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江戸時代のまち歩き「富田林 寺内町」旧杉山家と旧田中家を訪ねて

投稿日:2018-01-03 更新日:

Hamzo
じないまち!

大阪市内から近鉄電車に乗って30分。大阪府の富田林市に戦国から江戸時代にかけて、まちづくりが行われた「寺内町」という小さなまちがあるのをご存知でしょうか?

富田林駅から歩くこと約10分。そこには江戸時代から昭和初期までに建てられた古民家や商家、お寺などが幾棟も立ち並び、まるで江戸時代にタイムスリップしたか?時代劇のセットか?って思うぐらいの古い町並みが広がっています。

歴史好きにはたまらないロケーションの富田林寺内町。

大阪府下では唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地区で、立ち並ぶ古い民家の多くには、現在も地元の方々が住み継がれておられます。

往時を偲ばせる歴史ある町並みをカメラ片手にのんびり散歩しながら、旧家を訪ねてきました!

じないまち散歩

寺内町の誕生は戦国時代の元禄初年頃(1560年頃)と言われています。

1560年といえば、尾張の領主 織田信長が、駿河・遠江・三河の領主 今川義元の10倍に余る大軍を打ち破り、信長台頭のきっかけとなった「桶狭間の戦」があった頃。ずいぶん昔に出来た町なんですね。

興正寺別院と城之門筋|日本の道百選

京都市下京区の興正寺(こうしょうじ)の証秀(しゅうしょう)上人が、後で紹介する「杉山家」ら8人からなる八人衆と共に興正寺別院や屋敷を建てたことから寺内町の歴史がはじまります。

京都から高野山へ南北に通る旧参詣道「東高野街道」と東西に通る「富田林街道」が交わる陸運、そして近くを流れる「石川」の水運に恵まれ、多くの商人や職人が集まり、江戸~明治期には南河内随一の商業の町として栄えました。

背割下水と寺内町の建築様式

「旧家の生きた博物館」とも言える寺内町は、建築屋の端くれの僕にとってワクワクする見所が満載。

もともと宗教自治都市として生まれた寺内町が、次第に商業の町として栄えた名残だと思うのですが、今も残る町家の多くのものが、碁盤状に町割された街路に対して正面を向いて建っています。そして道路の数ヶ所に「背割水路」の目印が記されています。

秀吉マニアの方はよくご存知かと思うのですが、背割下水(水路)とは豊臣秀吉が大阪城築城と共に行った城下町のまちづくりの際に導入したインフラ整備の事で、太閤下水とも言われてます。

簡単に言うと排水溝や下水溝の事なのですが、町屋から排出される下水を衛生的かつ効率よく排除するために工夫されています。絵にするとこんな感じ。

生活や商いの場である「通り(メインストリート)」には生活排水を流さずに、それぞれ背中合わせになった町屋の背面に流すという先駆的なまちづくりのアイディアで、大阪市内では現在でも中央区、西区などで約20kmが使用されています。

寺内町の背割下水も現役でバンバン使われている様です。

また、寺内町に立ち並ぶ旧家には、往時に育まれた建築様式がたくさん見られます。

京町家によく見られる虫籠窓や、かまどや囲炉裏から出る煙を屋外に排出するために作られた煙だし越屋根、防犯アイテムの忍返しに、魔除けの鬼瓦など、建築ディテールを眺めているだけで楽しくなります。

じないまちの町屋みせ

歴史情緒あふれる通りを歩いていると、時折、古民家の屋根の向こう側からPLの塔がひょっこり頭を覗かせるのも面白い寺内町。

PLの塔と寺内町

日本の長い歴史と伝統のもと培われてきた地域の文化遺産を、未来に引き継いでいくために、京都などでは伝統的な町家の再生・活用が早くから行われていますよね。

観光地としてはまだマイナーな寺内町ですが、まちを歩いていると、古い町屋の外観や趣はそのままにしたお店がちらほらと見られ、店先のサインや装飾たちが通りに彩を与えています。

イタリアンレストランや町屋カフェ、手作り陶器や木製家具など伝統的工芸品の工房から、こだわり雑貨店に自家製パン屋さんやお蕎麦屋さんなどなど・・・

今回は立ち寄ることが出来なかったけど、次回はショップめぐりなんぞしてみたいと思います。

さて、まち散策はこれぐらいにして、お目当ての旧家を訪ねてみたいと思います!

