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京都

「酬恩庵一休寺」一休さんが愛したお寺で、一寸ひと休み

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S.L
一休さん !

とんちで有名な、くりくり坊主頭の一休さんが実在の人物なのは有名な話ですよね。

一休さんのモデルとなったのは、足利時代から応仁の乱を生きぬいた “一休宗純そうじゅん という臨済宗大徳寺派の僧侶。 京都の大徳寺を中心に、新しい日本の禅文化を確立した傑僧として600年以上 語り継がれて来た人物です。

その一休さんが、63歳からの晩年、88歳で人生に幕を閉じるまでの25年間を過ごしたのが 酬恩庵しゅうおんあん という古刹こさつ。こちらのお寺は一休禅師のゆかりにちなんで “一休寺” とも呼ばれています。

酬恩庵一休寺があるのは京都府南部の京田辺市。 京都市の中心部からは遠く離れているので、市内の観光スポットの様な喧騒はなく静かな時間を過ごす事が出来ます。 なかでも新緑の青もみじと秋の紅葉は別格の風情を楽しめます。

今回はそれぞれの季節に撮らせて貰った写真とあわせて、酬恩庵と一休さんについて綴っておきたい。




色づく参道と一休さんのこと

“酬恩庵” と深く刻まれた石標を横目に総門をくぐると、敷石造の緩やかな傾斜路が延び、左手にはモミジ、白萩、紅萩の植え込みが続きます。 新緑の季節にはそれらが清々しい青もみじのトンネルをつくる。

新緑の一休寺参道

小登りの参道をゆくと、一休さんが植えたという三本杉が見えてきます。参道を右に折れると一休さんの墓所(一休禅師廟)があり、門扉には菊の透し彫りが刻まれている。どうやらここは宮内庁の管轄下の様で、門扉に菊花の紋があるのもそのためだとか。

一休禅師廟を過ぎると細い石畳のアプローチが一直線に続くのですが、こちらの趣きが何ともよい。楓樹が小径に覆い被さり、新緑の季節には重なる緑の隙間から心地よい光が溢れ、紅葉時期には、苔の緑ともみじがしっとりとした雰囲気をつくります。

600年前、これに近しい情景を一休さんも見たのかも・・・ と思うと歴史情緒も感じる。

ちなみに一休さんといえば、親しみやすくて大人の世間の虚構のからくりを “とんち” であばく可愛い小僧というイメージがありますが、それは後世の江戸時代の作り話で、実際はとんでもない破戒僧だったみたいですね。

天皇の血を引いていると言われる一休ですが、権力が大嫌いな人間で、女色も男色も欲しいままにし、肉を喰らい酒を飲み、権力者を鋭く批判するなど、仏教でタブーとされている行動の限りを尽くし、当時の腐敗した僧界に一石を投じたといいます。

一休本人の著書「狂雲集」では、自身の変人っぷりを伺わせるエピソードや、多くの奇行を語られていて、そのぶっとんだ世界感を感じることができます。

傾奇者による方丈と名勝庭園

一休禅師廟を通り過ぎて、苔美しい石径を進むと、右手に方丈への門があらわれます。方丈とは禅宗寺院における居間の様なところ。

現在見られる酬恩庵の方丈は、1650年(慶安3年)江戸時代に、加賀百万石と謳われた北陸の大藩 “加賀藩三代目藩主 前田利常” の寄付によって再建されたもの。一休さんは1481年にお亡くなりになられているので、没後169年後の再建ですね。

前田利常が「大坂夏の陣」の時、大坂に向かう途中、一休寺をお参りしたところ、一休和尚が書き残した数々の「おきて」を見てたいそう感心し、尊敬の念を抱くと共に寺があまりに荒れ果ててしまっている事をなげいて、酬恩庵の再興に乗り出したとの事。

面白いのが、この前田利常もかなりの変人で、わざと鼻毛を伸ばして江戸城にのぼった「鼻毛大名」の異名を持つ傾奇者。 うーん、同じ変人として何かリスペクトされるものがあったのだろうか ?


方丈南庭

方丈の縁側に腰掛けて眺める庭園の趣もなかなかのもの。こちらの方丈庭園は江戸時代初期の代表的な庭として国の名勝に指定されています。

室町時代生まれの “本堂” とその愉快な仲間たち

方丈と方丈庭園でまったりとした後は、再び参道へと戻り本堂へと向う。

入母屋造、桧皮葺の本堂は1429~41年の永享年間に、室町幕府の “六代目将軍 足利義教の帰依によって建てられたというからかなり古い建築ですね。 こちらの本堂は、新緑、紅葉時期共に美しい佇まいを見せていました。

本堂と参道

本堂のさらに奥の方には開山堂・宝物殿が建っています。このあたりは一休寺の前身である妙勝寺の旧跡にあたるところ。 今は二十世紀の森と呼ばれる場所があり、一休さんの石造や表情豊かな羅漢らかんさんたちがまわりの景色に溶け込んで、何ともフォトジェニック。

羅漢像というのは釈迦の高弟たちの石仏の事で、こちらの羅漢さんは地元の方々や、お寺の信者さんたちが思い思いに掘ったものだそうです。

リメンバー“一休咄”

子供の頃、テレビにくぎ付けになって観たアニメの一休さん。 話の数々は江戸時代前期に生まれた 一休咄いっきゅうばなし が原作になっています。

一休の幼少のころのとんちばなしに始まって、新右衛門さんとの交遊などが綴られた46話の物語。どうやら作者は不詳の様です。折角なので懐かしの一休咄をひとつ・・・

「追い出せぬは、つかまえられぬ」

一休が和尚のお供で将軍義満の許へ伺った折、一休を試すため、将軍は「衝立ついたての虎が、毎晩抜け出してあばれるので困っておる。これを縛ってこらしめてくれ」と言った。

一休は鉢巻を締め、縄を借りて衝立の前に立つと、「さあ、用意はできました。将軍様、それではこの虎を追い出してくださいませ」と大声をあげた。

「な、なにを言うか、絵に描いた虎が追い出せるかっ!」と慌てる将軍。そこで一休は「追い出せぬものなら、つかまえることもできませぬ」と答え、さすがの将軍も一本とられたという。

一休さんが伝えた “一休寺納豆”

一休禅師が酬恩庵で製法を考案し、世に広めたとされる一休寺納豆。現在もこのお寺で作られ、酬恩庵の庫裏くりで販売されています。

納豆というと、糸を引く粘り気がある糸引納豆が一般的ですが、この一休寺納豆は粘りのない “塩辛納豆” です。そもそも、糸引納豆が登場したのは中世以降のことで、元来の納豆は塩辛納豆のことを指し、調味料の一種、また保存食として重宝されてきました。

塩気がきいていて、噛むほどに香ばしい味わいが楽しめるこの一休寺納豆。その製法は代々の住職に伝えられ、材料や製法などは500年前とほとんど変わらないという。かなり塩辛く癖もあるいが、酒の肴にはちょうど良い逸品です。

あとがき

新緑と紅葉のそれぞれの季節に酬恩庵へ足を運びました。 紅葉時期の朝、しっとりと濡れた苔と真っ赤なもみじがつくる美しい色彩。 生命感溢れ、辺り一面を埋め尽くす新緑の緑。どちらも非常に心地よいひと時でした。

日々の忙しさに疲れたら、のんびりとした時間を京の古刹で過ごしてみるのは如何でしょうか?

あわてない慌てない、ひとやすみ一休み。。



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今回行った場所

酬恩庵一休寺 公式ホームページ

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