ひがし茶屋街 重要文化財「志摩」
戦国武将、前田利家によって開かれた加賀百万石の金沢。
江戸時代、金沢を中心とした加賀藩は日本最大の石高を誇り、江戸や京都と肩を並べるほどの繁栄ぶりを見せた。今も尚、藩政時代から積み上げてきた数々の伝統や栄華の断片が、各所でキラリと魅力を放っている。
そんな往時の加賀文化のなかで、二大娯楽とされてきたのが「芝居」と「茶屋」だ。
加賀百万石、今も残る三つの茶屋街
ひがし茶屋街
石畳の通りに木虫籠の町家が整然と並ぶ金沢随一の観光スポット ひがし茶屋街 は、江戸時代後期の文政三年、加賀藩によって点在していた茶屋が集められ、公許の遊郭としたもの。
川沿いに点在していた茶屋は、おおきく「東廓」と「西廓」にまとめられ、其々が現在の「ひがし茶屋街」と「にし茶屋街」にあたる。金沢は戦災にあわなかったことから、これらの茶屋建築が藩政時代の情緒と共に今もそのまま遺されている。
往時の「廓」とは現代でいう歓楽街のようなもの。団子を頬張る茶店があり、芸妓が伎芸を演じる茶屋があれば、娼妓が色恋を売る妓楼もあり、多様な店が軒を並べて遊興の場として大いに賑わいをみせていた。
にし茶屋街
ひがしと時を同じくして生まれた にし茶屋街 は、かつて加賀藩の藩士らも通ったという茶屋街だ。「にしの新地」とも呼ばれ、かつては娼妓の多い歓楽街としても賑わったが、戦後は遊郭の廃止とともに茶屋街に変わったという。
にし茶屋街 は、今も営業を続ける金沢の茶屋街において最大の芸妓が在籍する。戦前には113軒もの貸座敷や揚屋、待合茶屋が建ち並んでいたそうだ。
主計町茶屋街
ひがし、にし茶屋街と並ぶ金沢三茶屋街のひとつが 主計町茶屋街 。浅野川沿いに昔ながらの風情ある料理屋や茶屋が立ち並ぶ風景は、どこか、京都の木屋町や先斗町あたりを彷彿させる。
かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通ったとされる主計街は、昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」や、作家・五木寛之氏が命名した「あかり坂」などの趣のある町並みに出会える場所として多くの観光客が訪れる。
主計町茶屋街
金沢に残る三大茶屋は、往時の封建的制度の下で花開いた文化として、また町方に許された娯楽、社交の場として、歴史を受け継ぎながら今も営業を続けている。
それぞれの茶屋街からは、宵が迫る頃になると三味線や笛、太鼓の音色が聞こえてくる。
ひがし茶屋街「志摩」
金沢の三茶屋街のなかでも、最も格式が高いとされてきた ひがし茶屋街 には、往時の煌びやかな茶屋文化がそのまま美しく保存されている建築が数軒遺されている。
重要文化財の「志摩」は文政三年、東廓の創設当初に建てられた茶屋建築である。日本の花街建築で重文に指定されているのは、京都島原の角屋と金沢の志摩の二軒だけとされる。
茶屋建築は揚屋と同様に、二階を客間とするスタイルのため、二階部分を高くつくり、通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴である。
一・二階の座敷廻りには要所に「面皮柱」と呼ばれる丸太の肌を残した柱を用い、漆にて全体に濃い色づけを施し、弁柄色の土壁や具象的な図案の金物等で、独特の瀟洒で華やかな空間を演出している。
茶屋遊びの粋
茶屋遊びは、限られた空間と時間の中で繰り広げられる非日常の世界である。
お茶屋を訪れる客たちは、日常の暮らしとはかけ離れた華やかな空間に引き込まれることになる。弁柄格子の内部は格調の高い、洒落た遊び心を合わせ持った贅沢なつくり。その粋なしつらいと共に客を艶やかな世界へと誘うのである。
そして、そこに居合わす客と芸妓がひとときの時空間を共有する。 もてなす側ともてなされる側がともに芸に興じてこそ、茶屋遊びの「粋」は成り立つ。
芸妓は茶屋という非現実的な空間に生きる存在である。
歌舞音曲の類はもちろんのこと、装いや小物選び、指先のふとしたしぐさにも気を配り、全身であでやかな美や粋を表現する。時節のうつろいに合わせて客の心を満たす幅広い教養も必要とされる。
客は贅を尽くした空間に遊ぶ、芸と美の後援者でもある。客の側にも芸を解する力量が問われ、旦那衆は茶屋通いのために自ら稽古事をする。芸をたしなみ、洒脱な心がなければ、芸妓が捧げる優雅で粋な場面を楽しめるはずもなく、「野暮」とされる。
最上の客とされるのは芸妓を楽しませるほどの懐の広さを持った者であり、最高の芸妓とは客に我を忘れさせる術を身につけた者のことを言う。
茶屋遊びのために、旦那衆は労を惜しまず、芸妓はそれに応えて自分を磨き続ける。 ひがしの茶屋文化は、「粋」を至上とする芸妓たちと旦那衆によって守られてきたのである。
「一見さんお断り」の伝統を受け継ぐ重要文化財 志摩 には、そんな茶屋文化の世界観が満ち溢れていた。
ひがし茶屋街「旧中や」
「旧中や」は志摩と同じく、幕末の文政三年に創立された茶屋建築で、現在は「お茶屋美術館」の名前で往時の茶屋文化を今に伝えている。
外部の格子は目の細かい木虫籠で、腰には越前石が用いられ二階の雨戸・玄間の大戸を含む全てが弁柄仕上げとなっている。
内部も往時の間取りを忠実に残し、優雅なお茶屋の造りとなっている。
こちらの茶屋も例に漏れず二階を客間とし、遊芸を主体とするため開放的で押入や物入れ等がなく、座敷には弁柄の朱色や鮮やかな群青色の壁が塗られ、優美で繊細なお茶屋特有の粋な造りになっている。
一階には金・銀・珊瑚を贅沢に施した髪飾り、加賀蒔絵・加賀象嵌・九谷焼などの優美な道具類が多数展示されており、江戸時代の町人文化の栄華を垣間みることが出来る。
撮影協力:「志摩」「お茶屋美術館」
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今回行った場所
志摩 公式HP
お茶屋美術館(旧中や) 公式HP