旧杉山家住宅

杉山家は寺内町創設からの旧家で、江戸時代を通じて、先述した「八人衆」のひとりとして町の経営に携わってきました。江戸時代中期以降は造り酒屋として栄えた家柄です。

重要文化財に指定される旧杉山家住宅は寺内町で最古の町屋建築で、江戸時代中期の大規模商家の遺構。

現存する母屋の建築年代は、土間部分が17世紀中期(約350年前)で最も古く、後に座敷や二階が増築され、1747年頃(江戸時代中期)には、ほぼ現在の建物形状になったと考えられています。

玄関をくぐると母屋で一番古くからある、広い土間が迎えてくれます。

土間の奥に台所にあたる釜屋があり、左手には、格子の間と呼ばれる表通りに面して格子窓が付いた、店の間があります。

帳場台(商家の番頭さんなどが金銭の出納や帳面をつけたりする机)が商町家の雰囲気を醸し出していますね。

大床の間

大床の間は能舞台を模して造られたとされています。柱は細くなり京風の優雅な建築様式を見られます。 障壁画の「老松図」は狩野派の狩野杏山守明の筆。

贅沢な空間ですが、障壁画と襖絵以外はシンプルな装飾。淡い色合いの土壁や竿縁天井、欄間装飾も落ち着いていて、贅沢ながら上品な空間がイイ感じ。

歌人「石上露子」の螺旋階段

旧杉山家には日本家屋には珍しい、木製の螺旋階段が施されています。

これは杉山家の出身で明治末期に活躍した歌人、石上露子(本名は杉山タカ)が改築の際に設けたもの。露子が愛したアールヌーボー様式のモダン螺旋階段が日本建築と見事に調和しています。

日本建築の美がたくさん

屋敷地は町割の一区画を占め、最盛期には70人以上が働いていたといわれる「旧杉山家」。そこには優れた技巧で凝らされた日本建築の美がたくさんありました。

旧田中家住宅

旧杉山家と比較すると新しいとはいえ、母屋主要部の建築年は明治25年(1892年)で、既に築後120年を越える「旧田中家住宅」。

江戸後期に当地に移ったと伝えられる田中家は、幕末・明治期には素封家(明治44年「大阪府河内和泉資産家一覧」)に数えられる名家だった様です。

邸宅風の近代和風住宅の設えの内部は、かなり僕好みのテイスト。セットバック(道路から後退)して建てられた母屋の南側の窓から差し込む冬の陽光と、影のコントラストがとても印象的でした。

現在は富田林市に寄贈され、改修を経て一般公開されている旧杉山家・旧田中家の二邸ですが、いわゆる伝統工法の木造軸組建築を修繕しがら維持保存するのは莫大なコストがかかるんですよね。

祖先から受け継いだ「住資産」を次世代に受け継いでいくのはとても大変な事だと思いますが、寺内町という歴史まちに残された幾棟もの歴史的建造物が、これからも長く残ってくれれば嬉しく思います。

日暮れからも美しい寺内町

寺内町のまち歩きをするなら、夕暮れの時間もかなりオススメ。 日本の道百選に選定されている城之門筋には幾つもの街路燈が設置されていて、日暮れと共に燈の優しい明かりが歴史まちを照らしはじめます。

まとめ

半日かけてまわった重要伝統的建造物群保存地区のまち歩きと、歴史的建造物探訪。

僕のような歴史好きや古建築マニアには垂涎モノのまちですが、静かで落ち着いた町並み散策を楽しむ人も年々増えているそうです。

南河内に訪れる機会があれば、歴史まちでノスタルジーに浸ってみるのはいかがでしょうか?

では、また!

今回行った場所

旧杉山家住宅
(休館日)月曜日・年末年始(入館料)一般400円

旧田中家住宅
(休館日)月曜日・年末年始(入館料)無料

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