京都橋本「多津美旅館」
“京街道” とは、もともと大阪と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、二つの城を最短で繋ぐために淀川左岸を整備した軍事道路の事。
江戸時代には幕府公用の主要道路として本格的に整備が行われ、大阪の高麗橋を起点とし淀川に沿って続く京街道には、守口宿、枚方宿、淀宿、伏見宿と、4つの宿場が設けられます。
“橋本” は、江戸時代に枚方宿と淀宿の間に設けられた 間の宿 で、往時は 遊里 として賑わいをみせたまち。 橋本には対岸の山崎とを結ぶ渡し場があり、交通の要所であった事から、幕末期には勤王志士や新選組隊士などもよく足を運んだといわれています。
京都名所之内 淀川「歌川広重」
江戸時代にもたいそうな賑わいをみせた 橋本遊郭 ですが、幕末期、旧幕府軍と新政府軍が激戦を重ねた戊辰戦争の「鳥羽伏見の戦い」により一度は遊郭も焼失します。
しかし、20年余りの時を経て、明治中期に入ると再び橋本の地に遊里が形成され、二度目の繁栄期を迎える事になります。
昭和の色街跡を歩く
明治時代に再建された橋本遊郭は、京阪鉄道の開通もあり昭和初期には最盛期を迎えます。 当時の橋本は、夕方を過ぎると狭い道に人の川が出来て、肩がぶつかりあうほどの賑わいだったといいます。
昭和5年発行の「全国遊郭案内」に当時の橋本遊郭の光景がこう記されている…
淀川、桂川、宇治川の三川の合流に沿っているので風景もよく、夏は涼しく、多数の網船が出漁して、夜間は不夜城、川岸に絃歌のさんざめく辺りは実に別世界の感じがある。
現在、淀川べりの土手から見下ろす橋本の町並みに、当時の活気は勿論ありませんが、遊里として興隆した頃はずいぶんと煌びやかな景色だったのだろうと思う。
昭和初期の最盛期には80を超える妓楼が軒を連ね、娼妓や芸妓も500人近くは居たという橋本遊郭。
戦後の売春防止法施行後は、色街としての賑わいは急速に無くなり現在に至るのですが、まちなかには現在も当時の面影を残す建築が意外と残っています。
遊郭時代の妓楼建築
まち全体としてはとても静かな印象ですが、廃屋となった建物や更地も多く見られます。遊郭時代に娼妓が色恋を売ったであろう妓楼建築は、現在も住居として使われているものが多い。
橋本遊郭跡のまちなみ
まちに残る遊郭建築遺構に目を凝らして見てみると、当時を彷彿させる装飾が施されたものがチラホラと見られる。 豪華な透かし彫りや色賑やかなタイルなど、建築ディテールを見ているだけでなかなか楽しめる。
橋本遊郭跡の建築装飾
赤線の灯火が消えて60年余年、淀川沿いの京街道に多く残った遊郭建築も、2018年に連続して起こった地震と台風といった自然災害の影響もあり、一気に減少した様に思います。
さて、橋本遊郭跡のメインストリートに唯一残る、一軒の旅館へと足を運びます。
橋本遊郭跡に残る一軒宿
日本では、明治33年に発布された “娼妓取締規則” によって全国統一の公娼制度が完成します。いわゆる “遊郭” は法令上の正式名称として「貸座敷免許地」と呼ばれ、遊女がいる “妓楼” は「貸座敷」とされます。 橋本遊郭の殆どは貸座敷で占められていた様です。
橋本「多津美旅館」
終戦を経て1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されると、廃業に追い込まれた貸座敷も多かったのですが、旅館業に転じる業者もいました。 多津美旅館も遊郭を前身とする “転業旅館” のひとつになり、元々は “いろは楼” という屋号だったという。
ステンドグラスと泰山タイル
多津美旅館で特筆すべきは、一階部分に散りばめられた遊郭時代の装飾の数々。やや色褪せた感は否めませんが、それがまた哀愁の様なものを感じさせる。
玄関の引き違い戸をガラガラと開けると、びっしりと 泰山タイル が敷き詰められた土間、アールデコ調の照明を左右に配したアーチ、そして紳士淑女が踊る様子を描いたステンドグラスが迎えてくれる。
泰山タイルとは 池田泰山 率いる、京都の「泰山製陶所」が大正から昭和にかけて製作した装飾タイルの事。しかし、島原の「きんせ旅館」もそうだが、泰山タイルとステンドグラスは本当に相性がいい。
