手掛けていた大工が携わったとの事で、内外部共に驚くほど歪みが少ない。

花街当時は地域の検番(事務局)としての機能のほかに “お茶屋組合” と “置屋組合” が入り、1980年頃までは、まさに菊浜地区の中心的な存在の建物だったという。

五條會館歌舞練場 「二階 演舞場」

一階に組合事務所、三階に御稽古場や倉庫が配置されているのですが、圧巻なのは二階に設けられた大空間の演舞場。 歌舞音曲を披露する為の劇場の広さは約60畳もあり、大勢の観客が収容できる設えとなっている。

緞帳どんちょうや舞台演出の照明などは長年使用されていなかったせいか、現在は機能しないものもある様ですが、建築意匠の保存状態はかなり良く、薄暗い室内に、舞台の両袖に吊るされた赤提灯ちょうちんに灯りがつくと往年を偲ばせる妖艶な雰囲気がその空間を染めた。

五條會館歌舞練場 「二階 演舞場」

“五条会館” 再生プロジェクトの始まり

歌舞練場としての役目を終え、長年の間、使用されず老朽化が目立ち始めた五条会館。 同建物はやがて入札物件となり、五条会館の命運は落札者の意向に委ねられる形となった。


五條會館歌舞練場 「三階 御稽古場」

2018年、五条会館を落札のうえ買い取ったのは、全国で住宅再生事業をメインに手掛ける大手リノべーション会社。

同社は少子高齢化などの時代背景により、今後、市場規模が小さくなる事が予想される住宅関連事業だけではなく、近い将来も見越した不動産再生活用事業なども多く手掛けている。そう、この会社が五条会館の保存再生に名乗りをあげたのです。

五条会館の保存再生事業における同社プロジェクトリーダーは「高瀬川が流れる静かな旧花街の街並みと、100年の間、この街と共に栄枯盛衰の歴史を刻んできた唯一無二の建築に大きな可能性を見出し、入札物件となっていた五条会館を僅差で落札した。」と語る。

ちなみに、同社以外の入札業者は五条会館を解体し、同地にマンションを建設する計画だったという。

この度、五条会館を撮影取材をさせて頂いた2019年6月には、当館のコンバージョン(用途変更)の方向性は、未だ試行錯誤の段階中との事でしたが、安易に宿泊施設(ホテル)とするだけではなく、多くの可能性を視野に入れながら再生改修の計画を進めてゆきたいとの事であった。

…とは言うものの、築後100年以上経過した延べ床240坪もの木造建築において「耐震」「防火」等の性能を現行法規に沿う形で向上させながら再生改修を行うには、多くの懸案事項があり、また莫大なコストが掛かる事は容易に想像出来る。

古建築の保存改修の難しさが同じ建築屋として分かるだけに、「世の中には凄い事をやる会社があるもんだ」と、感動さえ覚えた。

五條會館歌舞練場 「一階 組合事務所」

同じ建築業に携わる人間として、そしてこの街のファンの一人として、類まれなる大建築が、いつの日か菊浜地区の中心として再び輝きを取り戻し、新たな京都のランドマークとして蘇る事を心から楽しみにしている。

あとがき

余談となりますが、五条会館に使われてる “瓦” や “ふすまの取手” などの建築ディテールに「たつみ」の文字が刻まれている意味を教えて頂いた。

巽とは八卦で南東を示す方角のこと。五条会館が位置する菊浜界隈は、五花街のひとつ “上七軒” の真盛町から茶屋株を分けてもらって六条新地としてくるわが始まったとされており、上七軒の方角から南東にあたるため、「巽」の文字がシンボルとされているとの事です。


京都花街 「上七軒」

いやはや、京都という懐の深いまちは、花街の建築ディテールにも深い意味があるものです。



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今回行った場所

五条会館(五條會館歌舞練場)

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