橋本「多津美旅館」
泰山タイルは関西圏を中心とした、有名な近代建築にも多く使われていますが、お膝元の京都では格式ばった建築だけではなく、“島原” や “五条楽園”、“先斗町歌舞練場” などの花街の建築にもよく用いられています。
泰山タイルの装飾美と、花街の持つ華やかなイメージがよく似合ったのだと思う。 ちなみに、多津美旅館で使用されているタイルと同じものが、東京白金に残る皇族の館、旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)にも使われています。
玄関ホールのステンドグラスに「踊る男女」がモチーフとされているのは、どうやら昭和の頃、一階にダンスホールがあったことに由来している様です。
玄関口のアーチがダンスホールへの入口だったといいます。 アーチの意匠が火灯窓の様にも見えるが、デザインの意図はよくわからない。
アーチを潜ると、現在は食堂として使われている奥の旧ダンスホールまで繋がっていた様です。客人はこのダンスホールで気に入った女性を選び、ダンスを踊った後に、二階の部屋で束の間の色恋を楽しんたのだとか。
橋本「多津美旅館」旧ダンスホール
奥の旧ダンスホール(現食堂)にも、色っぽい女性がモチーフとなったステンドグラスが残されています。 床はクッションフロアーでリフォームされていますが、もしかすると、フロアーシートを剥がせば鮮やかなタイルが敷き詰められているかも分かりませんね。
遊郭から温泉旅館へ
一階は和洋折衷感がある意匠ですが、キシギシと鳴く急勾配の階段を登ると、二階は純和風の設えになっています。 階段口と廊下は板張りとなっていて、畳敷きの小間が数部屋並んでいる。
橋本「多津美旅館」二階 廊下・客間
多津美旅館は、かつて「本通り」と呼ばれた橋本遊郭の目抜き通りに面して建っているのですが、現在は目立つ看板や暖簾などは掲げられておらず、一見、旅館とは気付かない。
目印に「淀川温泉 旅館多津美 お泊りお一人様3000 休憩3000より」と書かれた、小さな看板が軒先に掛けられている。
売春防止法の施行後、遊郭廃止となった橋本は、“淀川温泉” の名称で温泉地の道を模索し、その後、数軒の温泉旅館が出来たのだとか。 しかし、冷泉しか出なかった事と、集客がうまくいかなかった事を理由に解散し、現在は多津美旅館以外の宿屋はもうありません。
階段を登ってすぐの二間続きの和室は、昭和レトロ感が漂う部屋で、陽当たりも良くとても居心地の良い空間だった。
橋本「多津美旅館」二階客間
遊郭の大部屋は、上客やお得意様向けとされる事が多かった様ですが、当時、この部屋でどの様な物語があったのだろうか… などと思いながらシャッターを切らせて貰った。
老舗食堂「矢尾力」
橋本駅降りてすぐの「やをりき」は大正時代から続く老舗食堂。 橋本遊郭の歴史と共に歩み、その栄枯盛衰を見てきた店なのだろう。いまも古くからの常連さんが通うという。僕が店に伺った時にも、地元のレトロなおばちゃんたちが話に花を咲かせていた。
老舗食堂「やをりき」
かつて、やをりき の二階はダンスホールを持ったカフェーだったという事です。 この店の看板メニューであるオムライスを美味しく頂いて、橋本のまちを後にした。
あとがき
鬼龍院花子の生涯
橋本遊郭は、故夏目雅子さんが主演された名作「鬼龍院花子の生涯」のロケ地として使われた事でも有名です。街並みの描写はありませんが、昭和初期の妓楼風情がとてもよく伝わります。
遊郭や赤線といえば「混沌とした時代が作った闇」という様などこか暗いイメージがあったり、そこに住む地元住民にとって、遊郭跡という過去は負の遺産であるとの意識を持つ方も多い様です。
江戸時代から近代にかけて二度も興隆した希少な遊郭跡として、また往時の面影を色濃く残す町として、大阪と京都の県境「橋本」の色街風情がもう少し長く残ってくれる事を個人的に願うばかりである。
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今回行った場所
多津美旅館
矢尾力食堂